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2022年6月 5日 (日)

川辺の神仏 高野川編

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大原から若狭街道(鯖街道)を2キロほど北に行った山中に阿弥陀寺があります。寺がある古知谷(こちだに)は高野川の支流で、今日は高野川を下りながら寺社を訪ねていきます。

「阿弥陀寺」 山号を光明山という浄土宗の寺院で、慶長16年(1609)に木食上人弾誓(もくじきしょうにんだんせい)が、如法念仏の道場として開いた寺です。弾誓上人は尾張国海辺村に生まれ、9歳の折自ら出家し、美濃国塚尾の観音堂に参篭、

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さらに同国武芸の山奥において念佛三昧、20余年の修行を積みました。その後諸国行脚で苦行修練を重ねた末、ついに佐渡ヶ島の檀特山において、弾誓に神が帰依する時がやってきました。左の幹は古知谷楓(樹齢約800年、京都市指定天然記念物)

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滝に打たれていると、春日、住吉、熊野、八幡、大神宮の神が現れ、凡骨(弾誓の骨)の代わりに神骨を入れる、換骨の儀式が執り行われました。その後、上人は信濃国の唐沢山及び相模国塔ノ峰において修行を続けました。

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老いを悟った上人は、穀断ち塩立ちのすえ、松の実、松の皮を食べて体質を樹脂質化した後、弟子たちがうがった石窟の二重の石棺に入り、念仏の声が聞こえなくなった時、空気穴を密封し、現在でもミイラ仏として端坐合掌の相で安置されています、

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高野川沿いの鯖街道を下って、大原に来ました。寂光院に行くにバス停から高野川を渡り、その支流・草生(くさお)川にかかる「上草生橋」を渡ります。正面の喫茶「なつめ」で右に曲がります

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「寂光院」は山号を清香山、寺号を玉泉寺という天台宗の尼寺です。創建は古く、飛鳥時代初期の推古2年(594)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立したと伝えられています。

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一方、三千院方面の寺はいずれも天台宗で、呂川、律川のほとりにあります。三千院の隣に「勝手神社」の鳥居があります。三千院の寺伝によると平安時代の天治2年(1125)、良忍上人が声明道場の守護神として多武峰(とうのみね)から勧請したとされます。

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高野川を更に更に下り、八瀬にある「瑠璃光院」、正式名称を無量寿山光明寺瑠璃光院という浄土真宗東本願寺派の寺院です。明治時代初め、この地には実業家・政治家の田中源太郎(1853-1922)の別荘が建っていました。

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その後、様々な変遷を経て、平成17年(2005)に岐阜に本坊がある光明寺の京都本院瑠璃光院として寺院に改められました。

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そして、岐阜に光明寺の本坊、京都に本院が設立され、東京、千葉、埼玉、滋賀などに支院ができました。

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若桜街道を更に下ったところにある「崇道神社」は、平安時代初期の貞観年間(859-877)頃に創建されと考えられ、桓武天皇の弟・早良(さわら)親王(崇道天皇)を祀っています。

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長岡京遷都の翌延暦4年(785)桓武天皇が大和の国に出かけ不在のときに、その側近で建都の長官・藤原種継が暗殺されました。共犯者の複数が早良親王の家政機関(親王に仕えその庶務を行う)に属していたことから、

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早良親王は皇太子を廃されて乙訓寺に幽閉されました。親王は身の潔白を示すため断食しましたが10余日後に流罪処分となり、淡路島に護送の途中に絶命しました。

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800年桓武天皇は、早良親王を復権して崇道天皇の号を追贈し、淡路に送られていた遺骸を改葬して寺を建立、863年には、宮中の行事として神泉苑で御霊会が催され、崇道天皇ら6人の御霊が祀られました。「出雲高野神社」

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境内には沢山の摂社があります。それらのうち、平安時代の『延喜式神名帳』に記載されている由緒ある神社(式内社)が三つあります。上の玉依姫命を祀る出雲高野神社と「伊多太(いただ)神社」

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伊多太神社はこの地の氏神で、湧水の神、農業神、王城鎮護の神です。この摂社の神事・湯立儀は出雲系で巫女は宮中にも奉仕したそうです。1908年に崇道神社に合祀されました。

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下鴨神社には高野川ゆかりの摂社があります。高野川と鴨川の合流地(出町三角州)東岸に鎮座していた「唐崎社」が、応仁文明の乱(1470)で焼亡したため、文禄年間(1592ー96)この地に移されたという記録があります。

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唐崎社は賀茂斎院の賀茂斎王が退下されたとき解齋の神祭のため参拝される神社で、同じ瀬織津姫命(せおりつひめ)を祀る井上社(御手洗社)に合祀されたそうです。

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井上社は、社殿が井戸の井筒の上に祀られていることからこの名があります。一間社流造、檜皮葺の小祠で、唐破風の覆屋で囲まれています。社殿・覆屋ともに明治の建造です。

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ところで、井上社の祭神・瀬織津姫命は、川の早瀬にいて罪汚れを洗い流す女神です。上賀茂神社の社家町のはずれにある「藤木社」もこの女神を祀っています。しかし、古事記や日本書紀には登場せず、神道の祝詞に登場する謎の女神です。

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今回の式年遷宮事業で整備した表参道入口近くの「紅葉橋遥拝所」 明治4年の上知令により旧社地を失い、井上社で行われるかっての唐崎社の祭礼の際には、紅葉橋で旧社地を遥拝するそうです。

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糺の森にある「河合神社」の創建時期は不明ですが、平安時代初めの「延喜式」に「鴨河合坐小社宅(かものかわあいにますおこそやけ)神社」とあるのが河合神社であると考えられています。

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「鴨河合」とは、賀茂川と高野川が出合うこの場所を表し、「小社宅」は多くの場合に社家の屋敷神を表します。この地に進出してきた鴨氏が代々祭りごとをおこなったと考えられています。下は南門。

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本殿に祀られている祭神の「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」は、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷神(かもわけいかずちのみこと)の母神であり、鴨一族の祖先神とされています。

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本殿の玉垣内に摂社「貴布禰神社(きふねじんじゃ)」があります。古くから境内に祀られていたとされ、水の神・高龗神(たかおかみ)を祀ります。貴船神社と同じ祭神です。ちなみに、貴船神社は賀茂川の上流にあります。

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コメント

早良親王。
昔は、たまに無実の罪がありますよね。
それにしても、淡路島に行くことでさえ、命を失っていたのですね。
船は、今も昔もやっぱり怖いものなのでしょうね。

投稿: munixyu | 2022年6月 5日 (日) 19:30

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