夏の境内 日野薬師・法界寺
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
法界寺 (ほうかいじ)は山号を東光山と称する真言宗醍醐派別格本山です。日野薬師あるいは乳薬師の別名でも知られます。*過去の記事に写真や説明を加えて再編集しています。
日野は『方丈記』の著者である鴨長明の住んだ地で、親鸞の生誕地としても知られます。かつて山城国宇治郡日野と呼ばれたこの地は日野家の領地で、日野家は藤原北家の一族で、儒学や歌道をよくした家柄で、日野富子も一族でした。
平安時代後期の永承6年(1051年)、もと文章博士で後に出家した日野資業(ひのすけなり)が、薬師如来を安置するお堂を建て、開山として伝教大師最澄を迎えたのが法界寺の始まりとされています。
代々日野家の一族門葉が資材をなげうって堂塔を整え、荘厳美麗をきわめていましたが、応仁の兵火(1467-1477)で焼失、いまに残るのは右の本堂(薬師堂、重文)と左の阿弥陀堂(国宝)の二宇だけです。
薬師堂 康正2年(1455)の古建築で、重要文化財指定の本尊薬師如来像(伝・伝教大師作)と脇士日光月光十二神将(伝・運慶作)を安置。この本尊に祈願すると、授乳の霊験があらたかであるといいます。
薬師堂の格子には、「安産、子育」等の願い事が書かれた「よだれ掛け」が掛けられています。薬師如来像には日野家伝来の小像の薬師如来を胎内に収めていることから、胎児をやどす婦人には、安産、授乳、子授、子育のご利益があるとされます。
阿弥陀堂(国宝) 平安時代の永承年間(1046-1053)に建造、藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想等の影響を受けた典型的な阿弥陀堂建築の一つ。屋根には宝珠露盤を置き、屋根の勾配もゆるやかで、外観は軽妙温雅です。
阿弥陀如来像(国宝) 平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様。寄木造、漆箔、八角九重の蓮華座の上に飛天光を背にして坐ります。丈六、上品上生(弥陀定印)で、穏やかな慈容に流れるような衣文をたたんで薄い衣をまとい、円満豊麗な藤原時代の阿弥陀仏を代表。
阿弥陀堂内の長押上の漆喰の壁間には天人の壁画(重文)が描かれています。板壁でなく土壁に描かれた壁画として日本における稀少な例の1つです。法隆寺金堂壁画焼失後、日本最古で絵画史上貴重なものです。
壁画47面 - 内陣長押上の小壁に描かれた23面(飛天図10面、楽器・仏具図5面、阿弥陀如来像8面)と、その上部の壁に描かれた宝相華文(ほうそうげもん)24面からなり、さながら現世の極楽浄土の世界を表しています。
四天柱4本-四天柱(仏壇周囲に立つ4本の柱を指す)にも、金剛界曼荼羅の諸仏や、十二天、迦陵頻伽などの絵画が残っていますが、剥落・褪色が甚だしいとされます。庫裏
本堂(常時公開)内の壁画はとっても素晴しいものでした。この日も学生グループが堂内の壁画を見に来ていました。
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コメント
とにかく昔は火事が怖いものでしたよね。
今もかもしれませんが。
火事にならなかったものだけが、今に残っているわけで、
そう考えると、残っている建物は奇跡的なものなのでしょうね。
投稿: munixyu | 2022年8月23日 (火) 18:49