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2022年11月 2日 (水)

神護寺と弘法大師

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています

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※写真は全てクリックで拡大します。

神護寺では、11月1日~11月7日の期間、「大師堂特別拝観」が行われ、板彫弘法大師像が御開帳されます(拝観時間は9:00~16:00)。今日は過去の特別拝観の記事を、弘法大師との関わりや神護寺の最新情報を加えて再編集しています。
 
市内より早く見頃になる神護寺の紅葉も見どころです。向うに「高雄橋」が見えます。かっては神護寺の橋だったそうで、左のたもとに「女人禁制」の石標があります。現在の橋は1982年にかけられました。

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橋を渡ってからが神護寺への参道です。「神護寺」は山号を高雄山という高野山真言宗の寺院です。数年前に別格本山から遺迹(ゆいせき)本山へと呼び名が変わりました。「高雄茶屋」

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遺迹本山とは弘法大使が住まわれた寺院という意味で、神護寺と河内の観心寺の2ヵ寺だけだそうです。 「硯石亭」この名の由来の石が前にあります。

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ここから急な石段になります。帰りもこの階段から下りましたが、拝観受付の横には車が通るなだらかな坂道もあります。「楼門」(山門)は江戸時代の1629年頃に建立され、三間一戸(TOPの写真も)。

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平安遷都の提唱者で、新都市造営の推進者として知られる和気清麻呂は、天応元年(781)国家安泰を祈願し河内に神願寺を、またほぼ同じ時期に、山城に私寺として高雄山寺を建立しました。楼門の上の紅葉は様々な色合いでした。

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神願寺の所在地は確認されていませんが、清麻呂がかねて宇佐八幡大神の神託を請うた時「一切経を写し、仏像を作り、最勝王経を読誦して一伽藍を建て、万代安寧を祈願せよ」というお告げの心願を成就するためと伝えられ、寺名もそこに由来しています。

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一方、私寺として建てられた高雄山寺は、海抜900メートル以上の愛宕五寺のひとつといわれています。(楼門をくぐると、日当たりがいいからか、一気に真っ赤ば紅葉が目立ちます。)

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すなわち、単なる和気氏の菩提寺というよりは、それまでの奈良の都市仏教に飽きたらない山岳修行を志す僧たちの道場として建てられたと考えられていいます。愛宕五寺のうち、現存しているのは高雄山寺改め神護寺と月輪寺のみです。

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「和気清麻呂公霊廟」 昭和9年(1934)に建立、檜皮葺で向拝付零廟。大壇越の京都の実業家・山口玄洞が寄進して、安井猶次郎が設計。壇越とは寺や僧侶に布施をする信者のことで、檀家や檀那のもととなったことばです。

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その後、清麻呂が没すると、高雄山寺の境内に清麻呂の墓が祀られ、和気氏の菩提寺としての性格を強めることになります。(ここは優しい色合いです。)

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「鐘楼」は江戸時代の元和年間((1615-1623)に京都所司代・板倉勝重の寄進により建立。「銅鐘」(国宝)は貞観17年(875)の鋳造で橘広相(ひろみ)の序詞・菅原是善(よし)の撰銘・藤原敏行の書で古来三絶の鐘といわれています。

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清麻呂の子息(弘世、真綱、仲世)は亡父の遺志を継ぎ、最澄、空海を相次いで高雄山寺に招き仏教界に新風を吹き込みました。(上の写真で石段の左に「和気公墓道」の碑があり、鐘楼の横から清麻呂の墓へ山道が続きます。)

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「明王堂」 江戸時代の1623年、京都所司代・板倉勝重が奉行になり、細川忠興の帰依も得て再建。祀られている不動明王像が、2012年の調査で平安中期作であることが判明しました。9~12月の第2日曜日14:00から施餓鬼護摩供があります。

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まず、弘世、真綱の兄弟は、比叡山中にこもって修行を続けていた最澄に、高雄山寺での法華経の講演を依頼しています。(「毘沙門堂」、江戸時代の1623年頃の建立、厨子内に毘沙門天立像(重文)を祀っています。)

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この後、最澄は還学生として唐にわたり、空海も私費の留学生として最澄とともに入唐します。通常20年は帰国できないところ2年で真言密教のすべてを学んで帰国。3年後にようやく京都に入ることが許されるや、高雄山寺に招かれました。

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やがて天長元年(824)真綱、仲世の要請により神願寺と高雄山寺を合併して、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改め、一切を空海に付嘱し、真言宗として今日に至っています。この寺は定額寺(官が保護を与える一定数の私寺)に列せられました。 「大師堂」(重文)

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大師堂は桃山時代に再建され、納涼房といってもと空海の住房であったと伝えられています。大師堂では御本尊の「板彫」の弘法大師像(重文)が特別公開されていました。700年ぶりの公開なので有り難く拝見してきました。(板に浮き彫りされています)

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右は「五大堂」、平安時代の天長年間(824-834)に淳和天皇の勅願により建立され、現在の建物は江戸時代の1623年頃の再建。 正面は「金堂」です。

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「金堂」は和気公霊廟と同じく、1934年に大檀越の山口玄洞の寄進、安井猶次郎の設計です。内陣には、8世紀末作の「薬師如来立像」(国宝)が祀られ、この仏像はかつて神護寺の前身寺院の一つ河内・神願寺の本尊でした。

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高雄神護寺の金堂の石段を上ってきました。左手前は五大堂、その向うは毘沙門堂、右奥にあるはずの太子堂は紅葉に隠れています。

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金堂内の薬師如来立像・多宝塔内の五大虚空蔵菩薩坐像(いづれも国宝)のほか、多くの重要文化財を有します。

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丸い石台には燈籠が立ってたのですが、戦時中に供出された跡です。

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金堂の右横には大きな不動明王像があり、その右に和気公墓道が見えます。鐘楼の前から始まり、ここからでもかなりの山道が続きます。

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金堂の左横には多宝塔あ見えます、

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新型コロナウイルスの感染予防のため、11月1日(火)~11月30日(木)の間、事前団体予約以外は朱印紙(貼り付けるタイプ)になります。(坂道を登って多宝塔の下に来ました。)

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「地蔵院」は明治33年(1900)に再建された塔頭で、地蔵菩薩(世継地蔵)を祀ります。左に書院があります。

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「地蔵院の書院」 11月12日(土)~20日(日)、9:00~16:00(最終入場15:30)「神護寺 時代劇小道具展」が行われます。観覧料500円 境内拝観料600円が別途必要)(株)高津商会の主催で時代劇小道具の展示があります。

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「展望台」 かわらけは厄除と書かれた素焼きの皿で、谷に向かって投げます(的はありません)。神護寺は各地で行われている「かわらけ投げ」の発祥の地といわれます。

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手すりの向こうに広がるのは清滝川の谷(錦雲渓流)です。

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コメント

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投稿: Randyfub | 2022年11月 2日 (水) 14:07

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