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2023年1月27日 (金)

雪の京都を歩く 神宮道

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、三条から神宮道を南に歩きます。振り返れば平安神宮の大鳥居が見えます。ここから先の神宮道は、昨年で終了してしまった東山花灯路のコースでもあります。花灯路の始まりを表す大きな露地行灯がこの辺りにありました。

今日は、2006年1月27日にブログを始めて17年目になります(←バックナンバー)。今まで続けてこられたのは皆さまの応援のおかげです。これからも変わりつつある現在の京都をお伝えしたいと思っていますので、よろしくお願いします。

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「旧白川小学校」 明治2年に市民が設立した番組小学校に始まり、平成16年まで粟田小、後に他校と併合して閉校しました。昨年、文化複合施設のミュージアム・ホテル「京都東急ホテル東山」が開業しました。

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「粟田口」 京の七口の一つで、かっての東海道と東山道の都(京都市街)からの出入り口です。この先に粟田神社があります。

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粟田口の南東角には立派な門だけが残された敷地があり、工事フェンスで囲まれています。ただし、工事はまだ進展していないようです。門の軒からつららが。

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喫茶・軽食の「けんろく」、この辺りは上り坂で路面が凍っているので歩きにくい。

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「粟田口 あおくすの庭」 憩いの庭として、楠、紅枝垂桜、百日紅、椿などが植えられています。東山花灯路では案内所や花灯路の展示などが行われたなつかしい場所です。

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「十六五(とうろくご)」 甘納豆と五色豆のお店ですが、渋皮付きの栗の甘煮も評判だとか。南座前に本店があります。

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「青蓮院」 かっては比叡山延暦寺の三門跡の一つ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つとして、皇室との関係が深い寺院です。寺院の年中行事には春のライトアップが記載されていますが(東山花灯路の期間)とあり、今年はどうなるかまだ不明です。

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こちらの門柱は「親鸞聖人得度聖地」。 神宮道沿いの5本のクスノキの大木は、親鸞聖人お手植えと伝えられ、東山魁夷や川端康成の作品にも出てくる銘木です。数年前から下のクスノキの樹勢が衰え、新芽が出ない大枝を切除せざるをえませんでした。

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青蓮院の向かいの「PAVILION COURT(パビリオンコート) KYOTO」 結婚式・披露宴、パーティー、展示会などの会場や、レストランやカフェもあります。中には煉瓦造りの洋館をはじめ、国の登録有形文化財に認定された建物があります。

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南隣は「イトーピア東山 紫源苑」 ファミリー向けの分譲マンションです。

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左にある「グランドヒルズ京都東山ロジュマン」も分譲マンションで、こちらは億ションのようです。二つのマンションはかっての料理旅館「楠荘」の跡地に建てられました。上の門は当時のものかも知れません。

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神宮道はこの辺りが峠になっています。向うの右はグランドヒルズ京都東山ロジュマンのエントランスで、「光悦寺垣」があることに初めて気がつきました。

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先ほどの樹勢の衰えた大クスノキには様々な処置を施した結果、なんとか現在でも生き延びているようです。こちらの大クスノキは元気なようで、一枚の写真におさまりません。

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「花園天皇 十楽院上陵」 陵墓は青蓮院の横を山の中腹まで上ったところにあります。花園天皇は仁和寺花園御所を寺に改め、妙心寺を開基、歌道に優れ、深く仏教に帰依したことでも知られています。昼間は門が開いていてお参りできます。

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「蓮月茶や」 甘酒と湯とうふの店として1900年に開業、その後豆腐料理専門店となりました。店名は、青蓮院とも所縁があった幕末の女流歌人・大田垣蓮月が由来です。彼女はお豆腐が大好物だったそうです。

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「良正院」 1631年徳川家康の娘・督姫(とくひめ)追善のために、その子の岡山藩主・池田忠雄が創建した知恩院の塔頭。明治から昭和にかけて武者絵を得意とした日本画家・福山聿水が住んでいました。本堂と表門が重要文化財で、この日は工事中でした。

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門前に『肉弾』の作者・桜井忠温大佐が昭和初期に建てた軍歌『戦友』の石碑があります。「ここは御国を何百里」で知られるこの歌は厭戦的であるとして、歌うことを禁じられました。しかし、戦時中も人々に歌い継がれ、現在まで石碑が残っています。

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戦国武将・山岡道阿弥が伏見城から寄進した「知恩院黒門」。知恩院は今年の「京の冬の旅」で大方丈や庭園が特別公開されていますが、こちらの門は閉まっていました。

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「華頂道」 この道を行くと知恩院古門があり白川と出合います。石垣の中の「瓜生石 (うりゅうせき) 」は、昔この石の下から一夜にして瓜の蔓(つる)が伸びて、瓜が実ったといわれています。また、この石は地軸から生えているとの伝説もあります。

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「親鸞上人旧御廟所・本願寺発祥地・蓮如上人御誕生地」 弘長2年(1262)に没した親鸞は、末娘の覚信尼によって崇泰院あたりに葬られました。後に廟堂は再建されて本願寺と改称、本願寺の発祥とされます。中興の祖・蓮如は本願寺8代門主の長男。

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知恩院の「三門」(国宝) 元和7年(1621)、徳川二代将軍秀忠の命を受けて建立され、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚、現存の木造建築として最大級の二重門だそうです。断続的に雪が降っています(最後の写真)。

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「知恩院道」 この先の東大路通に知恩院新門があります。三門の正面なので表参道ですが、東大路通のバス停・知恩院前は華頂道の前にあります。現在では「岡崎ループ」が便利で、三門前で止まります。

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石段の正面に、友禅染の始祖宮崎友禅生誕300年を記念して、昭和29年に造園された「友禅苑」があります。知恩院に参拝するとき、三門からの急な石段を男坂、この石段はゆるやかなので女坂と呼ばれます(京の冬の旅のポスターがあります)。

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「師弟愛の像」 昭和9年(1934)9月21日京都は室戸台風の直撃を受け、右京区の淳和小(現在の西院小)では児童32名と教諭1名が亡くなりました。児童をかばい命を落とした松浦寿恵子先生の崇高な精神をたたえて市民有志がこの像を建てました。

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吉井勇は「死線を越えた師弟純愛」と形容して、「かく大き 愛のすがたをいまだ見ず この群像に涙しながる」との歌を台座に刻みました。横にある「知恩院南門」が神宮道の南端で、門の向こうは円山公園です。

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