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2022年8月19日 (金)

夏の邸宅 和中庵

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

「和中庵」は昭和初期に建てられた近江商人・藤井彦四郎の邸宅で、現在はノートルダム女学院中学高等学校が所有しています。年に数回、イベントや特別公開があります。昨年は秋に公開されたですが、今年の情報はまだありません。

以下は「京の夏の旅」として特別公開された記事を補足・修正したものです。下の「ユージニア館」に受付があります。

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以下では、この建物がたどった歴史を振り返りながら見学することにします。(一階の聖堂で簡単な説明があり、その後各自で和中庵の建物に移動します。)

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藤井彦四郎(1876-1956)は、日本の化学繊維市場の礎を築いたパイオニアの一人といわれます。(TOPの写真の洋館の前は広場になっていて、かって主屋がありました。)

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フランスでレーヨンが発明されたことを知ると、彦四郎はフランスやドイツから見本品を輸入して人造絹糸として宣伝活動を行いました。(洋館から渡り廊下が下の茶室に続いています。茶室は今回は公開されていません。)

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彦四郎の活動は、大正時代になって帝国人造絹絲(現・帝人)や旭絹織(現・旭化成)など、人造絹糸の国産化のきっかけを作りました。(洋館に入ると、一階に応接間があります。)

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その後、彦四郎自身は毛糸事業に重点を移し、共同毛織、共同毛織紡績(現・倉敷紡績)を興して「スキー毛糸」のブランドで成功して財を成しました。(2階に上がります。)

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2階に上がると板敷の2間がホールのようになっています。こちらは北の間で、かっての主屋へ行く廊下の出入り口が残っています。

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大正15年(1926)に彦四郎はこの鹿ヶ谷桜谷町の土地1万坪を取得し、邸宅の造営を始めました。本邸とともに、長男、次男、分家らの住宅も建造しました。

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本邸は昭和3年(1928)に完成し、友人の漢学者・長尾雨山により「何事にも偏らずに公平に」をモットーとして「和中庵」と名付けられました。(こちらは大きい方の南の間。天井にはシャンデリアがあります。)

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山裾を切り開いたため、西の眺めが素晴らしく、東山からは清らかな水が流れていました。主屋にはいくつかの部屋があり、大小の茶室もありました。(北の間には暖炉があります。)

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庭園には大きな石が配置され客殿と大きな茶室の前に一つずつ置かれました。さらに24の石灯籠がそこここに置かれたそうです。(北の間から渡り廊下が奥座敷(客間)につながっています。)

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大きな茶室の横(写真の下の谷)にはこの地域の桜谷町の由来となった桜の野生種(エドヒガン)の大木があり、4月上旬には美しい花を咲かせたといいます。(欄干の下半分にガラスを張ってあるのが珍しい。)

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奥座敷は洋館より高い場所に建てられているので、こちらは1階(平屋)です。畳敷きの3間が並んでいます。

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昭和初期には、当時の府知事からの紹介で皇族も何度か和中庵に来訪し、宿泊したといいます。1936年、彦四郎は私財を投じ藤井協成会を設立。地域の教育振興や文化の向上、社会福祉に関する事業の助成・補助を行ってきました。

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戦後になると、和中庵は彦四郎から藤井家の兄弟姉妹に引き継がれましたが、空き家になっていました。

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昭和23年にノートルダム教育修道女会のセントルイス管区本部の4名のシスターが来日し、京都で建物を探していてこの和中庵に出会いました。(広縁があり、大きな鞍馬石が踏み石として置かれています。)

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藤井家の人々は戦後になってもうこんな大きな家には住まないとして、和中庵の土地と建物をすべてノートルダム教育修道女会に売却しました。

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和中庵は、シスターたちの修道院としての役割を果たすため、シャンデリアは蛍光灯に、お座敷の畳はすべて板張りに、洋館は聖堂として、質素な佇まいに変えられました。(奥から西の方)

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多いときには60名ものシスターやその修練者たちが生活したそうです。(東の間には床の間がありますが、現在はなにも飾られていません。)

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やがてシスターたちの高齢化にともなって、和中庵は修道院としての役割を終えます。2008年にシスター達が引っ越しして、和中庵はノートルダム女学院中学高等学校に移管されました。(中の間に飾り窓があります。)

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その頃の和中庵は老朽化が進み、教育施設として活用するには多額の費用が必要なため一時は解体が決定されました。(天井から花を吊るすのだそうです。)

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しかし、関係者の保存への思いが多くの人を動かし、主屋以外の洋館、奥座敷(客殿)、蔵、お茶室などは保存されることになりました。(客殿の南西に板の間があります。書斎のように見えますが、もともとの用途は分かりません。)

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2014年から2015年の2年間に最小限度の改修工事をほどこすことにより、教育施設あるいは地域交流の場として活用することになりました。(このあたりからさっき見てきた洋館が見えます。)

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改修工事には、解体した主屋の資材を再利用したそうです。さらに、この建物群を末永くの維持管理するために、今年(2022年)の3月31日まで募金を行ってきました。

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和中庵を使用できるのは、本校の職員及び生徒、同窓会、父母の会等の学校関係団体に加えて、公共団体又は公共的団体、その他学校長が適当と認めた者となっています。(渡り廊下を通って洋館に戻ります。)

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直近では、6月7(火)~6月12(日)の期間、「ART & LIFE Ⅴ 」-芸術と生活- が開催され、陶、ファイバー、金属、漆、ガラスの10人の作家が講演を行いました。

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コメント

大正の雰囲気のある建物は、
センスがあっていいものですよね。

投稿: munixyu | 2022年8月19日 (金) 20:16

★munixyuさん こんばんは♪
レトロな洋館は雰囲気がありますね。

投稿: りせ | 2022年8月20日 (土) 23:28

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