南禅寺 水路閣の謎
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水路閣の謎とは大げさかもしれませんが、水路閣ができた経緯と市民や南禅寺の反対運動、水路閣の現状について紹介します。
水路閣の向こうに南禅院の勅使門が見えます。南禅院は亀山天皇の離宮の遺跡であり、南禅寺発祥の地と呼ばれています。
鎌倉時代の文永元年(1264)、亀山天皇はこの地に離宮・禅林寺殿を造営しました。その後、禅林寺殿の一部が焼失し、その跡地に上の御所(松下殿)を建てます。焼失を免れた部分は下の御所と呼ばれるようになります。「勅使門」
亀山天皇は文永11年(1274)に譲位して上皇となり院政を開始します。亀山上皇は弘安10年(1287)に上の御所に持仏堂・南禅院を建立しました。(方丈)
亀山上皇は正応2年(1289)に出家して法皇となり、正応4年(1291)には離宮を寄進して禅宗寺院の禅林禅寺とし、無関普門を開山として迎えました。これが南禅寺の始まりです。
方丈庭園 鎌倉時代末期に夢窓疎石が作庭したと伝わる池泉回遊式庭園で、国の史跡および名勝に指定されています。これから池の周りを一周します。
「亀山天皇分骨所」 亀山上皇は嘉元3年(1305)崩御し、墓は天龍寺境内に亀山陵、亀山公園に火葬塚があり、ここは遺言により分骨埋葬された御陵です(宮内庁の管轄地です)。
南禅院の池を巡る道の途中に後嵯峨天皇の皇后・西園寺姞子(きつし)粟田山陵に上る石段があります。姞子は亀山上皇と後深草上皇の実母でもあります。
皇位継承で問題がおきた二人でしたが、姞子は有力貴族の出身で二人の天皇の母でもあるので内外の崇敬を得ました。正応5年(1292)68歳で亡くなり、この地に葬られました。時に南禅院は、2世南院国師によって伽藍が建立、整備されている途中でした。
南禅院を出て、粟田山陵の方に向かいます。
勅使門の右手にある石段は、水路閣に流れる直前の琵琶湖疏水(分線)を通り、南禅院の裏山(借景の山)に続いています。途中にある「粟田山陵」の石碑があります。
途中にある南禅院の鐘楼、狭い場所にあって全体を撮ることはできません。
ところで、今では名所となっている水路閣ですが、琵琶湖疏水の当所の計画では山の中をトンネルで水路を通す予定でした。「西園寺姞子・粟田山陵」
そのトンネル工事は難工事ではなく、計画は順調に進んでいました。ところが、着工直前にトンネルの上に亀山天皇の分骨所がある事が判明して、宮内庁からストップがかかかりました。(粟田山陵からは南禅院の方丈や庭園が見えます。)
今ではレトロな姿ですが、当時は最新の洋風建造物で周囲と調和しているとはいえないものでした。南禅寺をはじめ住民からも反対運動がおこり、福沢諭吉も激しい言葉で計画を批判したそうです。(山陵のあたりから、琵琶湖疏水分線が見えます。)
もう一度、石段の上まで降りてきました。疏水沿いの散策路は蹴上の発電所の取水池を通りインクラインの上の公園まで続いています。琵琶湖疏水分線の当初の計画では、この部分は無くずっと手前(南)でトンネルになっていたと思われます。
そこで、急遽浮上したのが谷に橋をかけて水路を通す現在の水路閣の案です。結局は、宮内庁や近代化の御旗には勝てず水路閣は完成しました。
しかし、この対立は裁判に発展し、南禅寺が琵琶湖疏水分線と水路閣を管理する京都府(後に京都市)を訴えた裁判は、平成24年(2012)にようやく京都地方裁判所での判決が出ました。それは以下の通りです。
被告が各敷地について地上権を有するとした上で、この地上権(水路閣)は、原告の境内地が国有地であったときに、国と被告との間で琵琶湖疏水が存在する限り消滅しないことを前提として設置され、原告もそのことを認識した上で国から境内地の譲与を受けたこと等の事情から、原告が上記敷地使用権の更新を拒絶することが権利の濫用に当たるとして、原告の請求をいずれも棄却しました。
水路閣の建設から120年以上たった現在では、このあたりの景観になくてはならない存在になっています。それも、近代化遺産の廃墟ではなく、疏水分線の北部に水を流し続ける現役の施設だからともいえます。
ところが、平成20年(2008)7月にその橋台で長さ4メートルの亀裂が見つかり、京都市上下水道局はレンガなどが剥がれ落ちる危険があるとして防護工事を行いました。南禅院への階段の西側で、その部分は立ち入りができないようになっています。
調査したところ、倒壊の危険はなく大規模な改修の必要もないとのことでした。現在は定期的にひび割れの状態を監視しているそうです。このことは逆に、当時の設計・施工の優秀さを裏付けているともいえます。
亀山天皇の遺言によって南禅院に分骨所が造られ、それを避けるために建設された水路閣です。亀山天皇は、後世にこのような景色になるとは想像もできなかったことでしょう。
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コメント
新しいことをするのは、大変なことですね。
今の当り前は、当時の驚き。
よく、これを乗り越えてきたものです。関心します。
投稿: munixyu | 2022年9月11日 (日) 16:07