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2022年8月 5日 (金)

夏の庭園 妙心寺・大心院

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の記事の妙心寺塔頭・桂春院から南に歩き、いくつもの塔頭を通り過ぎると大心院の山門があります。塔頭ですが正法山という山号があり、妙心寺の大方丈の東になります。

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「大心院」は足利幕府管領・細川政元が妙心寺10世景堂玄訥(けいどうげんどう)を招いて創建しました。玄訥は師の景川宗隆(けいせんそうりゅう)を勧請開山としました。(入口を入って右に拝観受付があります。)

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創建年は明応元年(1492)あるいは文明11年(1479)ともいわれ、創建地は細川政元の私邸、妙心寺山内、上京清蔵口など諸説あります。(受付を過ぎると。左の方丈の向こうに庭が見えます。)

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方丈の南庭は「切石の庭」と呼ばれています。苔地と白砂の州浜からなり、白砂の中央には二列の長形の石が平行に配置されています。左(東)に祖堂が見えます。

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中央は切石花壇になっていて牡丹が咲くといわれていますが、まだ見たことがありません。

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花壇の右の石の上にお地蔵さんがいました。三千院のわらべ地蔵と似ていますが、作者が同じか分かりません。右にこけしのような小さいお地蔵さんが寄りかかっています。

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本堂の中央には本尊の十一面観音が祀られています。

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方丈(本堂)は、江戸時代の寛永年間(1624-1643)に建てられました。

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方丈から阿吽洞に渡り廊下がつながっています。「阿吽洞」は彫刻家・佐藤玄々(さとうげんげん、1888-1963)が戦後の1949年に開いたアトリエです。

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佐藤玄々は福島県の宮彫り師の家に生まれ、上京して彫刻家・山崎朝雲に師事、30歳で朝山の号を得て独立、大森にアトリエを開きました。この庭は方丈東庭ですが、阿吽洞にちなんで「阿吽庭」と呼ばれています。

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日本美術院留学生としてアントワーヌ・ブールデルに師事、作品が認められ美術院や芸術院の会員となり、横山大観は天才と称しました。しかし、師と対立して号を返上、1945年空襲によりアトリエが全焼しました。(百日紅が咲いていました。)

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1948年から『老子』の一節から玄々と名乗り、孤高の天才彫刻家の代表作に皇居の「和気清麻呂像」(ブロンズ)や下の写真の日本橋三越本店の「天女像 まごころ」(木彫彩色)があります。

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2016年3月には三越本店で「生誕130周年 佐藤玄々(朝山)展」が開催されました。庭の向こうの「祖堂」は江戸時代の1666年に建立、本山妙心寺に売却後、近年(2003年)になって返却されました。

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阿吽庭は、中根金作(1917-1995)によって作庭された築山式枯山水庭園で、長方形の庭には手前に白砂と5色の17個の伏石を配置して、苔地には植栽がほどこされています。

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白砂と苔地の境界は緩やかな曲線になっていて、白砂の州浜は昇竜を表しているともいわれています。

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阿吽洞の正面にある苔地の築山に三尊像を表した石組があります。寺ではこの庭を第二の本堂と呼んでいるそうです。拝観順路はここから方丈の裏(北)を通って入口に戻ります。

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大心院は、戦国時代の戦火により焼失して細川政元の下屋敷に再建されました。その後、安土桃山時代の天正年間(1573-1593)に細川幽斎の助力によって現在地に移転して妙心寺の塔頭になりました。

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その頃から宿坊を営み、当初は末寺の僧や行脚の雲水の一夜の宿でしたが、現在では一般に開放され、外国人にも人気のようです。多くの宿坊がXX会館のように独立した建物であるのに対して、

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先ほどのアトリエも含めて、お寺の建物に泊まれる数少ない宿坊です。門限21時、朝のお勤めは自由参加で、精進料理(上の写真)の朝食が頂けます。ただし、現在は休止しているようです。方丈の裏庭

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向うに「家門繁栄、玄峰、堪忍」と書いた暖簾があります。山本玄峰(1866-1961)は和歌山県に生まれ結婚後の20歳過ぎに目を患い失明同然となってしまいました。弟に家督を譲って四国八十八箇所の霊場巡りに旅立ちます。

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7回目の遍路の途上高知県・雪蹊寺の門前で行き倒れとなり、和尚に助けられて寺男として働き始めました。勤勉振りから入門を勧められ修行を始め、後に雪蹊寺の住職になりました。(生活感のある内庭です。)

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その後全国で修行を続けていくつもの古刹を再建、諸外国に訪問の後に、昭和22年妙心寺の管長に推薦されました。翌年には花園大学の改革に着手しました。

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次に住職となった三島市の龍沢寺には昭和の多くの著名人が参禅に訪れました。首相の吉田茂や池田勇人、実業家の四元義隆や田中清玄、岩波書店創業者の岩波茂雄、一燈園の創始者で宗教家、社会事業家の西田天香などです。

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首相の鈴木貫太郎に終戦を勧め、天皇の終戦の詔「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言、象徴天皇制を発案したことでも知られています。

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「堪忍」は仏教用語で、元々「堪え忍ぶ」という意味だそうです。暖簾には「堪忍袋」が描かれ、字は山本玄峰の墨蹟です。

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コメント

夏の庭は、うっそうとした茂りの中にある、
独特の静けさがいいですよね。
暑い中にある、涼しさに癒されます。

投稿: munixyu | 2022年8月 5日 (金) 15:39

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