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2022年5月 7日 (土)

延暦寺 にない堂から釈迦堂へ

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の椿堂から通常の参拝路に戻ります。「常行堂」は阿弥陀如来を本尊とし四種三昧のうち、常行三昧を修行する常行堂です。手前に「親鸞聖人旧跡」という石碑があります。

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は出家の後、最初に比叡山無動寺谷大乗院で勉学、その後常行堂の堂僧として修行に励んだといわれています。

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にない堂(常行堂と法華堂)での坐禅体験「坐禅止観」の受付をおこなっていました(所要時間40分)。

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テントの裏に歌碑があります。蒲生町極楽寺の住職で歌人・米田雄郎(1891‐1959)の辞世の歌「しづやかに輪廻生死の世なりけり春くる空のかすみしてけり」。

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「法華堂」 普賢菩薩を本尊とし法華三昧を修行する法華堂です。二つのお堂がつながっているのは、法華と念仏は一体のものであるという、天台の教えを表しているといわれます。

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常行堂と法華堂はどちらも重要文化財で、弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとのいい伝えから、合わせて「にない堂」とも呼ばれています。

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にない堂の渡り廊下をくぐり、すこし急な石段を下ります。

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石段途中の右手は「西塔政所」 西塔の管理事務所の役目をしています。右には「延暦寺学問所 止観道場」とあります。止とは精神を集中し心が寂静の状態、観は対象や真理をありのままに観察認識する仏教用語だそうです。

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向かいの「恵亮堂」 大楽大師・恵亮(1800‐1859)を祀ります。恵亮は当時最も修力・霊験に優れているといわれ、京都の妙法院を創建しました。八重桜が咲き、左に円戒国師の寿塔、右に中西悟堂の歌碑があります。

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「円戒国師寿塔」 円戒国師は応仁の乱(1467-1477)の後、世の乱れを見るに忍びず、20年間修行を続けた比叡山を下りました。黒谷青龍寺に移り、『往生要集』により称名念仏を唱え、天台宗真盛派のの開祖となりました。寿塔は生前墓のことです。

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日本野鳥の会の創設者・中西悟堂(1895-1984)の歌碑「樹之雫しきりに落つる暁闇(ぎょうあん)の比叡をこめて啼くほととぎす」。悟堂は16歳で得度して比叡山で修業をしていましたが、やがて野鳥・自然保護運動に力を注ぐようになりました。

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「転法輪堂」(重文) 西塔の本堂にあたり本尊の釈迦如来にちなんで「釈迦堂」の名で知られています。延暦寺に現存する最古の建築物です。もとは三井寺の園城寺の金堂でしたが、文禄4年(1596)に秀吉が西塔に移築しました。

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内陣には四つの祠(文殊菩薩・元三大師・山王七社・八所明神)があります(撮影できません)。釈迦堂の右に

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若山牧水(1885-1928)の歌碑「比叡山(ひえやま)の古(ふ)りぬる寺の木がくれの庭の筧(かけひ)を 聞きつつ眠る」。牧水は1918年に西塔にあった本覚院に一週間滞在しました。本覚院は現在 「叡山学寮」 と名を変え一般公募の修行僧の宿舎となっています。

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歌碑の前の道を上ったところにある「居士林」 修行道場で一般の方も修行体験をすることができます(要予約)。

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「元三大師得度之霊跡」 元三大師良源)は12歳で西塔の理仙の弟子となり、座主の尊意から受戒。、55歳の若さで18世天台座主となり、19年にわたり伽藍の復興、天台教学の興隆、山内の規律の維持につくし延暦寺中興の祖となりました。

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にない堂の方向、広場の右(本堂に向かって左)にも旧跡があります。

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「法然上人ご修行地青龍寺」 青龍寺は西塔地区の黒谷にあり、古くから隠遁者の住居となっていました。浄土宗の祖・法然(源空)が若い頃この寺で修行したとされています。実際は釈迦堂から400mくらいの距離にあります。

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「平和地蔵菩薩」 毎年小中学生を対象に「天台青少年比叡山の集い」が行われており、平成27年(2015)の第50回を記念して「三つの誓い」を三本の指で表しています。右に石段があります。

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石段の上は鐘楼で、自由に鐘をつくことができます。浄土院からも鐘の音が聞こえていました。

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石段の途中から、ここにも八重桜が咲いていました。ここから通常の参拝路を通って西塔の拝観受付に戻ります。

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「親鸞聖人ご修行の地」 親鸞は先ほどの常行堂で常行三昧、すなわち、お堂に閉じこもり90日間不眠不休(食事とトイレを除く)で、合掌し念仏を唱えながら、阿弥陀如来の周りを歩み続ける修行をしました。後に横川に移りました。 

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「真盛上人修学之地」真盛(しんせい)は7歳のとき寺に入り14歳で剃髪、19歳から20年間比叡山西塔の慶秀に師事して修行、権大僧都の地位まで昇りました。近江国坂本の西教寺を再興して、天台宗真盛派の祖となりました。

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「箕淵(みのふち)辨財天」 辨(弁)財天は比叡山の東塔、横川にもあって、あわせて三弁財天というそうです。いずれもその地区の鎮守社だと思われます。

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西塔地区の駐車場には「桜祭り」のテントが出ていて(写っていませんが右)、お土産や飲み物、甘いものなどを売っていました。桜の見頃は京都市内に比べてひと月程度遅れます。

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「弁慶杉」の下に横川方面へのシャトルバスのバス停があります。私は向かいのバス停から東塔地域に向かいました。

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コメント

親鸞の修行は凄く過酷だったのですね。
お堂に閉じこもり90日間不眠不休とは・・・。
こんな事ができる僧は、もういないかもしれません。
これから先の僧不足を、心配してしまいます。

投稿: munixyu | 2022年5月 7日 (土) 19:31

★munixyuさん こんばんは♪
常行三昧の修行を行った親鸞は、29歳のときに比叡山を降りて法然の門下となります。いままでは、常行三昧に行き詰って法然の他力本願にすがったと考えられていました。しかし、最近の研究では、吉水で唱えた念仏は常行三昧のもので、親鸞は生涯にわたって常行三昧を続けていたと考えられているそうです。

投稿: りせ | 2022年5月 9日 (月) 19:13

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