初秋の南禅寺 方丈庭園
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事の南禅寺・三門、法堂から、庭園を拝観するために本坊に向かいました。今頃の記事を再編集するとともに、9月の行事(〇印)を紹介します。
本坊の拝観は三門と同様に、3月1日~11月30日の期間は、午前8時40分~午後5時、拝観受付は拝観時間終了の20分前までです。
以下では、庭園が造営された経緯を理解するために、南禅寺の歴史を簡単に振り返ります。「本坊」
正応4年(1291年)に、亀山法皇がこの地にあった離宮を無関普門禅師(大明国師)に下賜し、開山として迎えて開創したのが始まりです。(臨済宗・黄檗宗の寺で見かけるポスター)
無関禅師の没後、法皇の命により規庵祖円禅師(南院国師) が31歳の若さで南禅寺第2世の住持となり、一宇もなかった伽藍の建立・整備に半生を捧げました。「大玄関」
〇お茶席、時間:9:30~15:30(12:00~13:00は休憩)、お茶席を団体で利用の場合(10人以上)は事前に連絡をお願いします。お茶席の「滝の間」
その後、南禅寺は五山の別格第一位となり壮大な伽藍が整備されて隆盛を極めましたが、応仁の乱で全てを消失してしまいました。「龍虎の間」
慶長10年(1605)に以心崇伝禅師(本光国師) が南禅寺第270世住持となり、寺を復興します。慶長16年(1611)に朝廷から女院御所の御対面所を拝領して方丈として移築し、その際小堀遠州の作庭で方丈庭園(下)が造営されました。(右が方丈)
崇伝禅師は南禅寺金地院と江戸の金地院を往還しながら新幕府の寺社行政に深くかかわり、黒衣の宰相と呼ばれたほどの実力者でした。(東西に長い地形に石組が左奥だけに置かれていて、遠近法で庭が広く見えます。)
築地塀の向こうにかっては借景として東山(大日山)が見えたそうです。白砂の広い空間を残し、巨大な石を横に寝かして配置する手法は江戸時代初期の代表的な禅院式枯山水式庭園です。
須弥山・蓬莱山などの仏教的世界観を表現した庭園とは異なり、水墨画の世界を表したともいわれ、俗に「虎の子渡し」の庭と呼ばれています。なお、大きな石は近江富士を表しているとされます。
方丈庭園は、昭和26年に国指定の名勝となりました。築地塀は5本の定規線を持つ筋塀で、南禅寺の格式の高さを表しています。
〇暁天坐禅 日時:9月11日(第二日曜日)、9月25日(第四日曜日)、時間:6時00分~(法話・坐禅で約1時間ほど)、場所:龍渕閣 ※開始10分前までにお越しください。(龍渕閣は上の見取り図にあります。)
方丈の西に回ると「小方丈庭園」が現れます。別名「如心庭」と呼ばれ、昭和41年に当時の管長柴山全慶老師が「心を表現せよ」と自ら熱心に指示指導して作庭されたそうです。
その名のとおり「心」字形に庭石を配した枯山水の石庭で、解脱した心のように落ち着いた雰囲気の禅庭園となっています。
〇写経会 日時:9月15日(木曜日)13時00分から、場所:龍渕閣、志納金:1,000円、持ち物は特に必要ありません。※開始10分前までにお越しください。
この後、いつくかの現代的な禅宗庭園を巡りました。
〇ご詠歌の集い「寧日会」 日時:9月27日(第四火曜日)、時間:13時30分から、場所:大寧軒、内容:ご詠歌の体験(南禅寺独秀流)及びお稽古、持ち物は特に必要ありません。(大寧軒は金地院の近くにあります。)
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コメント
秋の行事がどんどん開催されていきますね。
普通の生活、元の生活が少しずつ見えてきたような気がします。
投稿: munixyu | 2022年9月 6日 (火) 13:17