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2023年1月29日 (日)

雪の京都を歩く 八坂神社

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて、円山公園から八坂神社の北東の鳥居をくぐります。正面の道は本殿の裏にあたり多くの摂末社が並んでいます。

「日吉社」 大山咋神 (おおやまくいのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀ります。大山咋神は素戔嗚尊の3世の孫、大物主神は7世の孫で、大国主命の分魂(わけみたま)とされます。北東の鬼門を守る方位除けの神でもあります。

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「夜泣石」(夜啼石) 日吉社の前にあり、夜になるとすすり泣く声が聞こえるといわれます。以前から木の根元にあるとされてきましたが、木が枯れて伐採され、新たに若木が植えられています。ここからは本殿の東を通る南北の道を歩きます。

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「美御前(うつくしごぜん)社」 素戔嗚尊の持っていた十拳(握)剣(とつかのつるぎ)により生まれた三女神(宗像三女神)を祀ります。美を象徴する神とされ、祇園の芸舞妓、美容理容、化粧品業者の崇敬を集めています。右にご神水「美容水」が湧いています。

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「祓所(はらえど)」 周囲に結界をつくり、神儀の際に神前に進む神職や参拝者、供え物をお祓いする場所だそうです。昨日の記事で述べた、神仏習合時代の多宝塔があった場所ではないかと思っています。

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摂社「悪王子(あくおうじ)社」 素戔嗚尊の荒魂(あらみたま)を祀ります。悪とは強いという意味で、荒魂は現実に姿を顕し霊験あらたかな神です。もとは東洞院四条下ル元悪王子町にあり、何度か移転の後、明治10年にこの地へ遷されました。

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平安時代後期、白河法皇が祇園女御のもとへ行く途中このあたりで鬼を見ました。供の忠盛が生け捕りにすると老法師が燈籠に火を灯すところでした。その勇気に感動した法皇は、身ごもっていた祇園女御を忠盛に与え、生まれたのが平清盛だといいます。

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「大神宮社」 祭神として、八坂神社の主祭神・素戔嗚尊の姉神・天照大神と衣食住を始めとした産業の守り神の豊受大神(とようけのおおかみ)を祀ります。伊勢神宮の内宮と外宮に祀られた2神でもあります。

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「二見岩(ふたみいわ)」 内宮と下宮の間にある小さな岩ですが、実は地面に出ている部分はわずかで、地中では地軸に達するほど深く伸びているといわれています。中央の小さな石標の前にあります。

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大神宮社の前に「祇園水」が湧いています。「力水」ともよばれ、この水を飲んでから美御前社にお参りすると、美人になるとされています。

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「南楼門」は神社の正門にあたり銅板葺きの2階建て、明治時代前期に再建後、2017年に本格的修理が完了しました。祇園祭の3基の神輿はここをくぐります。

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南楼門横にある自動販売機に祇園水 があります。右は「神輿庫」 祇園祭の神幸祭の3基の神輿が納められています。毎年7月10日の夕方、3基の神輿が取り出されて舞殿に安置、夜になって中御座神輿が四条大橋での神輿洗に臨みます。

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「本殿」(国宝)承応3年(1654)建造で、本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った「祇園造」。中御座に主祭神・素戔嗚尊 (すさのおのみこと)、東御座にその妻・櫛稲田姫命 (くしなだひめのみこと)、西御座に子供たち八柱御子神 (やはしらのみこがみ)を祀ります。

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「舞殿」 芸舞妓の舞踊の奉納を始めとする様々な奉納行事や結婚式が行われます。平成21年から281個の提灯が白熱電球から省エネ・長寿命のLEDに取り替えられ、八坂神社の他の施設の電灯も順次LEDに取り換えられています。

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南の楼門の方に向かいます。「大国主社」 祭神は大国主命、事代主命、少彦名命(すくなひこなのみこと)です。福の神、縁結び、恋愛成就の神です。

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「蛭子社」(祇園えべっさん) 全国でも古く平安時代に創建され、珍しく北向きに社を構えていることから「北向蛭子社」ともよばれています。 日本古来の商売の神ですが、記紀に出てくる事代主神(ことしろぬしのかみ)と同一視されます。

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楼門をくぐった正面の摂社「疫(みやみ)神社」は蘇民将来を祀ります。疫病除けの神の牛頭(ごず)天王がその獰猛な容貌から后になる者がおらず、鳥のお告げにより、后を求めて南海への旅に出ました。富豪の巨端将来に一夜の宿を求めると冷たく拒まれます。

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弟の蘇民将来に快くもてなされ、天王は竜女と結ばれ八人の王子が生まれました。国に帰る旅の途上、巨端将来の一族を滅ぼし、蘇民将来とその子孫には、疫病の難から逃れ、終生の加護を約束しました。7月31日の疫神社夏越祭が祇園祭の最後の行事です。

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西楼門の正面は四条通、車の交通量が多いので路面の雪は融けています。

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「西楼門」八坂神社最古の建造物。応仁の乱により焼失し、明応6年(1497)再建、大正2年(1913)に四条通の拡張にともない東に6m、北に3m移動し、大正14年(1925)に左右に翼廊を建て現在の姿となりました。

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ここから境内の南東部に戻りました。

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「能舞台」 正月3日の金剛流と観世流による初能奉納を始めとする能の奉納や、正月7日には「はるた始め式」が行われます。祭神の素戔嗚尊が櫛稲田姫命と結婚したとき、その喜びを「八雲立つ・・・」と詠んだのが和歌の始まりとされています。

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諌山宝樹(たまじゅ)奉納の大絵馬 大阪生まれ、京都在住の日本画家。主に京都で寺社への奉納や定期的な作品公開、広告媒体への作品提供、最近ではライブベインティング等活動の幅を拡げているそうです。

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右は「玉光(たまみつ)稲荷社」、五穀豊穣、商売の稲荷神「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀ります。左上は「命婦(みょうぶ)稲荷社」玉光稲荷社の奥宮で「三狐神(みけつかみ)」を祀ります。命婦は五位相当の女官のことで、稲荷神のお使いの狐がこの官位を授かったことからこの名があります。

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東南の鳥居の外に「清々館」 祇園祭で活躍した清々講社の建物ですが、中に茶室があり八坂神社の「月釜」が行われます。月釜とは毎月決まった日に行われる茶会のことで、八坂神社では3日に行われ一般の参加も自由です(参加料が必要)。

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コメント

こんばんは。
和歌山に雪が降った日、京都でもかなりの雪が降ったのですね。
早速、八坂神社周辺まで撮影に行って来たのですね。
八坂神社西楼門の前の狛犬もかなりの雪を被ってます。
円山公園にも行かれたのですね。
さすがは京都、雪の日でも着物姿が見られますね。
いもぼうへは一度だけ行ったことがあります。
円山公園には戦前のラジオ塔がありますよね。
和歌山城公園にもあったのですが何故か撤去しています。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2023年1月30日 (月) 01:04

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