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2022年5月14日 (土)

湧泉寺と七面大天女

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の松ヶ崎大黒天を後に、北山通の一筋北を西に向かいます。この通りは京都府道103号上賀茂山端線で、上賀茂からこのあたりは「上賀茂本通」とも呼ばれます。「松ヶ崎小学校」への矢印に従って、右(北)の脇道に入ります。

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左は「松ヶ崎小学校」、その前から坂道を上ります。「涌泉寺」は大正時代に、松ヶ崎集落にあった「妙泉寺」と「本涌寺」が合併して、両者の寺名をとって名づけられた日蓮宗の寺院で山号を松崎山といいます。

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かっての妙泉寺は松ヶ崎小学校の場所にありました。坂道の途中に石碑が並んでいます。石碑の一つに「眼病救護七面大天女道」とあります。ここは、松ヶ崎小学校の裏山(松ヶ崎林山)でこのあたりも妙泉寺の境内でした。

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平安時代中頃の正暦3年(992)公家の中納言・源保光は円明寺(松ヶ崎寺)を建立、その後歓喜寺と改称されました。2004年には松ヶ崎小学校の敷地で発掘調査が行われ、松ヶ崎寺の建物や庭園の遺構が発見されました。

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歓喜寺は比叡山(天台宗)の末寺でしたが、鎌倉時代後期の徳治2年(1307)住職の実眼が日蓮宗に改宗し妙泉寺と改称しました。これには逸話があります。実眼は夢に現れた狐に乗った翁から都に行って日輪の像を拝むようにいわれました。「日輪の滝」

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実眼は京の町に出かけ、辻説法をしていた僧に出会います。僧の名は「日像」だったことから、翁のお告げはこのことに違いないと、僧の話を熱心に聞きました。やがて心服した実眼は日蓮宗に改宗したといわれています。

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実眼は村民に布教しましたが、宗旨替えは容易ではありません。そこで日像上人に講話をしてもらうと、村民全員が日蓮宗に改宗したといわれます。その後、比叡山の焼き討ちで村が全焼しましたが、村民の結束は固く信仰が守られました。(拝殿と七面堂)

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時代は安土桃山時代に下り、天正4年(1576)日諦僧正が、この地で「日輪の滝」、「月輪の滝」を見て、法華経の守護神・七面大天女を勧請したと伝えられています。下がかっての月輪の滝。

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月輪の滝は、地下鉄工事の影響で水が枯れて、ほとんど水が流れなくなりました。かってはお堂の前の「至宝池」は水に満たされていたそうです。

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こちらのご神体は眼病に霊験があるとされ、10月19日の「しちめんさんのおんまつり」、12月19日の「お火焚祭り」以外は涌泉寺本堂に安置されているそうです。灯籠には松崎山、妙泉寺と刻まれています。

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もう一方の「本涌寺」は日蓮宗洛陽檀林のなかで最も古い松ヶ崎檀林の寺号です。檀林とは、日蓮宗教団が宗内僧侶の養成のために設けた学問所のことです。(ここから先ほどの坂道に戻り、更に上ります)

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松ヶ崎檀林は天正2年(1574)教蔵院日生上人が当地で講座を開いたことにはじまります。日生は比叡山にも遊学し当時の日蓮教団きっての博学で、各地の檀林で講義をして天正8年(1580)再びこの松ヶ崎に帰ってきました。「湧泉寺」の山門

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本涌寺の寺号もこの頃できたと考えられます。その後日生上人は立本寺や岡山蓮昌寺の住持となりましたが、晩年三たび松ヶ崎檀林に帰って、文禄4年(1595)この地で亡くなりました。

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上の写真は山門前の斜面にある日生上人の廟「生師廟(しょうしびょう)」(京都市有形文化財)で、地元では「教蔵院さん」とよんでいるそうです。(左上に境内があります。)

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松ヶ崎檀林の講堂・学室・食堂などの建物が完備されたのは江戸時代前期のころで、記録によれば、当時東福門院女院御所の建造の残木を賜り、諸堂が整備されたといいます。(下は鐘楼と水場。)

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松ヶ崎壇林は、明治初年にいたるまで日蓮宗教学のメッカとして栄えましたが、明治5年(1872)の学制発布により廃檀、本涌寺という寺院だけが残りました。境内に「松ヶ崎保育園」があります。

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「本堂」(京都市有形文化財)は往時の檀林の講堂だったそうです。この建物は、承応3年(1654)に建設され、禅宗本堂と同じ六つの間取りで、日蓮宗檀林では唯一のものだそうです。

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大正7年(1918)松ヶ崎小学校の拡張のため、妙泉寺は立ち退き、この地の本涌寺と合併して涌泉寺と改称しました。

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松ヶ崎壇林の伝統は、尼僧の学校「日蓮宗尼衆宗学林」に引き継がれています。日蓮宗では女性の住職の比率が他宗派に比べて高く、平成24年の統計ですが、日蓮宗は5.7%、他宗で高い浄土真宗本願寺派でも3.6%だそうです。

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ところで、日像上人によって松ヶ崎の村民が法華信者となったとき、喜んだ実眼が題目を唱えると、村人達が踊りながらそれに和したそうです。これが日本最古の盆踊りといわれる「題目踊り」(京都市登録無形民族文化財)の始まりといわれます。

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また、日像上人も喜んで、松ヶ崎西山の南面に杖で「妙」の字を書いたそうです。村民たちは周りの木を伐り、松明を灯したのが送り火の「妙」の始まりといわれています。(「庫裏」には庭園があります。)

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現在では、財団法人立正会(涌泉寺・妙円寺の檀家で構成)が中心となって、8月15、16日に本堂前で題目踊りを行い、16日に「妙法」に点火します。題目踊りの後に一般の方も参加できる「さし踊り」が行われます。

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上の写真は京都市のHPの伝統行事の保存・継承の「松ヶ崎題目・さし踊り」からです。この後、いままで記事にしていなかった神社に向かいました。

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コメント

地下関係の工事は、怖いですよね。
少し何かが変わっただけで、
滝の水が枯れたり。難しいことです。

投稿: munixyu | 2022年5月14日 (土) 15:52

★munixyuさん こんばんは♪
地図を見ると、地下鉄は七面宮の北を南西から北東に通っています。松ヶ崎山は扇状地にできた「ひだ」のような地形で、おそらく地下の水脈も地形に沿って湾曲して山の上を通っていたのでしょう。同じようなことが吉田山にもいえて、山頂近くから井戸水が湧いていました。

投稿: りせ | 2022年5月19日 (木) 01:59

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