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2022年6月 4日 (土)

川辺の神々 桂川編

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都の川のほとりには水神・龍神を初め様々な神が祀られています。今日は、桂川の上流からそのような水辺の神々を訪ねていきます。最初は周山街道の小野郷にある「岩戸落葉神社」。

ここは、東(右)から流れてくる岩谷川が清滝川と合流する地点で、清滝川は桂川の支流です。

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拝殿の向こうに二つの社が並んでいて、左の「岩戸社」の祭神は水の女神、弥都波能売神(みづはのめのかみ)、瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、稚日女神(わかひめのかみ)です。右の「落葉社」の祭神は伝わっていません。

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この地、小野郷は清滝川の上流に位置し、平安京遷都に当たっては主要な調木地の一つに選ばれました。寛仁年間(1017-1021)この地は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神領となり、その後天領(天皇家の御領)となりました。

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上の水の女神は日本神話や神道に登場する神です。清滝川を下ったところにある神護寺の金堂には8世紀末作の「薬師如来立像」(国宝)が祀られています。

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金堂の左手の多宝塔への坂道に「龍王堂」があります。昭和初期、山口玄洞により、金堂、多宝塔、和気公霊廟などとともに再建され、農・漁業に関わり水を司る水神の龍王を祀ります。

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かわらけ投げの展望台、厄除と書かれた素焼きの皿を清滝川の谷(錦雲渓流)に向けて投げます。神護寺は各地で行われている「かわらけ投げ」の発祥の地といわれ、古来、川は罪汚れを洗い流すと考えられていたようです。

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安土桃山から江戸時代初期の京都屈指の豪商・角倉了以は、丹波から京への物流に保津川の舟運を用いることを計画。慶長11年(1606)了以は幕府から河川改修工事の許可と通航料徴収などの権利を得て工事に着手します。亀岡からの保津川下り

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右上に「星のや 京都」が見えます。その上の山腹にある大悲閣(千光寺)は、了以が開削工事の犠牲者の霊を弔うために建立した寺です。保津峡を展望できる場所です。本堂には了以の念持仏だった千手観世音菩薩を安置しています。

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大悲閣からは、小倉山(亀山)越しに京都市内も展望でき、その向うには比叡山から音羽山あたりまでの東山連峰が見えます。了以の死後、子の角倉素庵(1571-1632)が父の像を安置して、角倉家の菩提所となりました。

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渡月橋の北詰に来ました。「大井神社」5世紀後半、秦氏の葛野大堰(かどのおおい)造営の際に治水の神として祀られ、大堰川の守り神、商売繁盛の神として住民の信仰が厚く、角倉了以も帰依したといわれます。

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創立年は不詳ですが、延喜式神名帳(927)や三代実録(876)に記載があり、おそらく秦氏の葛野大堰造営の際に治水の神として祀られたものと考えられています。

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古来桂川は暴れ川で、梅雨時期や台風シーズンにはきまって洪水を引き起こし、流路もそのたびに変わりました。しかし、暴れ川のお陰で、その流域は京都盆地でも最も肥沃な土地でした。対岸に鳥居が見えます。

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「櫟谷宗像神社」は奥津島姫命 (おきつしまひめのみこと)を祀る「櫟谷社」と市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)を祀る「宗像社」が一つの社殿に祀られていて、現在は両社をあわせて松尾大社の摂社となっています。

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この二神は、日本から大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄界灘の神で、海北道中の島々に祀られ、大和朝廷によって古くから重視された宗像三女神のうちの二神です。現在の本殿は左が「宗像大神」、右が「櫟谷大神」となっています。

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この場所は、保津川が保津峡を出てゆるやかな流れに変わる場所で、櫟谷社、宗像社はいずれも水神を祀ることから、流れが変わる地を聖地と見なし地主神として祀られたことが両社の始まりとする説があります。

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「三船祭」 5月に行われる車折神社例祭の延長神事で、嵐山の大堰川で祭神の清原頼業(よりなり)が活躍した平安時代の船遊びを再現したものです。御座船の後部に祠が置かれ、祭神を仮遷座。御座船からは「扇流し」が行われます。

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頼業は著名な漢学者・儒学者で、大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け「その才、神といふべく尊ぶべし」と評されました。「龍頭船」「いちひめ雅楽会」による雅楽・舞楽が奉納されます。

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「鷁首(げきしゅ)船」 「日本今様謌舞楽会」により今様が奉納されます。鷁は想像上の水鳥で、風波に耐えてよく飛ぶところから水難よけとされます。また「竜頭鷁首」は、天子や貴人の乗る船、あるいは、風流を楽しむ船という意味だそうです。

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さらに桂川の下流に「松尾大社」があります。神社が建てられる以前からこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を山上の磐座(いわくら)に祀って、守護神として信仰していたのが始まりとされます。

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松尾大社の祭神「大山咋神(おおやまくいのかみ)」は、飛鳥時代、朝廷の招きによって大陸の豪族、秦(はた)氏の大集団がこの地方に移り住み、松尾山の神を総氏神として仰いだものです。

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秦氏はこの地方の開拓に従事し、保津峡を開削、桂川に堤防や堰を作り水路を走らせて桂川両岸を開墾しました。農業に続いて、絹織物や酒造を発展させ、この神は「日本第一酒造神」と仰がれました。

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「松尾祭」は千年の歴史を持ち、毎年4月下旬に行われる「神幸祭(おいで)」と21日後に行われる「還幸祭(おかえり)」で構成されます。 神幸祭は榊御面、大榊行列などを前列として、神輿6基が境内を出発、桂川を船で渡るところが見どころです。

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コメント

かわらけ投げは、楽しそうですよね。
でも、投げつけると、そのうちかわらけの割れたのがたくさん溜まってしまう気がします。
かわらけだらけにならないということは、やっぱり定期的に掃除されているのでしょうね。
1年でも、凄い量になってる気がします。

投稿: munixyu | 2022年6月 4日 (土) 16:33

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