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2022年8月22日 (月)

夏の庭園 相国寺・大光明寺

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全て拡大します。
大光明寺は山号を梵王山(ぼんおうざん)という臨済宗大本山相国寺の塔頭で「大光明寺禅寺」とも称されます。伏見宮家歴代の菩提寺で、かつて、伏見殿傍らに建てられて離宮の役割も果たしました。

大光明寺の門には柵がされており拝観拒絶の寺の様に見えますが、右の潜り戸が開いていて中に入ることが出来ます。*過去の夏の記事に加筆、再編集しています。

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大光明寺は、左大臣西園寺公衡の長女として生まれ、後伏見天皇(1288-1336)の皇后となった、広義門院西園寺寧子によって建立されました。

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門院は深く仏教に帰依、夢窓疎石国師によって禅学を修し、延元元年(1336)天皇が薨去されると落飾、尼となりました。暦応2年(1339)伏見離宮の傍らに国師を開山に迎えて一寺を建立、その法号をもって大光明寺と称し天皇の菩提を弔いました。

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当初は伏見桃山にあり伏見宮家歴代の菩提寺となりました。応仁の乱によって荒廃。その後豊臣秀吉の手により復興し、慶長19年(1614)に徳川家康によって現在地に移され、相国寺塔頭として再興されました。

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方丈は、江戸時代の1818年伏見宮17代・邦頼親王17年忌に新女御院宮殿を下賜されて再建。前庭は「峨眉山の庭」と名付けられ、石、白砂、刈り込みの美しい老松からなる枯山水の庭で、作庭は近年(昭和50年代?)で当時の住職によります。

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山門と中門の間に白砂が敷かれ砂紋が引かれ、苔地に石組があります。峨眉山とは、中国四川省峨眉山に由来し、この地は普賢菩薩道場とされており、庭はこの山の険しさと禅修行の厳しさを表しています。

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塀の白、木々、苔の緑、白砂と石の美しい庭園で、桔梗が植えられています。大光明寺は「京都十三仏霊場めぐり 第4番 普賢菩薩霊場」です。十三仏とは故人の中陰や年忌法要を勤めるときに本尊とする十三体の仏・菩薩のことです。

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足利義政が歴代将軍の供養をし十三仏を祀ったことが全国へ波及し十三仏信仰となりました。不動明王・智積院、釈迦如来・嵯峨釈迦堂、文殊菩薩・霊雲院、普賢菩薩・大光明寺、地蔵菩薩・大善寺、弥勒菩薩・泉涌寺、

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薬師如来・因幡薬師、観音菩薩・千本釈迦堂、勢至菩薩・仁和寺、阿弥陀如来・法金剛院、阿しゅく如来・法観寺、大日如来・東寺、虚空蔵菩薩・法輪寺です。中門を入ると「本堂」。

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「本堂」に祀られている本尊の普賢菩薩像は、辰年と巳年生まれの守り本尊で、福をもたらし命を延ばすとして信仰を集め、六本の牙をもつ白象に乗った仏様としても知られています。(下は別の日の特別公開のときの看板)

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あらゆる時あらゆる場所に現れる賢者として、普く(あまねく)賢い普賢菩薩と名付けられています。本堂の扁額「大光明寺」

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本堂の前に「心字の庭」が広がっています。

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「心字の庭」とは石の配置が「心」という字の様に見えるから名付けられたようです。広い白砂と塀際の苔地に簡潔な石の配置です。手前が、第一画目、向こうが二画目のようです。

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「峨眉山の庭」が禅の修行の厳しさ、この「心字の庭」が修行後の悟りを得た安らぎを表しているのかも知れません。ここが、二画目と、点々かな?

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広くて落ち着いた雰囲気の庭で、こちらにも桔梗が植えられています。

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点々の一つは動物かな? って思わせる石です。

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本堂横は苔庭に石畳の通路があります。  

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緑の美しい庭で、森の中の散策路の雰囲気があります。

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