鴨川を守る神仏
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
今日は賀茂川(鴨川)の源流の雲ケ畑から四条大橋まで下り、それぞれの場所に祀られている神々を紹介します。雲ケ畑の岩屋橋から、岩屋川(賀茂川)沿いの道をさか上ったところに「志明院」があります。(寺務所・庫裏)
飛鳥時代中期の650年、修験道の祖である役(えん)の行者が創建したのが志明院の始まりとされます。平安時代前期の829年、淳和天皇の勅願により弘法大師(空海)が再興し、鎮護国家の祈祷を行いました。
本尊の不動明王像は淳和天皇の勅願による弘法大師作、根本中院本尊の眼力不動明王は宇多天皇の勅願による菅原道真作とされます。皇室が崇敬した理由は、鴨川の水源地である洞窟の湧水を敬い、水神を祀り、清浄な鴨川の用水を祈願したと伝えられています。
中は撮影できないので、見せていただいた地図を載せておきます。順路の途中に鴨川源流・岩屋川の流れを集めた「飛竜の滝」があり、あちこちの洞窟(岩屋)には祠が祀られています。地図の一番上の岩屋清水まで往復30~40分くらいかかります。
岩屋橋で岩屋川と祖父谷川が合流して雲ケ畑川となり、その下流に「厳島神社」があります。かっては延喜式に載る式内社で、女神・天津岩門別稚姫(あまついわとわけわかひめ)を祭神として、当地域の産土神かつ水源地を護る神として信仰されてきました。
いつしか「雲ケ畑弁財天」と呼ばれるようになりましたが、明治の廃仏毀釈の際に安芸の厳島神社にあやかって現名称に改めたそうです。さらに下流の「出合橋」で、雲ケ畑川と中津川が、十三石橋で鞍馬川が合流します。
山間から抜けたところに御園橋があり、その先に上賀茂神社の新鳥居が見えます。裏山の「神山」に降臨した賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を祀ったことが、上賀茂神社の創建の始まりとされます。
本殿の前で、左から流れてくる御手洗川と右の神山から流れてくる「御物忌川(おものいがわ)」が合流します。御手洗川は御園橋の上流、志久呂橋の下流で取水されています。
摂社の「須波神社」 平安時代に始まり、祭神の阿須波神(あすはのかみ)は、神域を支配する神、波比祇神(はひきのかみ)は本宮前庭の守護神。生井神(いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)は御物忌川、御手洗川の守護神。
御手洗川はいくつかの摂末社に守られ、ならの小川として境内を流れます。境内の外で一部は明神川として社家町を流れ、残りは再び賀茂川に放流されます。上賀茂神社は賀茂川の水を浄めているともいえます。
賀茂別雷神の末裔とされる賀茂一族は、賀茂川と高野川に囲まれた地域を神領として、京の水の清浄を守る役割をしてきました。「下鴨神社」
河合神社の本殿の玉垣内に摂社「貴布禰神社(きふねじんじゃ)」があり、水の神・高龗神(たかおかみ)を祀ります。
「出町妙音堂」は正式名称を「青龍妙音弁財天」といい、相国寺塔頭・大光明寺が管理するお堂の一つです。その歴史は古く、この地域の人々に出町の弁天さんとして親しまれてきました。
明治の東京遷都(1869年)にともなって伏見家が移転し、妙音堂も東京に遷座されました。地元の信徒らの懇願によって、1901年に妙音堂が本尊とともに現在地に遷され現在に至ります。
寺町通の二条近くに「行願寺」があります。山号を霊麀山(れいゆうさん)という天台宗の寺院で、革堂とも呼ばれ、西国第19番札所です。平安時代の寛弘元年(1004)に行円が一条小川に堂を建てたのが始まりとされます。
境内の西北の隅にある「加茂大明神五輪塔」 室町時代の作とされます。五輪塔の水輪がくり抜かれて、その穴に「加茂大明神」が彫られています。
行円は、賀茂社の神木のケヤキの木を頂いて、本尊の千手観音を彫ったという伝承から、加茂大明神が祀られたといわれています。
三条大橋東詰に檀王法林寺の川端門があります。正式名称を「朝陽山 栴檀(せんだん)王院 無上法林寺」という浄土宗鎮西派の寺院で、一般には親しみを込めて「だん王さん」と呼ばれています。
参道の左に昭和61年に再建された「龍神堂」があります。龍神堂に奉られていた「加茂川龍神」は、晴雨を司る神様として旱(ひでりや水難から守ってくれる神様です。
晴天、雨請(あまごい)等の天候を祈願するお堂として古くから信仰を集めていましたが、加茂川龍神立像は現在本堂に移されています。
四条大橋から西の商店街の一画に「仲源寺」があり、山号を福寿山という浄土宗の寺院です。平安時代中期の仏師定朝(?~1057年)が四条橋の東北に地蔵尊を祀ったのに始まるといわれます。
鎌倉時代の安貞2年(1228)鴨川が大雨で洪水となり、防鴨河使(ぼうかし)となった中原為兼がこの地蔵尊に止雨を祈ったところ雨がやんで洪水も治まったことから、朝廷から「仲源寺」の寺号を下賜されたといわれます。
玉眼入りの眼が赤く、風眼(ふうがん、風や空気によって起こる結膜炎)を患うように見えることから、眼病平癒の信仰を集めました。また、当初は「雨止み地蔵」と呼ばれていたのが、なまって「目やみ地蔵」となったともいわれています。
八坂神社の祭礼としての祇園祭は、7月17日の神幸祭、24日の還幸祭が中心です。3基の神輿に乗った祭神たちが、氏子地域を巡回して、街と人々の平安を守る神事です。主祭神の素戔嗚尊が乗る中御座(なかござ)神輿を、
輿洗神用水(あらかじめ鴨川の水を汲んであります)で洗い清めるのが神輿洗会(みこしあらいえ)です。八坂神社を出発した祭列は最初に仲源寺でお祓いをします。ここでは、鴨川の水は清浄なものとみなされています。
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コメント
賀茂川(鴨川)は、いろんな神様に守られているのですね。
災害とかもあまり聞かないのは、そのためなのかもしれませんね。
賀茂川の有難みが伝わってきます。
投稿: munixyu | 2022年6月23日 (木) 19:32