« 圓光寺 今年の紅葉は完全予約制 | トップページ | 蓮華寺 紅葉の額縁庭園 »

2022年11月 9日 (水)

永観堂 紅葉の絶景とライトアップ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Jnc_0694a
※写真は全てクリックで拡大します。

紅葉の名所・永観堂では11月5日~12月4日の期間、ライトアップおよび秋の寺宝展が行われています。混雑状況や新型コロナの感染防止のために、例年とは異なる点や注意事項がありますので紹介します。

昼間の写真は11月15日、ライトアップは11月25日の撮影です。「永観堂」は、正式名称を禅林寺という浄土宗西山禅林寺派の総本山です。

Jnc_0567a

平安時代(853年)に空海の弟子・真紹(しんじょう)が藤原関雄(せきお)の東山山荘を譲り受け、尊像を安置して真言宗の道場としたのが始まりとされます。(向こうは拝観受付がある中門。)

Jnc_0578a

平安時代の承暦年間(1077-81)に第7世として永観(ようかん)が入寺し、浄土念仏道場としました。鎌倉時代中期の1253年、浄土宗西山派開祖・證空(しょうくう)の弟子・17世浄音が入寺して、浄土宗西山禅林寺派の本山となり、現在に至っています。

Jnc_0597a

「大玄関」からお堂に上がります。意外にもこのあたりはあまり人がいなくて、お堂の中に入る方は少ないようです。大玄関の正面にある庭園、緑、黄色、赤といろんな段階のモミジがあって、いろどりが美しいと思いました。

Jnc_0608a

応仁の乱で永観堂も伽藍の大半が焼失してしまいました。ところが、この「瑞紫殿」に安置されていた阿弥陀如来坐像だけは右手が焦げただけで、焼け残ったそうです。弘法大師が火除けの願を掛けて彫刻したとされ、今でも火除けの信仰を集めてるそうです

Jnc_0621a

「方丈(釈迦堂)の前庭」 方丈は本堂に次いで古いとされる建物で、釈迦三尊像を安置したところから、釈迦堂とも呼ばれます。中央の勅使門は江戸時代後期の1830年に建立され、四脚の唐門で、京都府指定文化財です。

Jnc_0673a

第7世・永観(1033-1111)は、境内に「薬王院」という施療院を建て、窮乏の人達を救済しました。山内に梅林を育てて「悲田梅(ひでんばい)」と名づけ、窮乏の人達の薬食の一助にと果実を施しました。写真の右にある「悲田の梅」はその名残りだそうです。

Jnc_0667a

また、病人の浴室・「温室(うんしつ)」を設け、阿弥陀像を安置して末期の人々を見送りました。(ある主要な建物はすべて回廊で結ばれています。正面に水琴窟がある三叉路から左は開山堂へのらせん階段「臥龍廊」は危険のため通行できません。

Jnc_0719a

永観は、東大寺に学び幼少より秀才と認められ、三論宗の学匠として名声を得て将来を嘱望されましたが、禅林寺に隠遁する道を選びました。18歳から日課として一万遍の念仏を称え、後には六万遍もの念仏を称えたとされ、自ら「念仏宗永観」と名のったそうです。

Jnc_0697a

衰微していた禅林寺は再び興隆し、永観堂と呼ばれるようになりました。後で行く開山堂と多宝塔が同時に見える場所があります。途中にある千佛洞は閉鎖されています。「御影堂(大殿)」は近代(1912年)の建立。宗祖・法然と唐代浄土宗大成者の善導大師立像を祀っています。

Jnc_0792a

さらに上に上ると阿「弥陀堂」(本堂)があります。江戸時代初めの1607年に豊臣秀頼が大坂の四天王寺の曼荼羅堂を移築したもので、京都府指定文化財です。本尊の「阿弥陀如来立像」(重文)が祀られています。「見返り阿弥陀」とも呼ばれ、鎌倉時代初期の作といわれています。脇壇には、十一面観音菩薩像、地蔵菩薩像、永観律師像を安置しています。

Jnc_0733a

前述の藤原関雄は、高級官僚でしたが文人でもあり、病気で退官して山荘に隠棲したときの暮らしを、古今集に「おく山の 岩がき紅葉ちりぬべし 照る日の光 見る時なくて」と詠んでいます。

Jnc_0606a

永観堂のお堂を出て境内を巡ります。最初に本堂まで続く南北の通りを歩くと、途中に釈迦堂南庭にある勅使門があります。このあたりの塀には格式が最上位であることを示す5本の筋が入っています。

