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2022年5月18日 (水)

大田神社 カキツバタと芸術家たち

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて大田神社を訪れました。5月10日のことで、カキツバタはまだ見頃でした。道を隔てて向かいにある上賀茂神社の境外末社「福徳社」の後ろに「北大路魯山人生誕地」の石標があります。

魯山人は美食家で知られる芸術家で、1883年上賀茂神社の社家に生まれました。明治時代前期までこの辺りも社家町だったようです。

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「大田神社」は、かつては「恩多社(おんたしゃ)」とも呼ばれ、独立した式内社でした。平安時代には、国から財政的補助がある官幣社であることがわかっています。最初に本殿にお参りします。

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古くは渡来系の先住民の福神が祀られ、上賀茂神社よりも古く鎮座した農耕神あるいは地主神とみられています。拝殿は江戸時代の1628年の造営で、最近修復工事が行われました。

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本殿には祭神として、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀り、芸能・芸事上達の信仰があります。天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で踊った女神です。本殿も拝殿と同時期に建立されました。

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拝殿の左手前に二つの末社があります。右は病気平癒の神・大国主神と少彦名神(すくなひとなのかみ)を祀る「鎮守社」、左は船玉神(ふなだまのかみ)を祀る「百大夫社」。

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右手前には老後安泰の神・猿田彦命を祀る「白鬚(しらひげ)神社」があります。 右に小川が流れていて、貼り紙に「タゴガエル(田子蛙)」の説明がありました。

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山地や森林の渓流付近に生息、4~5月に渓流内の岩の隙間や土の中でに繁殖して、あちこちからグゥッ、グゥッというくぐもった鳴き声が聞こえますが、姿は見つけにくく、声を聴くだけにしてくださいとのことです。

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社務所の前の小川に上の写真のような卵があり、盛んに鳴き声が聞こえていましたが、姿は見えませんでした。

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鳥居の横から「大田の沢」に入ります。大田の沢には約2万5千株のカキツバタが群生していて、1939年に国の天然記念物に指定されました。カキツバタの育成には多額の費用がかかるそうで、神社では見学に協力金(300円)をお願いしています。

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7年前に鹿によってカキツバタが荒らされていることがわかり、網を張ったのですが被害が続きました。翌年には高い柵を設置したのですが、それでも例年の2割程度しか花が咲きませんでした。

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神社では京都府立植物園に調査を依頼しましたが、「病気ではないが、シカの食害ともいえない」と原因は分からなかったといいます。沢の左(北)の方に回ります。

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神社では土壌も含めて引き続き専門家に調査を依頼し、対策を講じていくとおっしゃっていました。その効果があったのか、最近では最盛期に近い状態に花が咲いてきました。

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平安時代の歌人・藤原俊成(しゅんぜい)の歌碑「神山やおほたの沢の杜若ふかきたのみは色にみゆらむ」。「上賀茂神社への心からの願いは、近くにある大田の沢のカキツバタの紫色にあらわれているようだ」という意味だそうです。

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上の歌は、平安時代末の1189~90年に、俊成が伊勢・賀茂・春日・日吉・住吉の五社に奉納した「五社百首」の一首です。

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かつてこの一帯は深泥池とあわせて一つの沼地で、雲ケ畑の池と地下でつながっていたともいわれます。平安時代にはカキツバタの群生地の名所として知られていたようです。

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尾形光琳の国宝『燕子花図屏風』(かきつばたずびょうぶ、根津美術館蔵)は六曲一双屏風で、そのモチーフはこの大田ノ沢だともいわれています。上が右隻(うせき)、下が左隻(させき)。

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燕子花図屏風のテーマは『伊勢物語』に語られたカキツバタの名所・三河八橋ですが、西本願寺に奉納され伝来したもので、光琳は大田の沢でスケッチをしたと考えられています。(左回りに沢を半周します。)

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ちなみに、大田の沢は「小堤西池のカキツバタ群落」(愛知県刈谷市)、「唐川のカキツバタ群落」(鳥取県岩美町、唐川湿原)と並び、日本三大カキツバタ自生地のひとつに数えられています。

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池の北側に来ました。大田の沢は水が枯れたことがないといわれてきましたが、近年の宅地開発により水脈が変わり、現在は井戸水を補っているそうです。

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この地で生まれた北大路魯山人の器には、カキツバタやツツジを描いたものがあります。たとえば、於里辺八橋「杜若」長角鉢(嵐山吉兆蔵)は、幼いころ見た大田神社のカキツバタに触発されたといわれます。

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昭和27年5月、魯山人は親交のあったイサム・ノグチを連れて上賀茂神社を参拝、門前の神馬堂のやき餅を食べ、社家町を通って大田神社を訪れました。ちょうどツツジが咲き、沢のカキツバタが満開でした。

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そのとき、魯山人が3歳のとき養母に連れて来られた大田神社でみた紫のカキツバタと赤いツツジiが、初めて美を意識した体験だったと述べ、その後深泥池に向かったそうです。

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その思い出が、自然美を凝視して深くかかわり、畏敬の心を持つ魯山人の哲学の出発点となったと思われます。

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ツツジもまだ咲き残っていました。

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コメント

タゴガエルは、姿は現さないのですね。
用心深いのかも。
カキツバタは育てるのにお金がかかるのですね。
それだけに、鹿被害が痛いですね。

投稿: munixyu | 2022年5月18日 (水) 19:08

★munixyuさん こんばんは♪
拝観料にあたる協力金ですが、見ていると払わずに入る方が大勢います。悪気があるとは思いませんが、協力金の受け取り方が様々なのかも知れません。

投稿: りせ | 2022年5月19日 (木) 02:51

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