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2022年11月18日 (金)

鹿王院 古刹の紅葉

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都のローカルニュースでは、数日前から全て(8か所)の紅葉が見ごろとなっています。今まで代表的な紅葉の名所を紹介してきましたが、これからは穴場も紹介しようと思っています。以下の写真は12月4日の撮影です。

ご存知の方に穴場とは失礼かも知れませんが、鹿王院(ろくおういん)は嵐山・嵯峨野エリアでは比較的落ち着いて紅葉を観賞することができます。嵐電の鹿王院駅から徒歩4分、阪急「嵐山駅」からは徒歩約18分の場所にあります。

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「鹿王院」は山号を覚雄山(かくゆうざん)、正式名所を大福田宝幢(ほうどう)禅寺という臨済宗の単立寺院です。上の総門の扁額「覚雄山」は、足利義満の22歳ごろの真筆とされています。(山門を過ぎると、参道は紅葉で覆われていました。)

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室町時代の1379年、将軍・足利義満が春屋妙葩(しゅんおくみょうは、普明国師)を開山として宝幢(ほうどう)寺を創建しました。そのとき、後に鹿苑院の前身となる開山堂も建てられたとみられています。(雨は上がっていますが、まだ道は濡れています。)

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1387年、春屋の塔所(墓所)として開山堂を含む鹿王院が建立されました。野鹿が群れをなして現れたので、鹿王院の院号になったともいわれ、翌年春屋は亡くなりました。(参道の楓はまだ色づいていないものもあり、嵐山では遅い紅葉です。)

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1420年の義満十三回忌は、天皇の行う法事(済会)にならってこの地にあった宝幢寺(ほうどうじ)で行われ、義持と公卿らは、20数台の牛車を連ね参詣したといわれています。(参道の左手に鎮守社の二つの社があります。)

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室町時代前期に宝幢寺は最盛期を迎え、禅寺十刹の第5位に列せられる大寺となりました。4代将軍・足利義持、6代将軍・義教、8代将軍・義政ら歴代将軍も参詣しました。(参道の左には竹林もあります。)

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臨済宗大徳寺派の禅僧・一休宗純も12歳の頃、当院で維摩(ゆいま)経の提唱(ていしょう、禅宗で大衆に宗旨の大綱を説き示すこと)を聴いたといわれています。(中門をくぐると境内になります。)

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1468年、応仁の乱の兵火で天龍寺や宝幢寺は全焼してしまいました。その後、宝幢寺は衰退し塔頭の鹿王院だけが残りました。(正面の石畳の先に拝観受付の庫裡があり、左の方には玄関があります。)

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宝幢寺は全国に30カ所の荘園がありましたが、守護大名や地頭の台頭によって次第に失われ、宝幢寺は再建されることはありませんでした。

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安土桃山時代の1596年伏見大地震により鹿王院は倒壊。江戸時代前期の寛文年間(1661-1673)、酒井忠知の援助により、子・虎岑(こしん)が鹿王院を再興しました。この頃天龍寺の塔頭となりました。(庫裏から客殿に向かう途中にある玄関から)

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酒井忠知は徳川四天王の一人である三河の武将・酒井忠次の5男で、徳川秀忠の小姓、直参旗本となりました。虎岑は忠知の5男で酒井家が藩主を務める鶴岡藩(庄内藩)の外護を得て鹿王院を再興、12世住持になりました。

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客殿の前に「本庭」が広がります。当初は8代将軍・足利義教の命により僧・任庵主が作庭した池泉式の庭園があったといわれています。現在の庭園は、後の室町時代作庭の浄土庭園とされますが、江戸時代中期の1763年頃に作庭されたともいわれています。

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室町時代の石組みや樹齢400年といわれる木斛(もっこく)の銘木があり、京都市指定名勝となっています。こちらの客殿は、明治時代初期に再建されたものです。

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庭の西よりの中央には「舎利殿(駄都殿)」が建っています。江戸時代初期に建てられ、中には鎌倉時代に源実朝が宋より招来したという仏舎利を納めた多宝塔が安置されています。駄都(だつ)は舎利(仏陀の遺骨)のことです。

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方3間の宝形造、単層、裳階付き桟瓦葺で、優美な唐様です。向うには借景の嵐山が見えます。舎利殿の左に釈迦如来、文殊・普賢菩薩の三尊石、その手前に礼拝石(坐禅石)が置かれています。

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客殿の扁額「鹿王院」も足利義満の真筆といわれます。左下に道号「天山」の印があり、出家した38歳以後の揮毫とみられています。出家後、義満は「鹿王院 天山 道義」(院号、道号、法名の順)と名乗りました。

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客殿の端から瓦敷の歩廊が伸びています。

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歩廊の途中に「本堂」があります。江戸時代の延宝年間(1673-1681)に虎岑によって再建され、開山堂と仏殿を兼ねています。本尊の釈迦如来と十大弟子像を安置していて、どちらも運慶作と伝わっています。(ここから建物の外形は見えません。)

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舎利殿の前から本堂の建物が見えます。方3間の寄棟造で桟瓦葺です。宝幢寺が創建された当初の開山堂でもあります。

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舎利殿の中央に宮殿風の大厨子があります。中に源実朝が宋より持ち帰った銅製鍍金の多宝塔が収められ、さらにその内に仏牙(釈迦の歯)が釈迦の教えの象徴として安置されています。仏牙は当初鎌倉の円覚寺にありました。

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北朝初代の光厳天皇の命により仏牙は京都に遷され、南北朝時代の1374年、北朝第4代後光厳天皇が普明国師に賜わり、鹿王院に遷されました。大厨子の横に涅槃図が掲げられ、周囲の壁には十六羅漢画像が描かれています。

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客殿の奥に茶室「芥室(かいしつ)」があります。昭和11年(1936)映画俳優・大河内傳次郎が寄進して、住持の隠居所になりました。芥室は普明国師(春屋)の号で、取るに足りない小さなものという意味だそうです(非公開)。

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昭和43年(1968)、鹿王院は天龍寺から独立して単立寺院となりました。鹿王院では2016年から1日100名に限定して夜間拝観(ライトアップ)を行ってきました。

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後に土日祝は150名に拡大して嵐電のHPで予約を受け付けていました。しかし、2021年以降確認ができません。この後、夕食を予約している嵐山まで歩きました。

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コメント

今が一番見ごろなんでしょうね。
早くコロナが落ち着いて、気軽に見に行ける日がくることを、
願うばかりです。

投稿: munixyu | 2022年11月18日 (金) 15:42

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