大徳寺・興臨院 特別公開中
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大徳寺塔頭の「興臨院」はいつもは非公開ですが、2022年9月3日(土)~25日(日)、10:00~16:30の期間、特別公開をしています。*9月23日は拝観停止。
「大徳寺山内図」 興臨院は大徳寺の総門を入り、ほぼ突き当りにあります(ピンク)。龍源院、瑞峰院、大仙院、高桐院の4塔頭は常時公開しています(水色)。
興臨院は、足利時代の大永年間(1521- 1528)に、能登国の大名・畠山義総が大徳寺86世の小渓紹怤(しょうけいじょうふ、仏智大通禅師)を開山として建立しました。以来畠山家の菩提寺となります。
表門(重要文化財) 創建当時の唯一の遺構で、大徳寺山内でも有数の古い門といいます。
畠山家が没落した後。天正14年(1586)に加賀百万石の基礎を築いた前田利家によって本堂屋根の改修が行われ、以後前田家の菩提寺ともなりました。
唐門(重要文化財) 唐破風と檜皮葺は室町時代の特徴を表し、波形の連子窓と客待の花頭窓は禅宗様式を踏襲しているとされます。
昭和50年から3年間行われた本堂、表門、唐門の解体修理によって、創建当時の形に復旧しました。併せて庫裡の新築も行われました。
本堂は方丈形式で、檜皮葺の屋根は現在の建物より低く、内部も簡素で寺院建築らしくなく、書院の間には日本最初の床の間が見られます。これらは、民家住宅への過渡期の特徴だそうです(内部は撮影禁止です)。
方丈の前庭は、文献をもとに昭和を代表する作庭家・中根金作により復元されました。白砂、築山、石組、石橋、松などから構成される枯山水庭園です。中根金作は妙心寺塔頭・大心院の阿吽庭も復元しています。
奥には二つの築山があり、その谷にかかる橋は、唐代の僧・寒山と捨得が生活していた天台山の国清寺のものを模しているとか。立石と松とともに、理想郷の蓬莱世界を表現しているそうです。
唐門は庭に通じているのですね。
方丈の西にある「爪塚」 前住職の奥さんが琴の先生であったこともあり、古くなった琴の爪を納めて供養しています。
方丈の北に来ました。向こうに茶室の「涵虚亭(かんきょてい)」が見えます。
1928年に山口玄洞によって建立され、中国北宋代の蘇東坡の詩から名付けられました。茶人・古田織部好みの四帖台目に「隅板」(格子組を補強するために四隅に付ける三角形の力板)を加えたものになっています。
山口玄洞は、明治から大正中頃まで活躍した実業家、帝国議会議員です。(方丈の東にも坪庭があり飛び石が茶室へと続いています。)
玄洞は、大正6年(1917)に56歳で引退すると、京都の本邸で静養するかたわら、信仰に没頭して資産の多くを寄付につかったそうです。(方丈の回りを一周しました。)
さらに、数寄者としても過ごして表千家の後援者としても活躍したそうです。昭和12年(1937)死去すると、大徳寺塔頭・龍翔寺に葬られ、故郷尾道の西國寺にも分骨されました。
こちらから茶室に行けます。
涵虚亭は、「給仕口」(給仕人の出入り口)を入ったところが板敷きとなっていて、さらにその右が床の間で、中が洞のように見えることが特徴でだそうです。ここから中には入れません。
興臨院は10月1日(土)~12月15日(木)の期間も特別公開の予定です。
さらに、塔頭の黄梅院と総見院も10月からの紅葉の頃に特別公開されます(日程は後日お知らせします)。
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