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2022年5月 8日 (日)

三宅八幡宮 鳩づくしの境内と小野妹子

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日三千院を訪れた帰りに三宅八幡宮に立ち寄りました。バス停から高野川を渡ったところに参道鳥居(一の鳥居)があり、ここから住宅街をしばらく歩きます。

途中で小川が東から西に流れて行きます。航空写真を見ると崇道神社の前を流れる水路の水が引かれています。江戸時代の代官・五味藤九郎によって上高野に引かれた水路ですが、小川はもっと新しい可能性もあります。

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「三宅八幡宮」は、飛鳥時代の官人・小野妹子(いもこ)が宇佐八幡を現在地に勧請したのが始まりとされます。(住宅街を抜けると二の鳥居があり、ここから神社の境内です。)

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推古天皇15年(607)小野妹子は第1回目の遣隋使に任命され、大阪から瀬戸内海を経て九州(筑紫)に来たところで病にかかってしまいました。(楠木正成像、八幡宮が武勇の神として信仰された時代のものと思われます。)

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宇佐八幡宮に祈願すると病が治り、妹子は無事に隋に渡り役目を果たしました。現在宇佐八幡宮は全国に44,000ある八幡宮の総本社ですが、当時から皇室や公家からの信仰が厚かったといわれています。

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翌年帰国した小野妹子は、小野氏の領地だった現在地に宇佐八幡を勧請したのが、当神社の始まりとされます。上の写真では狛犬ならぬ「狛鳩」が神域を守っています。おみくじの鳩型の容器がいたるところに置かれています。

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小野妹子は小野氏の出身で、小野氏は滋賀県湖西の小野村(現・大津市小野付近)を本拠とし、このあたりから大原・市原へかけての一帯は小野氏に支配され「小野郷」と呼ばれていました。

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また、三宅八幡宮付近に小野一族の住居があったと伝わり、小野妹子の子・小野毛人(えみし、-677)の墓も近くにあります。

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先ほど、小野妹子は第1回の遣隋使の役目を無事に果たしたと書きましたが、実際には事件がありました。隋の皇帝煬帝からの返書を妹子は経由地の百済で紛失したと報告したのです。

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その罪は流刑に相当するものでしたが、推古天皇によって恩赦され罪に問われませんでした。それどころか、随から同行してきた裴世清の帰国に合わせて再び大使として隋に派遣され、後に妹子の冠位は大徳にまで昇進しました。

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実は、1回目の遣唐使の際の随の記録に「日出るところの王が、日没するところの王に書を送る」という聖徳太子の国書の文言に、煬帝が激怒したと書かれています。

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煬帝の返書の内容は随書にも書かれていませんが、妹子は聖徳太子や推古天皇の名誉のため、あるいは随との友好のために、自分の非で返書を紛失したと報告した可能性が指摘されています。「拝殿」

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2回目の遣隋使では1回目の国書の非礼を詫びており、朝廷ではその事情が理解されていたので妹子が罪に問われなかったと考えられています。(菊の御紋とつがいの鳩が装飾されています。)

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南北朝時代の南朝の武将・備後三郎三宅高徳がこの地に移り住み、当社の祭神を崇敬してから三宅八幡宮と呼ばれるようになったといいます。 室町時代の応仁の乱(1467-1477)で焼失しましたが、10数年後に村人により再建されました。

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江戸時代末には子供の疳の虫封じの信仰が広まりました。明治天皇の幼少期に重い病になり、当社に祈祷が命じられて回復したといいます。お宮参りの際に色のついた「神鳩」という土製のつがいの鳩を授かり、

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無事成長した折にお礼に返しにくるというならわしがあります。本殿には八幡神(応神天皇)が祀られ、子供のかん虫封じや病気平癒、害虫退治などに功徳があるとされ「虫八幡」とも呼ばれています。

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八幡神は石清水八幡宮のように武勇の神として、戦国武将や明治以降の戦争の際に篤く信仰されました。一方、こちらの八幡神は妹子の病気を治したことに始まり、村人が再興し、近世には子供の守り神として信仰されてきました。

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絵馬堂と拝殿に幕末の嘉永年間(1848-54)から明治に近畿一円から奉納された絵馬のうち、133点が「子供のかん虫封じ」を中心に「育児習俗」、「十三参り」、「子供の遊び」に関連したものです。

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それらのうち、124枚が当時の子供に関する風俗を知る貴重な資料として、平成21年に国の重要有形民俗文化財に指定され、資料館で公開されています。

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それらは年月が経って傷みが激しいことから、修復や保存に多額の費用がかかるそうです。貴重な文化財を後世に伝えるために、三宅八幡宮では募金をお願いしています。

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こちらは本物の鳩でした。

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三の鳥居の前を東に行くと噴水の池(放生池)があります。先ほど紹介したように、江戸時代の代官・五味藤九郎によって上高野の村に水路が引かれました。

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その水路によって多くの水車が稼動して、精米、薬草や青海苔の製粉、伸銅などに共同利用されたといいます。そのうち、現在も3基の水車が残っていて、写真はその一つを移築・復元したものです。

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