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2022年10月17日 (月)

石座神社 秋の境内と火祭

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

10月に岩倉の実相院を訪れたときに、その右手の石段の上に鎮座する「石座(いわくら)神社」に立ち寄りました。この神社は岩倉発祥の守り神ともいわれていますが、10月22日に3年ぶりに勇壮で珍しい火祭が行われます。

10月22日は時代祭や鞍馬の火祭が行われますので、少し早いですが、秋の境内を見ながら、その歴史や火祭りを紹介します。

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石座神社のの創建時期は不明ですが、『日本三代実録』によると、平安時代前期の880年にそれまで正六位だった石座神に従五位下を授けたとあります。鳥居をくぐるとさらに石段が続きます。参道途中の両側に、京都市では見られない宮座の建物があります。

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「宮座(みやざ)」とは、西日本で地域の鎮守や氏神である神社の祭祀に携わる村落内の特権的な組織を指します。専任の神職を持たず、宮座の構成員が年番で神主役を務める当家(とうや)制を取ります。

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当初の鎮座地はここから岩倉川を1㎞ほど下った場だったとされます。その後、971年にこの地に大雲寺が建立され、その鎮守社として997年に石座以下7神を祀る八所明神が勧請されました。

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後に、伊勢ほか4神を加えて十二所明神が祀られるようになり、八所明神・十二所明神社と呼ばれました(『山城名跡巡行志』)。かって石座神が祀られていた場所はその御旅所となりました。

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室町時代中期の1547年に兵火で焼失、安土桃山時代の1592年に社殿を造営、江戸時代中期の1766年、再造営されたという記録があります。「拝殿」

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明治時代になり、八所明神・十二所明神社を石座神社と改称、御旅所を山住(やまずみ)神社と呼ぶようになりました。後で山住神社も紹介します。「祭器庫」

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こちらも祭器庫のようです。その右の掲示板に火祭りの写真が貼ってありました。火祭りは後ほど紹介します。

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最後の石段の上に、八所明神本殿と十二所明神本殿の二つの社殿が並んでいます。右の八所明神本殿には、石座、新羅、八幡、山王、春日、住吉、松尾、賀茂の8神を祀ります。

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左の十二所明神本殿には、八所明神に加えて伊勢、平野、貴船、稻荷の12神を祀ります。二つの社殿は同じ大きさの一間社流造で、棟札から明和3年(1766)に同時に建造されたことが分かっています。

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明治11年(1878)、それまで北北東150mの村松の正水山(しょうずやま)にあった一言主(ひとことぬし)社が摂社としてここに遷されました。(こちらには鳥居と石段、左には手水舎があります。)

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奈良県御所市にある葛城一言主神社が総本社で、祭神の一言主大神は、凶事や吉事を一言で予言する、願い事を一言だけ聞いてくれる神として知られています。

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社殿の左面にはたくさんの絵馬がかかっていて、それぞれの願いを表した一言が書かれています。

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前年の台風で御旅所が被害を受け、神社の桧(ひのき)も倒れました。いい香りを放ち、きれいな木目が出ていたのでご神木として絵馬にしたそうです。馬の絵は古い絵馬の姿を残しています。

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本殿の周囲には、一言社以外にも多数の摂社が祀られています。

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一言神社は、幕末の一時期に暗殺を恐れて岩倉に潜んでいた岩倉具視が足しげく参詣したことでも知られています。 岩倉具視は二反(600坪) 弱の田を購入して、収穫米のうち二石(300㎏)を一言神社の維持にあてたそうです。

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上は一言神社が村松にあったときで、近年になって岩倉家が寄進した石燈篭があります。

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紅葉の頃は華やな境内になると思われます。

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ところで、石座神社の例大祭の火祭りは、かっては10月23日早朝に行われていましたが、現在は10月23日に近い土曜日の未明2:30頃から行われています。

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この火祭りは「石座火祭」、「岩倉火祭」とも呼ばれ、大蛇退治の故事に由来して、2本の巨大な松明を燃やします。最初の石段にあった長い竹は松明になるようです。大松明は全長10.4m、頭部胴回り4.6mもあります。

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昔、この辺りに雌雄の大蛇が棲んでいて、人や家畜を害して住民を悩ませていました。そこで、大地主が石座神社に祈願すると、村人の夢に聖尼が現れ、神火で退治せよと告げました。住民が集まって松明を作り神前に灯火すると、大蛇を退治できたといわれます。

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10月になるとこの松明の製作が始まり、お祭りの一週間前に組み上げられます。二つの大松明は境内に据え置かれ、村人たちが大蛇退治のように燃やしていきます。境内は火災現場のように高熱になります。

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佛教大学歴史学部教授・八木透氏は、村民を苦しめた2匹の大蛇は、大雨による土石流を象徴しているのではないかという説をとなえています。実際に土石流の跡を見ると、大蛇が暴れたように見えるのだそうです。

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昨日の斎王行列の御禊の儀の祭殿のように、大松明には榊がつけられています。松明が燃え尽きる明け方に神輿を出して、実相院や氏子地域を練り歩きかっての御旅所・山住神社に向かいます。石座の火祭は京都市無形民俗文化財に登録されています。

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「山住神社」の社殿はなく、背後の神南備山(かむなびさん)の前の巨石と、小さな祠だけが残っています。日本の古代信仰の磐座(いわくら)と呼ばれ、神が降臨する場、祭祀の神座とされてきました。

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火祭りのスケジュールは、未明の2時:朝神事、3時:大松明に点火、5時半:大人神輿を担いで出発、7時:大人神輿が御旅所に到着、14時半:昼神事があり御旅所を出発、剣鉾や神輿行列が地域を巡ります。

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なんと、村人たちは未明の午前2時に石座神社に集まり、その日の夕方まで休みなく火祭りに従事します。

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コメント

今年は、いろいろ制限があれど、
大きな祭りや行事が再開されて、良かったですよね。
祭りのあとに、感染者数が大きく増えることもなく。
来年は、全ての行事や祭りが制限なく行えるかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2022年10月17日 (月) 15:11

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