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2022年10月 3日 (月)

北嵯峨の田園風景 彼岸花とコスモス

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

北嵯峨の彼岸花が満開だというニュースを見ました。「北嵯峨」とは嵯峨野の北部の大覚寺周辺の山裾の地域です。今日は過去の記事を再編集して、北嵯峨の田園風景を見ながら山中越から大沢池まで歩きます。(GoogleMapの右から左へ)

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京の西の嵯峨野は『枕草子』に「野は嵯峨野、さらなり」と書かれ、多くの文学の舞台ともなった地域です。嵯峨野にはよく知られている神社や寺院がたくさんあり、背景となっている自然も歴史的景観として多くの人に親しまれています。

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北部の北嵯峨には名所・旧跡のほかに多くの遺跡が埋もれています(GoogleMapの水色のスポット)。地域の始まりは先土器時代(広沢池遺跡)ですが、古墳時代後期に入ると次々と古墳が築造され、7世紀前半までにその数は約150 基にのぼります。

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これらの古墳の多くは、渡来系氏族の秦氏一族によって造営され、北嵯峨には台地上に中規模の円墳が多く見られ、山麓や丘陵地には小規模な円墳で構成される群集墳が残り、風景に見事にとけ込んでいます(脱穀のあとのもみ殻を燃やしています)。

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平安遷都の後には、このあたりの景勝から天皇の行幸も多く、貴族や文人に愛されて大沢池や広沢池の周辺、山麓には多くの別業・山荘が営まれました(あちこちで煙が上がっています)。

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かっての農村では、稲刈りが終わった稲は、乾燥させるために杭にかけて自然乾燥させ、乾燥した頃を見計らい稲束から籾だけをそぎ落とす脱穀作業、籾の殻をむく籾すり作業が行われました。

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「籾殻焼き」はかっては全国各地で見られた秋の田園風景です。籾殻を炭化した「燻炭」は優秀な土壌改良資材です。土に鋤込むことで土の排水性・通気性を改善させ、土質を改良する微生物の住かにもなります。

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「彼岸花」「曼珠沙華」どちらの呼び名も好きですが、田んぼのあぜ道に多いのは理由があるそうです。彼岸花には毒があり、球根に多く含まれる毒を嫌ってミミズなどの地中の虫達が近寄らなくなります。

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ミミズなどを捕食するモグラやネズミが来なくなり、あぜ道が壊されないようになる。また、彼岸花の根もあぜ道の地固めとなるそうです。米が不作のときや食糧難の戦後には、毒を抜いて彼岸花を食べたこともあったそうです。

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私は車が通れる広いあぜ道を歩いているのですが、写真に凝り過ぎて田んぼの中の狭いあぜ道に立ち入らないようにして欲しいものです。彼岸花を植えてある効果が台無しになってしまいます。

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深い畝が出来て、裏作で野菜などを植えるのでしょうか?

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もうすぐ広沢池です。

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広沢池から大沢池にかけての扇状地は水田として長く維持されてきましたが、高度経済成長期に宅地開発の波が及ぶようになり「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」により「歴史的風土特別保存地区」に指定されました。

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以後は、土地の買い入れもおこないながら農地が保護され、景観が守られています。広沢池の西には彼岸花に加えてコスモスが咲いていました。

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この辺りには「千代の古道(ちよのふるみち)」と刻まれた石碑が幾つか立っています。千代の古道とは、平安貴族が北嵯峨に遊行の折に通った道で、雙ケ岡―常盤―鳴滝―広沢池を結び、新古今集の藤原定家の歌など、多くの歌にも詠まれています。

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地名には「嵯峨野千代の道町」が残っていますが、道筋は地元自称など諸説があり定かではありません。藤原定家「嵯峨の山 千代のふる道 あととめて また露わくる 望月の駒」(新古今和歌集)

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定家の歌の意味は「千代の古道の跡を尋ねて、古例にならって私も露を分けつつ望月の駒を引いて参ります」。本歌は、在原行平「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代の古道 跡はありけり」(後撰和歌集)このあたりでも籾焼きが。

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行平の歌は、光孝天皇が嵯峨天皇の例にならって仁和2年(886)に芹川行幸したときに供奉したものです。他に景観が守られている田園風景としては、落柿舎の前の小倉餡発祥の地、修学院離宮周囲の国が買い上げた田園などがあります。

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ところで、刈り入れした田んぼにコスモスが多く見られるのも理由があります。栽培した植物(コスモス)を収穫せずに、土壌とともに耕すことで後に栽培する作物の肥料にする手法を「緑肥」というそうです。

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コスモスは管理にそこまで手間がかからず、田んぼが荒れるのを防いでくれ、土を肥やす効果もあります。また、土地によってはその景観が観光資源になっている場合もあるようです。広沢池の方を振り返って。

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案山(かかし)が並んでいました。

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大沢池を囲む生垣が見えてきました。

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コメント

彼岸花も、コスモスも、
秋を代表する不思議な花ですよね。
いい秋景色だと思います。

投稿: munixyu | 2022年10月 3日 (月) 12:45

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