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2022年8月 9日 (火)

夏の庭園 大徳寺・龍源院

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大徳寺の本坊は2020年の秋から約10年にも及ぶ大規模な修復に入り、現在特別公開を行っていません。その境内には24の塔頭寺院、門外に2つの塔頭寺院があります。そのうち、通年公開している龍源院を訪れました。

大徳寺の総門を入り、左の道を南にいくと龍源院があります。「表門」(重文)は切妻造、檜皮葺の四脚門、最初に拝観受付がある庫裡に入ります。(夏の季節の過去記事を再編集しています。)

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「龍源院」は、戦国時代の文亀2年(1502)に能登の領主・畠山義元、豊後の大友義長、周防の大内義興らが創建、大徳寺72世・東溪宗牧(とうけいそうぼく)を開祖に招きました。下図の線を引いてある廊下と縁側が拝観順路です。

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創建以来、大徳寺の四法脈のうち南派の本庵(龍源寺派の拠点)として、有力な地位を占めてきました。下は庫裡から方丈への廊下で、左に書院があります。

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明治初年の神仏分離令により、大阪の住吉神社内にあった往時の慈恩寺と岐阜高山城主・金森長近が大徳寺に創建した金竜院を合併して現在に至っています。「書院」は3間あり、左の間は来客用で、中央の間から入ります。

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「滹沱底(こだてい)」 臨済宗の宗祖・臨済禅師が住んだ中国河北の鎮州城の南に流れる滹沱川から名付けられました。右奥にあるのが「阿(あ)の石」です。

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 左奥が「吽(うん)の石」です。二つの石は建物の柱の基礎となる礎石で、かって聚楽第にあったと伝えられています。この庭は「阿吽の石庭」との別名があります。

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右の間に陳列棚があり、日本最古の銘がある火縄銃と側面に四季の草木の蒔絵がある碁盤があります。碁盤は秀吉と家康が伏見城で対局したと伝えられ、金森友近が秀吉から拝領したものです。  

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床の間には狩野探幽筆の達磨像の掛け軸がかかっています。

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書院と方丈の間に創建時からの「担雪井」があります。担雪は雪を運んくるという意味です。雪で井戸を埋めようとしても際限がなく、修行や教育は「根気が必要」という戒めを担雪埋井というそうです。

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方丈前の石庭は「一枝担(いっしたん)」と呼ばれています。開祖の東渓禅師が、師・実伝和尚より贈られた室号「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」より名付けられたといいます。 

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白砂は大海原を表し、下の苔山は「亀島」。ここに樹齢700年といわれた「楊貴妃」という中国種の山茶花の老木がありました。11月中旬から翌年の4月頃まで深紅の花が咲きましたが、昭和55年に樹齢が尽きてしまいました。

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右の石組みが「鶴島」で、左奥の石組みが「蓬莱山」を表します。蓬莱山は仙人が住むといわれる不老長寿の吉祥の島です。

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「室中」は方丈(本堂)の中心の間で、住持が説法をしたり法要を行う部屋です。

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襖絵の「龍と波の図」は筆者不明、室中の奥の「真前」は祖師や開祖を祀るところです。

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真前には本尊の釈迦如来坐像(重文)を祀っています。鎌倉時代の快慶の弟子・行心の作で、京都八釈迦の一つになっています。

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方丈(重文)は室町時代の禅宗方丈建築の数少ない一つで、軒瓦は八坂神社楼門とともに室町時代最古の様式だそうです。向こうに附玄関(唐門、重文)の裏側が見え、方丈、表門と同時代の建築です。

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「開祖堂」 方丈の西にある開祖・東溪禅師の塔所です。昭和の建築ですが、南北朝、鎌倉、室町時代初期の様式を取り入れた唐様木造建築の代表作だそうです。

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開祖堂前庭は「鶏足山(けいそくざん)」と呼ばれ 苔地に石畳、灯籠などが置かれています。

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「竜吟庭」 世阿弥の作と伝わる方丈の北庭で、ここでは杉苔の苔地が大海原を表し石組みが陸地です。

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右の石組みが「須弥山」。この世は九つの海、八つの陸地からなり、須弥山はその中心とされます。人間はもちろん鳥も飛び交うことができず、誰一人として窺い知ることができない真実の自己本来の姿を象徴しているとか。右前に遥拝石があります。

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「書院の間」 公式な訪問者を迎える応接間で「狐窟」という名があります。敷物の暖席(畳)は高貴な方が使い、一般の人々は使用できないそうです。右奥の屏風は「白藏主(はくぞうす)」という題で逸話があります。

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昔、堺の南宗寺塔頭・松林寺に雲水僧がいました。黒墨の衣を身に着け修行をするかたわら、こっそり町に出て貧しいもの、悩んでいるものを助けていました。実は、雲水は山内の耕雲庵に住む古狐でした。

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古狐亡きあと、人々は耕雲庵の裏山に祠をたてて、白藏主と名づけて丁寧に祀ったそうです。上の屏風はこの物語を題材にした明治の画家・鈴木松年の作です。

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「東滴壺」 方丈の東にある坪庭です。わが国で最も小さく、底知れぬ深淵に吸い込まれるような感じがする、格調高い石庭として知られています。

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南から見た東滴壺、これで方丈の外縁を一周しました。

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この後、通年公開しているもう一つの塔頭に向かいました。

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コメント

約10年にも及ぶ大規模な修復になるのですね。
時間にお金に。
こういう古い建物を保存していくのは、本当に大変なことですよね。

投稿: munixyu | 2022年8月 9日 (火) 15:44

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