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2022年9月26日 (月)

安井金毘羅宮 秋の境内と櫛祭

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日(9月26日)は安井金毘羅宮の櫛祭が行われる日です。残念ながら行列は中止となりましたが、祭典は行われるそうです。そこで、秋の境内の写真とともに過去の櫛祭の写真を少し紹介します。

東大路通から見ると、安井金毘羅宮の参道が秋らしくなっていました。今では悪縁を切り良縁を結ぶ神社として知られていますが、その歴史は古く平安時代に遡ります。

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飛鳥時代の天智天皇の代(668~671)、藤原鎌足が一族の繁栄を祈願して仏堂を建立し、藤を植樹して藤寺と名づけました。

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平安時代後期、崇徳上皇(1119-1164)はこの藤を愛で、1146年に堂塔を修造して寵愛する阿波内侍を住まわせて、たびたび藤寺を訪れました。

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若くして譲位した崇徳上皇は、子の皇位継承問題に端を発した保元の乱(1156)に敗れ、讃岐(香川県)に流され亡くなってしまいました。(南の鳥居)

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悲嘆にくれた阿波内侍は出家して尼になり、上皇自筆の尊影を藤寺観音堂に奉納して、日夜ひたすら拝んだとされます。翌年、阿波内侍は寂光院に入り、後に入寺した建礼門院に仕え、その最期をみとったといわれています。

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1177年大円法師が観音堂に参拝した際に崇徳上皇の霊が現れたことを聞いた後白河法皇は詔(みことのり)を残し、後の建治年間(1275~77)に光明院観勝寺が建立されたのが安井金毘羅宮の始まりとされます。(金毘羅会館ではお抹茶がいただけます。)

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配流先の崇徳上皇が一切の欲を絶って国家安泰を祈願したことにちなんで、安井金毘羅宮は断ち物の祈願所となりました。下は、1978年に設置された縁切り縁結びの碑(いし)。

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形代(かたしろ)といわれる紙に願い事を書いて本殿に参拝します。その後、願い事を念じながらこの碑の穴を潜り抜け、最後に形代を貼り付けるのが作法だそうです。縁切りは表から、縁結びは裏から潜り抜けます。

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光明院観勝寺の建立より以前、鎌倉時代初期の1200年、後白河天皇皇女の殷富門院亮子(いんぷもんいんりょうし)内親王は、安井御所(右京区太秦)内に御堂を建て、真言宗の蓮華光院としました。開基は後白河天皇の皇子・以仁王(もちひとおう)の遺児・道尊僧正。

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土御門天皇皇子の道円法親王(1224-1281)が入寺した以後、蓮華光院は法親王門跡となり、安井門跡とよばれました。

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村上天皇の「安井の藤」の歌碑、「まとゐしてみれとも あかぬ藤なみの たゝまくをしきけふ にもあるかな」

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光明院観勝寺は応仁の乱(1467~77)で荒廃しましたが、1695年太秦安井にあった蓮華光院が現在地に移建された時に、その鎮守となりました。(拝殿)

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その際、安井門跡・道恕が讃岐金刀比羅宮を模した社殿を造り、崇徳天皇に加えて金刀比羅宮より勧請した大物主神(おおものぬしのかみ)と源頼政を祀ったことから安井の金比羅宮とよばれるようになりました。(本殿)

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明治時代の神仏分離令後の1873年、蓮華光院は大覚寺山内に移され、その後廃寺となりました。蓮華光院にあった「御影堂」は大覚寺に移築され、現在も「安井堂」として残されています。(金比羅絵馬館)

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一方、金刀比羅宮は現在地に残され、安井神社と称しました。終戦後の1945年、安井神社は再び安井金比羅宮と改称しました。(「厳嶋神社」、覆屋の中に5つの祠がありますが、祭神は不明だそうです。)

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末社の「天満宮」 菅原道真を祀り、天満宮25社巡拝所の一つになっています。

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天満宮の狛犬 江戸時代の1767年に建立され、京都で最も古い狛犬といわれています。

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境内の西の方に行くと「久志塚」があります。古い櫛の供養塚で、美顔のご利益があるといいます。

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毎年9月第4月曜日に「櫛祭」が行われ、13:30から古い櫛を供養する櫛供養式典が行われます。(写真は京都観光Naviからで、今年は日本髪の女性が参列するかは分かりません。)

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14:00から古墳時代から現代までの地毛で結った髪型と衣装を装った女性たちの時代風俗行列が祇園界隈を練り歩きます。(今年の行列は中止となりました。写真は京都新聞から)

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実は、櫛祭の実行委員会は神社のはす向かいにある「ミナミ美容室」にあり、女性たちの髪は南登美子さんによります。南さんは、古代からの300種類の日本髪を再現でき、京都美容文化クラブ会長など要職を務めています。(写真は公式・有職美容師・南登美子から)

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伊勢神宮祭主結髪・着付けを担当し、美智子上皇后を初め伊勢神宮に参拝する皇室の女性たちの髪を結ってきました。また、葵祭斎王代結髪・着付け・化粧、時代祭皇女和宮結髪・着付けなども行ってきました。

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「吉川観方小直衣之像」 観方(賢次郎、1894-1979)は画家、風俗研究家で、松竹合名会社の舞台意匠顧問。江戸時代の日本画や役者色摺版画、浮世絵、染織や小袖などの衣裳、装身具、祭具など3万点を収集し、現在複数の博物館に収蔵されています。

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境内の北西の奥に最近社殿が新しくなった八大力尊社があります。

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八大力尊社の石造りの八体の像は、詳細は不明ながら蓮華光院の柱を支えていた力石であったと伝えられています。社殿を新築した際には、大覚寺と安井天満宮が合同で法会・神事を行ったそうです。

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かっては地盤固めや基礎固め、現在では基礎能力向上のご利益の神様、困難に負けない力を授けてくれる神様として崇敬されています。

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