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2022年8月11日 (木)

夏の庭園 大徳寺・大仙院

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

通年公開している大徳寺塔頭で最後に訪れたのは大仙院です。境内の北にある宗務本部の横の道を行くと、「大仙院書院庭園」の石柱があります。ここから右に大仙院への参道があります。

突き当りは一休禅師ゆかりの真珠庵(通常非公開、TOP)、左に大仙院の表門が見えます(下)。*過去の夏の記事を再編集しています。

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「大仙院」は室町時代(戦国時代)の1509年、六角政頼がその子で大徳寺76世の古岳宗亘(こかくそうこう)を開祖として創建しました。「五葉松」

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大徳寺の塔頭の中で最も古く、大徳寺の四法脈のうちの北派の本庵で、南派の龍源院ととともに大徳寺を隆盛に導きました。

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1513年に開祖・古岳は方丈を建立(1523年の説もあり)、庭園の作庭を始めたといわれます。表門を入って左手に「玄関」(国宝)があります。

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1530年、公卿で歌人の鷲尾隆康が、今宮社参詣の帰りに大仙院を訪れて見事な庭と称賛しています(『二水記』)。玄関の右に、菩提樹、山法師と沙羅双樹という三種類の木が植えられています。

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鷲尾隆康が訪れた頃までに庭が完成していたとみられています。「菩提樹」は釈迦がその下で悟りを開いたといわれています。

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1544年に古岳は28項目の「当院後代法度」を定めました。本庵には厳しい制度が必要だったようです。弟子の驢雪鷹灞が著した『古岳和尚道行記』には、古岳の作庭について記されているそうです。「山法師」

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山法師は、中心に多数の花が集まる頭状の花序を法師(僧兵)の坊主頭に、花びらに見える白い総苞片を白い頭巾に見立てたもので「山に咲く法師」というのが由来だそうです。(下はWikipediaから開花している状態です。)

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「沙羅双樹」 沙羅双樹は釈迦が亡くなった場所に生えていた木です。上の菩提樹と沙羅双樹に加えて、釈迦が生まれた場所に生えていた無憂樹(むゆうじゅ)を合せて、仏教3聖樹といわれます。

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無憂樹はオレンジの花が幹や太い枝に直接付く珍しい木て日本では温室でしか育たず、山法師はその代用なのかも知れません。安土桃山から江戸時代にかけて、御朱印90石が配当され、末寺3がありました。

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織田信長の名石狩りを逃れるため、室町将軍家家臣・三淵藤英邸の庭石が大仙院に移されたといわれています。また、豊臣秀吉は醍醐三宝院に使うための庭石を没収しようとしましたが、3世古渓宗陳が防いだといわれます。

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江戸時代初期の1614年、沢庵和尚により書院と「カ亭橋」が建てられました。(庫裏の玄関前に鐘楼がありますが、由緒は不明です。)

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庫裡が拝観入り口になります。本堂は、日本最古の方丈建築遺構といわれ国宝、書院は重要文化財、庭園は室町時代の枯山水を代表する石庭で史跡・特別名勝に指定されています。建物に入るとすべての撮影ができません。

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庫裏の玄関前に「史跡名称大仙院書院庭園」という石碑が立っています。この庭園は室町文化を象徴する禅の精神を表した日本屈指の枯山水庭園といわれています。

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枯山水は手前の本堂を囲むように造られています。この先の何枚かの写真は、看板や別途購入したパンフレットの写真です。

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方丈の北東に広がる庭園の中心となるのが蓬莱山と枯滝の石組です。左右に観音石と不動石が配置され、石橋の手前の石は流れ落ちた激流の飛沫を表しているとか。右に鶴島があります。

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「鶴島」 左右の石が鶴羽石、中央手前が鶴尾石、奥の五葉松の左側にある平な小石が鶴首石だそうです。

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蓬莱山の左にある「亀石」 松の周りの石全体で亀を表しています。手前が脚、その向うの平らな石が甲羅の一部の坐禅石、右の苔で覆われている丸い石が頭部だそうです。

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方丈の東庭 蓬莱山の滝から落ちる激流は、透渡殿(すいわたどの)の堰に一旦止められ、堰を突破した水流は大河に至ります。砂紋の流れを切って進むのは、日本最高の名石といわれる「宝船」(長船石)です。形や安定感共に抜群の自然石の船です。

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方丈の南庭「大海」 自砂で整然とした流波が描かれ、一対の盛砂と隅に本の沙羅双樹があるだけです。簡素な構成が、大海に無限の広がりをもたらし、底知れぬ静寂の境をかもし出している。冥想と思惟に最もふさわしい傑出した石庭とされています。

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「生酉室(すいしょうしつ)」 方丈書院の隅にある茶室で、利休が秀吉にお茶をさし上げた部屋として有名。この故事にちなんで、お茶を所望する参拝客も多いそうです。向うに蓬莱山が見えます。

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方丈の北にある「拾雲軒と中海」  7代目沢庵和尚は漬物の発明者としても有名。左側の建物拾雲軒(重文)では和尚が宮本武蔵に剣術の極意を伝授したといわれます。蓬茉山の滝水が(左に)西行してこの中海に達します。

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庫裏の前の石畳に「子」の文字。12個の石が周囲に配置され方位を表す干支だと思われ、子(北)は大仙院の位置、あるいは北派の本庵を暗示しているのかも知れません。

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大徳寺塔頭で通年公開している龍源院、瑞峯院、大仙院は、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」2020年早春キャンペーンに登場しました。

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コメント

石庭は、石を探したり、運び込むのも、
大変だったのかもしれませんね。
どうやって探したり運んだりしたのかなあと、
ふと考えてしまいます。

投稿: munixyu | 2022年8月11日 (木) 18:53

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