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2022年6月29日 (水)

錦市場と錦の水

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京の台所といわれる錦市場の発展は、錦の水に代表される清浄な地下水によるところが大きいといわれています。今日は錦市場の歴史を振り返りながら、錦市場を通り錦天満宮に向かいます。

「大丸」の横の高倉通から北に上がり錦小路通に入ります。ここが錦市場の西の入り口。

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宇治拾遺物語によると、錦小路の名は四条通を挟んで南の綾小路に対して錦織にちなんで名づけられたといわれています。錦織はお金に換金できる織物で、当時から錦には商人気質があったと考えられています。

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豊臣秀吉の天下統一後(天正年間約400年前)、ここに「魚鳥の市場」が開設されたと推定されます。*撮影はかなり前で、写真の説明はありません。また、混雑しているのでファインダーを覗かずに撮っています。 

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この地が人口の密集した中枢部にあたることと、清冷な地下水が涌き出るので魚鳥の貯蔵等に便利であり、御所への魚鳥の納入の往き返りに自然にこの地に魚鳥の市場が出きたといわれています。

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本格的な魚市場となったのは江戸時代に入ってからで、元和年間(1615-1623)幕府より魚問屋の称号が許され、万治・寛文(1658-1672)の頃、京都では上の店、錦の店、六条の店(問屋町)の3ヶ所が最も繁栄を極め、これを三店魚問屋と称しました。

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特に錦に店をもつ商人は、公儀から鑑札を得ることにより独占的な営業をしたといいます。明和7年(1770)錦小路高倉に青物立売市場が奉行所により認められ、安永8年(1779)魚問屋のそばに野菜の市場が開かれました。

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その後、江戸時代中期に錦高倉で生家が八百屋を営んでいた伊藤若冲が活躍して、青果市場の廃止の危機を救ったこともありました。明治維新後は三店魚問屋の特権も廃止され、魚問屋等も自由に開放営業されました。

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しかし、同業者間の競争が激しくなり、明治16年頃には倒産するものが続出し7店程になったともいわれます。同業組合等を設けて自主的に規約を厳守し、同業競合の弊害を避けることに勤めた結果、再び繁栄を取り戻しました。

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ところが、昭和2年に全国に先駆けて京都中央卸売市場が開設されると、当時66店舗あった卸売業者の約半数が移転してしまいました。残った店、新しく入った店々の協力と、錦盛会、錦栄会等の組織により、京の台所の伝統を守ることができました。

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ところで、この地が生鮮食料の保存に適していたのは降り井戸のおかげでした。井水の温度が一年を通して17.8℃と一定で、水面が深くなく安定していたので井戸が天然の冷蔵庫になっていました。

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昭和36年(1961)8月阪急京都線の大宮から河原町までの地下の延伸工事が始まりました。当時はオープンカット工法といい、地上から地下を掘り進め、道路を通行するためには上に鉄板を敷き詰めました。

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翌年7月の祇園祭のために、5月に鉄板の上を山鉾が通れるかの試験をした結果、安全が保てないということで昭和37年の山鉾巡行は中止となりました。

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一方、錦の地下水は工事によって重大な影響を受けることが分かりました。工事は地下水脈の下流側ですがその深さの水脈は途絶えてしまうことが予測されました。

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錦市場では組合が一丸となってより深い井戸を作る井水工事に取り組み、その危機を乗り越えました。京都市の共同井水事業の許可をとり、共同管で各店に地下水を供給するようしたそうです。

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最近では、錦市場ブランドの安易な利用を防ぐために、平成17年に京都府の商店街では初めて「錦市場」の商標登録をしました。翌年には京都市の姉妹都市であるフィレンツェ市のサン・ロレンツォ中央市場と友好協定を結びました。

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様々な交流事業や、国際的な知名度アップの活動を行っているそうです。上で述べた伊藤若冲の画をモチーフにしたグッズやタペストリーも製造販売しています。

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寺町通に来ると、錦天満宮の鳥居があります。

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「錦天満宮」は菅原道真の生家・菅原院に始まり様々な変遷を経て、安土桃山時代の天正年間(1573-1592)豊臣秀吉の都市計画によって、現在地に移転、錦小路の東端だったので錦天満宮と呼ばれるようになりました。

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錦市場と同じころにこの地に鎮座したので、同じ歴史を歩んできたといえます。現在でも、錦市場および新京極の鎮守社として信仰されています。

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名水「錦の水」は阪急の延伸工事によって、錦市場と同様に現在では地下35mからくみ上げているそうです。水質はミネラル分が少なく「やわらかい」ため、お茶、コーヒーだけでなく料理にも最適だそうです。

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検査では無味、無臭、無菌で飲料に適していることが判明。料亭は、この軟水で昆布出汁を取ると繊細な味わいの出汁となり、豆腐の仕込みに使うと、大豆の旨味が引き出されるともいわれています。

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手水舎にも同じ水がくみ上げられ、後ろの方には容器に入れやすいように水道栓もついています。

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ここでは、錦市場を支えてきた地下水を味わうことができます。ただし、祭神の菅原道真にお詣りすることをお忘れなく。

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コメント

市場の発展と、地下水は深い関係にあったのですね。
地下水が豊富だから、京都は栄えた。分かる気がします。

投稿: munixyu | 2022年6月29日 (水) 14:23

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