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2022年7月30日 (土)

一条戻り橋 わらべ歌と演歌

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

「一条戻り橋」は、先日紹介した「丸竹夷」と同様に、東西の通りを歌った数え歌です。こちらは、X条という通りだけが登場し、その通りを代表するものを一つだけ挙げています。当時の人々が通りにどのようなイメージを持っていたかが分かります。

「一条戻り橋」 最初の歌詞でもあり、一条通を代表するのが「戻り橋」です。平安京の北端の一条大路にかけられたこの橋は内裏と京外を分けていました。また、近くの蓮台野という葬場に向かう葬列を見送り引き返す場所でもありました。

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以後様々な伝説が生まれました。修験道の浄蔵貴所が死後5日目の父を蘇生させ、武将・源頼光が鬼女を退治、陰陽師・安倍晴明が式神を隠し、江戸時代には市中引き回しの刑の罪人をこの橋まで連れてきて引き返したといいます。

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「二条の生薬屋」 二条通は江戸初期から生薬(きぐすり)の町として栄えた場所です。下は医薬の神々を祀った「薬祖神祠」。「二条の薬屋」という場合もあります。メロディーはこちらの動画にあります。

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「三条酒屋に」 江戸時代、酒造りを認可された「造酒屋仲間」の組がいくつかあり、市街中央には「中妙泉寺組」、「上妙泉寺組」、「下妙泉寺組」がありました。妙泉寺は二条城南の三条大宮西入るにある寺です。「三条会商店街」

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「三条のみすや針」という歌詞も歌われました。下は「三条名店街」の河原町側の入口、入って右手に縫い針で有名な「福井みすや針」が今でも営業しています。

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「四条の芝居」 江戸時代初期の元和年間(1615-1624)北野、四条河原、五条河原にあった芝居小屋は、京都所司代・板倉勝重によって四条河原に集められました。唯一現存する「南座」

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「五条の橋弁慶に」 橋の西詰に「牛若丸弁慶像」があります。武者が持つ千本の刀を集めていた弁慶が、この橋の上で牛若丸と戦う場面です。ただし、当時の五条大橋は北の松原橋のあたりにあったそうです。

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「六条の本願寺」 堀川通に面して西本願寺(下)、烏丸通に面して東本願寺があります。歌がどちらかの本願寺を指しているのか、両方なのかは分かりません。「六条の数珠屋町」という場合もあります。

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「七条米相場に」、「七条お芋ほり」、「七条そば屋」などと歌われました。江戸時代、六条新地に米売買会所(米市)がありました(七条ではありませんが)。お芋ほり、そば屋は当時の認識でしょうが、よく分かりません。

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「八条のお百姓 お百姓」、「八条たけのこ」、「芋掘り」 いずれにしても八条は田畑が広がっていたのでしょう。八条通に面する蓮華寺から。

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「九条羅生門に東寺の塔」、「九条のお百姓」や「十条の羅城門?」などという例もあります。下は九条通に面する「羅城門跡」。

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最後に、小金沢昇司さんが歌う演歌に「願・一条戻り橋」(作詞:志磨ゆり子、作曲:大谷明裕)があります。「ああ あなたの手の 温もりが恋しい」で始まり、「祈り 一条戻り橋 夢でもかまわない」「願い 一条戻り橋 あなたに逢いたい」で終わります。

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途中にの「ああ 突然別れが くるなんて」、「それは 信じられない ことでした」、最後の祈りや願いなど、単なる失恋の歌ではなさそうです。一条戻り橋の伝説にあやかっているのかも知れません。

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