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2022年6月 3日 (金)

菅原道真と度会春彦(白太夫)

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

菅原道真を祀る神社には、必ずといってよいほど度会春彦(白太夫)が摂社として祀られています。今日は度会(わたらい)春彦および道真との関係について少し詳しく紹介します。写真の最初は北野天満宮です。

楼門には道真の歌が掲げられています。「美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」、阿呼(あこ)は道真の幼名だそうです。

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渡会春彦は伊勢豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の大内人(おおうちんど)を務めていた渡会高主(わたらいのたかぬし)の6男として生まれました。両側には道真にゆかりの四つの摂社が並んでます。

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高主は当初子供に恵まれず祈願したところ、翌年に双子を授かり、翌年も双子を授かり、更に翌年も双子を授かりました。春彦は最後の双子として兄・秋並(あきなみ)と共に11月18日に生まれました。「白太夫社」

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春彦は成長の後、豊受大神宮の権禰宜を長く務めていましたが、若い頃より頭髪が真っ白であったため「白太夫(しろだゆう)」と呼ばれていました。神社の役職は宮司、禰宜が各一人、権禰宜の人数は制限がありませんでした。「三光門」

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一方、菅原是善(道真の父)は、長男・次男を相次いで失ったことから配下に当たる島田忠臣を通して伊勢豊受大神宮にいる白太夫に安産祈願をさせました。(祭神の菅原道真には学業成就や合格祈願のご利益があるとされます。「社殿」)

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その結果、是善に道真が生まれました。道真の出生を大層喜んだ是善により、安産祈願した白太夫は道真の傅役(もりやく、養育係のこと)として京都に招かれ、以来数十年にわたって度々上洛して道真に仕えました。「文子天満宮」

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寛平9年(897)既に中納言となっていた菅原道真が伊勢神宮への侵入者取り締まりを目的に検非違使設置を上奏し、度会郡(神郡)への検非違使増員が認められました。同年には白太夫が検非違使に任じられました。

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白太夫は占いに長けていて霊感も強く、道真の異例の出世に一役かっていたと伝わっています。「白太夫社」

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延喜18年(918)6月には、禰宜を務めていた兄・冬雄から同職を引き継ぎ、15年ほど禰宜職を務めました。この間現在の豊受大神宮の神事作法を概ね立脚したといわれています。「水火(すいか)天満宮」

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延喜元年(901) 道真が太宰府へ左遷された(昌泰の変)際には、朝廷を憚って誰も道真の許に参る者がいない中、老齢ながら太宰府まで付き従い奉仕し続け、その最期を看取りました。「本殿」

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また、高知県高知市にある潮江天満宮の伝承では、延喜3年(903)2月に道真が筑紫にて薨去した後、白太夫は父に連座して土佐に配流されていた道真の長男の高視のもとへ向かい、道真が使っていた御剣と御鏡を届けました。

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高視がそれらを御霊代(みたましろ)として祭祀し始めたことが潮江天満宮の創建の由来とされています。「菅大臣神社」

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白太夫はその後承平3年(934)禰宜職を長男晨晴(あきはる)に譲り、天慶9年(946)1月に死去しました。右が「白太夫社」。

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伊勢国山田船江(三重県伊勢市船江)の金剛寺の境内にあった6尺(約180cm)ほどの巨石が春彦の墓とされています。この巨石は、もとは白太夫が太宰府へ道真のお供をした際に播磨の袖ヶ浦で拾って伊勢に持ち帰った小石だったそうです。

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後に寺の境内にあった天神の祠に小石を置いたところ、年月を経るにつれて巨石になり袂石(たもといし)と称するようになったという伝承があります。「錦天満宮」

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天神信仰の広がりとともに、天満宮の境内社(摂社)として白太夫が祀られるようになりました。神になった道真に対してもお供をしているかのようです。白太夫にはご利益として子授けや長寿があります。「白太夫神社」

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コメント

道貞は、白太夫の安産祈願で
生まれたのですね。
白太夫の力は、よほど凄かったのでしょうね。

投稿: munixyu | 2022年6月 3日 (金) 15:47

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