Jnc_0813a

すぐに、左手に多宝塔への道があります。多宝塔は混雑状況、悪天候などにより閉鎖することがあります。

Jnc_0826a

回廊の下をくぐり、山の斜面の急な石段を上ると、途中で開山堂の横を通ります。ここはちょっとした見晴らし台になっていますが、休まずにさらに上ります。

Jnc_0900a

多宝塔の前まで来ました。多宝塔(祖廟)は、昭和初期(1928年)に建立された上部が円形の二重塔です。近すぎて写真が撮れないので、下から見た最後の写真を見てください。ここから西の眺望が開け、市内中央部から西山まで見渡せます。

Jnc_0871a

正面の手前は放生池の周囲の庭園。

Jnc_0860a

もう一度南北の道に戻り、御影堂の前を通ります。

Jnc_0921a

さらに先に行くと、石段の上に阿弥陀堂(本堂)があります。お堂の中の拝観順路では、ここから境内に出ることができるようになっています。

Jnc_0953a

この道の一番端には滝があり、その前に「獅子門歴代句碑」があります。獅子門は各務支考(かがみしこう)が率いた俳諧の一派・美濃派です。芭蕉の弟子の彼は、芭蕉の没後その俳諧を広めることに努め、各地に多くの門人を輩出しました。

Jnc_0978a

この日は南北の道を引き返し、御影堂の前から放生池にかかる極楽橋を渡りました。今年の紅葉の期間の昼間は混雑するので極楽橋は通行できません。

Jnc_1014a

橋の上から放生池の北、中の島があります。

Jnc_1031a

極楽橋を渡って振り返ると、多宝塔が見えます。橋の向こうは御影堂の屋根です。

Jnc_1044a

「画仙堂」 日本画家・鈴木松僊の発願により1914年に建立され、松僊の「天龍」や長谷川等伯の「波濤図」(重文)などが納められました、後に波濤図は京都国立博物館に寄託されたそうです。 今年の紅葉の期間の昼間は閉鎖されます。

Jnc_1096a

放生池の西には茶店の席がでていたので、ちょっと一休みしました。正面に池の中央の弁天島に「錦雲橋」がかかっています。「弁天社」は江戸時代の歌人・尼僧の大田垣蓮月(1791-1875)の寄進で1866年に建立されました。


Jnc_1065a

お茶席の北に池から流れ出る小川の橋があって、ここから池の向こうに多宝塔が見えます。

Jnc_1080a

1900年11月に与謝野晶子、鉄幹、その弟子の山川登美子の三人が永観堂を訪れました。そのときの与謝野晶子の歌碑 「秋を三人椎の実投げし鯉やいづこ池の朝かぜ手と手つめたき」

Jnc_1117a

Jnc_1070a

ここからはライトアップです。山門からの参道、向うに中門があります。

Jmn_8515a

寺宝展およびライトアップの前売り券は発行していません。拝観券は拝観当日にお求め下さい。また有効期間も当日のみとなります。

Jmn_8510a

新型コロナの感染拡大防止のため、拝観前に検温を行います。発熱症状(37.5度以上)が見られる場合は拝観をご遠慮いただきます。堂内・境内ではマスクを着用し、随時手の消毒をお願いいたします。

Jmn_8348b

行列時、撮影時には密集を避け、対人距離の確保にご留意ください。新型コロナウイルス感染防止対策にご協力いただけない方は、入山をご遠慮いただくそうです。

Amn_1367a

紅葉の向こうに多宝塔、幽玄の眺めです。

Jmn_8493a

雨の後ならではかもしれません。茶店のテーブルに映った紅葉。

Jmn_8475a

写真が多くなって恐縮ですが、昨日の皆既月食の写真です。月が完全に地球の影に隠れていても、赤い光は地球の大気で屈折するので、赤銅色に見えます。「皆既食」中に月の後ろに天王星が入る天王星食が起こるのは日本では442年ぶりだそうです。私のカメラでは写りませんが、月の左下の赤い点はおそらく報道関係のヘリコプターの灯りです。

Anc_0740a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Jnc_1079b

|

« 圓光寺 今年の紅葉は完全予約制 | トップページ | 蓮華寺 紅葉の額縁庭園 »

コメント

昨日の皆既月食は、結構よく見えたようですね。
家からも写真がラインで届きました。
色の違う月って、神秘的ですよね。

投稿: munixyu | 2022年11月 9日 (水) 14:09

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 圓光寺 今年の紅葉は完全予約制 | トップページ | 蓮華寺 紅葉の額縁庭園 »