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2022年11月15日 (火)

天龍寺 紅葉の境内

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日(11月14日)の京都のローカルニュースでは、嵐山の紅葉が見ごろと放映されていました。年による変動はあるにしても、まだ少し早いのではないかとも思いました。

そこで、嵐山を代表する世界遺産・天龍寺の紅葉が最盛期の見どころを紹介します。実際には場所によって見ごろの時期は異なっていて、私が訪れた10数回のうちからそれぞれの写真を選んでいます。

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天龍寺の総門から続く参道沿いの紅葉は鮮やかに色づいていました。「天龍寺」は山号を霊亀山(れいきさん)、正式名称を天龍資聖禅寺(ししょうぜんじ)という臨済宗天龍寺派の大本山です。

平安時代初期、この地には嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子が開いた檀林寺がありました。その後の鎌倉時代中期、荒廃した檀林寺の跡地に後嵯峨天皇とその皇子・亀山天皇が離宮を営み「亀山殿」と称しました。 「飛雲観音」

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1336年、後醍醐天皇と対立した足利尊氏が持明院統(北朝)の光明天皇を擁立して幕府を開きました。(天龍寺の鎮守社の「八幡社」で参道の西端にあります。)

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尊氏は1338年征夷大将軍となり、この年を室町幕府の始まりとする説もあります。 正面の庫裡は建物への拝観入口ですが、とりあえず左にある庭園の拝観入口に向かいます。

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庫裏の右手にある「僧堂南門」。庭園に行くまえに見ておきたい場所です。

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宮内庁管理の「亀山天皇陵」と「後嵯峨天皇陵」が見えます。この地にあった離宮「亀山殿」に所縁の二人の御陵です。

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庭園への拝観入口を入ると、右に「大方丈」があります。

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大方丈の前庭の正面に唐門。禅宗寺院によくみられるように、勅使門、放生池、法堂、唐門、大方丈と主要な伽藍が一直線に並んでいます。この庭は簡素な枯山水で、紅葉はありません。

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大方丈を通して後ろ(西)にある庭園を見ることができ、ちょっぴり御殿からの眺めが体感できます。多くの場合には参拝客が座っていますが。

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大方丈の裏に回る途中にある精進料理「篩月」。禅宗の修行の一つ(食べること)の精神と自然の調和から生まれた調理法で、動物性の素材を一切使用せず四季折々の野菜・山菜・野草・海草類を主にした厳選された素材を用いています。

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ランチとして、雪(3,300円 一汁五菜)、月(5,500円 一汁六菜)、花(8,000円 一汁七菜) 私が頂いたのは「月」のお料理です。この他にてんぷら、椀物、水物などが付きます。

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大方丈の裏(西)にある「曹源池庭園」、約700年前の夢窓国師作庭当時の面影をとどめ、わが国最初の史跡・特別名勝に指定されました。右の建物は「小方丈」左の山は借景の亀山。

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曹源池を巡る池泉回遊式庭園は嵐山や亀山を取り込んだ借景式庭園でもあり、天龍寺の山号「霊亀山」は亀山にちなんでいます。寛政11年(1799)刊行の「都林泉名勝図会」に描かれた姿をよく残しているといわれます。

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正面の2枚の巨岩を立てた「龍門の滝」は、中国の登龍門の故事になぞらえたものです。通常の鯉魚石は滝の下に置かれますが、ここでは滝の流れの横に置かれ、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしているそうです。

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池の南は嵐山が借景となっています。その間には大堰川が流れていますが、間近に山が見えます。*少し気になっているのは、ここ数年、曹源池周辺で鮮やかな紅葉が見られないことです(写真は6年前です)。

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1338年、後醍醐天皇は吉野で崩御しました。翌年、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(南朝、亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺です。

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亀山殿は、後嵯峨天皇や亀山天皇につづいて後醍醐天皇も幼少の頃を過ごし、後醍醐天皇のゆかりの地でもありました。上と下は御殿の拝観をして小方丈まできたたときの写真です。小方丈は大正13年(1924)の建築です。

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後醍醐天皇の崩御に際して、菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石でした。

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小方丈から渡り廊下を通って上の多宝殿に行け、内庭は嵐山の景観を表しています。

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多宝殿には後醍醐天皇の尊像が祀られています。現在の建物は昭和初期の建立ですが、後醍醐天皇の吉野行宮(あんぐう)時代の紫宸殿の様式を伝えています。後醍醐天皇は南朝のあった奈良県吉野の塔尾陵に葬られています。

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無窓疎石は、鎌倉幕府が滅亡して建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて1335年に臨川寺を開山、後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられました。この時の勅使役が足利尊氏で、以後尊氏も疎石を師と仰ぎました。

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一方で、夢窓疎石は幕府の重臣・中原親秀に請われて西芳寺を中興。尊氏は、天龍寺を創建するとともに全国に安国寺を建立し利生塔を設置しました。(上の写真で曹源池の背後を通って大方丈に戻れますが、展望台に上る方をオススメします。)

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天龍寺の建設資金を調達するため、疎石は天龍寺船の派遣を尊氏に献策しました。展望台は「望京の丘」と呼ばれ、天龍寺の伽藍越しに、市内中央部や比叡山から東山三十六峰が見渡せます。

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無窓疎石は1351年に死去し臨川寺に葬られました。臨川寺は亀山上皇の離宮の別殿「川端殿」に建てられ、現在は天龍寺派の寺院です(非公開)。多宝殿を見下ろす、枝垂れ桜が美しい場所でもあります。

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無窓疎石の教えは、純粋禅ではなく日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性がある折衷主義的な試みであったといわれます。(展望台の北端は竹林になっています。)

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無窓疎石は禅庭・枯山水の作庭家としても名高く、天龍寺と西芳寺(苔寺)の庭園は国の特別名勝に指定、世界遺産にも登録され、永保寺、瑞泉寺、恵林寺の庭園は国の名勝に指定されています。「愛の泉」と「平和観音」。 

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多宝殿の裏から竹林の径に面している「北門」までは「百花苑」とよばれる庭園となっています。竹林が迫っていて、竹と紅葉の対比が見られます。

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コメント

来年は、とにかくのんびりと紅葉が楽しめるようになっていてほしいですよね。
いろんなものから解放されたいと思う今日この頃です。

投稿: munixyu | 2022年11月15日 (火) 19:08

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