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2022年10月 1日 (土)

秋の松花堂庭園をめぐる

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事につづいて松花堂庭園に入りました。「松花堂庭園」は、寛永の三筆のひとり松花堂昭乗(しょうじょう)の泉坊の庭園を男山の東車塚古墳の上に復元したものです。

9月末に訪れた記事に最新の情報を加えて再編集しています。様々な竹が植えられている庭園は今の時期にも風情があります。*庭園の入園料は、一般300円、学生220円、こども150円です。TOPは庭園内にある美術館別館の中からです。

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「松花堂美術館」 昭乗が遺した作品、交友のあった人たちにゆかりの美術品を展示する館蔵品展や企画展、特別展が開催されます。左には「吉兆 松花堂店」がありますが、この日はこれらには寄らず庭園に入りました(紅葉の頃に訪れました)。

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入口に吉井勇の歌碑。吉井勇は、戦後まもなく松花堂庭園の近くの宝青庵で暮らしていました。当時、谷崎潤一郎や志賀直哉などの文人・文化人も八幡を訪れました。「昭乗といへる隠者のすみし廬(いお)ちかくにあるをうれしみて寝る」

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東車塚古墳は四世紀末のものとされる前方後円墳で、その上に庭園が造られているのは珍しいそうです。天皇陵以外の古墳には、戦後の高度成長期に破壊・整地されたものが数多くあります。

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庭園内には様々な種類の竹が植えられ、日本庭園で使われるいろいろな垣根も置かれています。このあたりは「外園(がいえん)」とよばれ、竹林にモミジや草花も植えられ、それぞれの季節を彩ります。

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松花堂昭乗(1582-1639)は当時神仏習合だった石清水八幡宮で出家して、後に男山四十八坊の一つ「滝本坊(たきのもとぼう)」の住職を務めました。下は、枯れ竹ではなく「クロチク」。

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昭乗は僧として最高の位・阿闍梨まで昇り、一方で書の達人で、書画や和歌、茶の湯にも秀でていました。(小川はところどころで池になっていて、たくさんの鯉が泳いでいました。)

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最初は御家流の書を、後に空海や定家の書を学び、滝本流といれる独特の書流を立て、近衛信尹(のぶただ)、本阿弥光悦と共に、「寛永の三筆」と評されました。(覗いていると鯉が寄って来るので、慌てて餌を買いに受付に戻りました。)

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寛永元年(1624)には近衛信尋(のぶひろ)の推挙で将軍家書道師範として江戸に下向するなど、有力公家や将軍家とも親交がありました。

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寛永14年(1637)に住職を退いた昭乗は、「泉坊(いずみのぼう)」という寺坊に草庵「松花堂」を建てて、晩年を過ごしました。下は茶室

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千宗旦好みの茶室を、古図に基づき中村昌生氏(松花堂美術館名誉館長)が再現したものです。中くぐりを入ると内露地があり、そこの貴人口から小間・四畳半の茶室に入るようになっています。下は「萩光悦垣」。

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茶室の前に水琴窟があり、軽やかな音を奏でていました。

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茶室「松隠(しょういん)」 玄関、八畳の広間と四畳台目の茶室と水屋等から成っています。昭乗が住んでいた男山の瀧本坊に小堀遠州が造ったといわれる茶室「閑雲軒」を中村昌生氏が古図に基づき再現したものだそうです。

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明治の排仏毀釈で男山にある坊舎堂塔はすべて取り払われ売却されました。その際、草庵「松花堂」は山麓に移されました.。「キンメイモウソウ」

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明治24年(1891)に草庵「松花堂」が東車塚古墳のある現在地に移築されました。「金閣寺垣」 間柱に丸竹の立子を一列に配し、下部は半割竹の押縁が立子を挟み込み、上部に3本の半割竹の玉縁が渡されています。

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その後、所有者を数度変えながらも受け継がれ、昭和32年(1957)には男山山中にある松花堂跡とともに草庵「松花堂」とその区域が国の史跡に指定されました。「双龍垣」は光悦垣と九頭竜垣を組み合わせたもの。*内園部分の工事再開にともない、草庵「松花堂」の公開は令和4年5月31日(火)に終了しました。

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「美術館別館」 イベント、展示会、会議、発表会、お茶会などに利用できるそうです。*令和4年6月1日(水)より、ギャラリー1にて「松花堂庭園ゆかりの資料と南山焼」を開催しています。

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昭和52年(1977)から八幡市の所有となり「松花堂庭園」として公開され、平成26年(2014)国の名勝に指定されました。このあたりも外園で前方後円墳の平らな前方部分になります。

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茶室「竹隠(ちくいん)」 現代の数寄屋大工が工夫と技術を凝らした四畳半の茶室で、床の右側は優雅な琵琶床、左側は袋床となっています。こちらは工事中でした。

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広場の南の向こうは「昭乗垣」 まず左の「史跡 松花堂」と書いてある方に行きます。松花堂庭園は、平成30年(2018)の大阪府北部地震や台風21号による被害で休園していましたが、翌年10月から開園しました(当面外園のみ)。

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塀で囲まれた中が「内庭(ないえん)」、右の「泉坊書院」は泉坊の客殿で、小早川秀秋の寄進とも伝えられており、書院造りの建築様式は桃山時代のものです。

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「泉坊 車寄せ」 男山山中にあった「泉坊」の車寄せ(玄関)は伏見城の遺構で、扉に太閤桐の紋が付いており、京都府の登録文化財です。屋根の唐破風瓦は、「福」は近衛信尹、「禄」は本阿弥光悦、「寿」は松花堂昭乗の寛永の三筆の筆と伝えられています。

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草庵茶室「松花堂」 昭乗が寛永14年(1637)に建てたもので10尺(3.03メートル)角の方丈の庵で、京都府の有形文化財に指定されています。(下は過去の写真です。)

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泉坊書院の主室の間は玉座が設けられており、後陽成、孝明天皇がしばしば訪れ、この玉座の間で日の出の景を賞でたと伝えられています。

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内庭の反対側は昨日の記事で外から見た「表門」(西門)で、その横に塚があります。

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「女郎花(おみなえし)塚」 平安時代初期、都で契りあった男性を慕って来た女性が、すでに他の女性と契りをむすんでいることに悲観して泪川に身を投げ、男性も自責の念に駆られ同じく身を投じたとの言い伝えがあります。

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この話は世阿彌作の謡曲「女郎花」として語り継がれています。ここから出入り口までの間は「椿園」で、300本を越える椿が植えられています。椿は咲いていないので、目についたものを「カムロザザ」。

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「モウソウチク」 *庭園内の茶室(松隠、竹隠、梅隠)、美術館別館、美術館棟1階講習室は貸館として利用できます。例えば、茶会、文化活動、趣味の集い、前撮りコスプレなどで、その際には施設利用料とともに撮影許可申請書の提出が必要です。

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「シロバナマンジュシャゲ」が咲いていました。この後レンタサイクルで流れ橋の方に向かいました。

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コメント

竹も種類が多くて、なかなか名前がわからない植物ですよね。
模様とかで判断するにしても、素人では限界がありそうな気がします。

投稿: munixyu | 2022年10月 1日 (土) 17:52

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