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2022年6月28日 (火)

桔梗の咲く風景

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、桔梗が咲く風景をお届けします。最初は昨日の紫陽花苑でも出てきた「智積院」で、桔梗は寺紋になっていて、その起源は安土桃山時代にさかのぼります。「冠木門」

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豊臣秀吉は3歳で死去した子・鶴丸(棄丸)の菩提を弔うために、1591年に加藤清正に命じて禅寺・祥雲寺を建立しました。桔梗は明智光秀の家紋でもありますが、こちらの桔梗は加藤清正の家紋に由来します。(参道の両側に桔梗が咲いています。)

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秀吉没後の1598年に、秀吉と真言宗・根来山との戦いで高野山に難を逃れていた塔頭寺院・智積院の住職・玄宥(げんゆう)僧正は、京都東山で智積院の再興を始めました。

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関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、その翌年の1601年、秀吉を神として祀る豊国神社の付属寺院の土地建物を玄宥に与え、智積院はようやく復興しました。

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さらに、1615年に大坂夏の陣で豊臣氏が滅ぶと、隣接地にあった祥雲寺の寺地が智積院に与えられました。当時の主要な建物が祥雲寺のものであったことから、寺紋が桔梗紋になったと考えられています。金堂のあちこちに桔梗紋が見られます。

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「晴明神社」 平安時代中期の寛弘4年(1007)一条天皇の命により創建。晴明の偉業を讃えその霊を鎮めるため、その屋敷跡である現在地に社殿が設けられました。一の鳥居に社紋の「晴明桔梗」の額がかかっています。

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鳥居の額に社紋が掲げられるのは全国的にも珍しいそうです。晴明桔梗は「五芒星」とも呼ばれ、晴明が創始した陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつです。「二の鳥居」

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境内には晴明桔梗という名の桔梗が咲いていました。今年は5月28日に一輪開花したのが確認され、秋まで長く境内を彩るそうです。

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これに伴って、本年も「桔梗守」と「ききょう土鈴」の授与を開始したそうです。

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「蘆山寺」も最近何度も登場していて恐縮ですが、こちらの庭も桔梗とゆかりがあります。拝観入口の本堂玄関

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この地は平安時代の歌人・紫式部の住居があった場所とされ、本堂前庭の平庭の枯山水は紫式部にあやかり「源氏庭」とよばれています。

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蘆山寺の説明では、源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことで、庭の紫の桔梗が6月から9月末まで花開くそうです。源氏物語第20帖の巻名「朝顔」は、光源氏と賀茂斎院を退き屋敷にこもっていた朝顔の歌によります。

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万葉集の時代から朝顔は桔梗のことを指していましたが、やがて大陸からムクゲや現在の朝顔がもたらされ、さまざまな花を朝顔と称するようになったようです。源氏物語の朝顔はムクゲだという説も有力です。

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天正10年(1582)本能寺にいた主君織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで豊臣秀吉に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、山科・小栗栖の竹薮で農民に襲われて自刃しました。柳の白川

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光秀の首は翌日には秀吉軍に届き、本能寺、次いで粟田口で晒されたといわれます。一方、三条白川下ルの路地を入ったところに「明智光秀首塚」があり、ちょっと違う話が伝わっています。和菓子屋「餅寅」

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家来の溝尾庄兵衛が光秀の首を落とし妙心寺に納めようとして知恩院の近くまできましたが、夜が明けたためこの地に首を埋めたと伝えられています。

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江戸時代中期(1771年)に近所に住んでいてその首塚を守ってきた明田理右衛門からそばの餅寅さんが引き取り、現在まで守っているそうです。訪れる方は多くありませんが、いつも花が供えられています。

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東福寺塔頭の天得院には「桔梗の庭」があります。「天得院」は南北朝時代の正平年間(1346-1370)に東福寺第30世住持・無夢一清(むむいっせい)禅師が開創した東福寺五塔頭のひとつです。

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方丈の前庭は桃山時代作庭の枯山水庭園(苔庭)で、昭和43年に中根金作の監修によって一部補修されました。安土桃山時代、東福寺第227世文英清韓(ぶんえいせいかん)は五山の学僧として豊臣秀吉に手厚い扱いを受けました。

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慶長19年(1614)に文英清韓が長老として天得院に住菴となり、豊臣秀頼の請に応じて方広寺の鐘銘を撰文することになりました。鐘銘中に「国家安康君臣豊楽」の文字が徳川家康の怒りをかい、天得院は取り壊されました。

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「家康を引き裂き豊臣家の繁栄を願う」と解釈できるというより、礼儀として諱を避けなかったことが問題であるともいわれています。だたし、鐘銘は後世に鐘の由来を伝えるためのもので、存命中の文書で諱を避けるのとは違うともいわれます。

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文英清韓は寺を追われ一時駿府に拘禁されましたが、林羅山の取り計らいで釈放されました。一説には幕府のブレーン・以心崇伝と清韓との対立があったことや、幕府の要請に対して豊臣家が強硬な態度で応じたことが問題であったともいわれています。

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清韓の本当の意図は分かりませんが、豊臣家への恩義もあつかったようです。大坂の陣では最後まで城にこもり、戦後に捕らえられました。天得院では「豊臣家ゆかりの寺院として歴史に翻弄されたときもありましたが、現在は桔梗が・・・」と振り返っています。

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天得院では、6月25日(土)~ 7月18日(月・祝)の期間「桔梗を愛でる特別拝観」を行っています。抹茶とお菓子(800円税込)や期間中限定御朱印授与があります。

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コメント

桔梗は、不思議な涼しさがありますよね。
今ごろから秋までということで、楽しめる期間も長くていい花ですよね。

投稿: munixyu | 2022年6月28日 (火) 18:31

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