観智院 長者の庭と五大虚空蔵菩薩
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日の記事の東大寺北大門の北に塔頭の観智院があります。左の看板には「弘法さんの 虚空蔵十三参り」と書いてあります。その門の右手にTOPの山門があります。
山門をくぐると右手にお「静観堂」があります。
「心願成就 学業成就 諸芸上達 身体健全 家内安全」のご利益があります。
山門の左手の庫裏に拝観入口があります。
鎌倉時代、後宇多法皇は東寺の寺僧の住房を計画、南北朝時代の延文4年(1359)頃に真言宗の学僧であった杲宝(ごうほう)によって創建されました。建物内部の撮影はできません。
杲宝の弟子、賢宝は、本尊の五大虚空蔵菩薩を安置しました。杲宝や賢宝は、東寺に伝わる数多くの文書類を編纂。収集した密教の聖教類は1万5千件以上あり、わが国における貴重な文化遺産となっています。
例えば、杲宝が東寺の歴史を記した「東宝記(とうぼうき)」という記録書は、東寺のみならず当寺の歴史や文化を知る上て貴重な資料となっており国宝に指定されています。
客殿(こちら)と本堂(向う)の間にある枯山水の坪庭は「四方正面の庭」と呼ばれ、室町時代の面影を残しています。左手の岩山から水が流れて海に至る山河を表現しています。
観智院は創建当初から「真言宗の勧学院」として発展しましたが、安土桃山時代の文禄5年(1596)の慶長伏見地震によって全壊してしまいました。(客殿の西庭)
その後、真言宗の重要な寺院の観智院を復興するため、江戸時代の慶長10年(1605)に客殿が再建されました。更に他の建物も順次再建され、本堂、書院、土蔵、門などは江戸時代以降の建造です。
客殿の前庭は「長者の庭」と呼ばれています。「長者」とは東寺の管理者・長官で、真言宗の最高位としての権威を兼ね備えた僧侶のことです。氏の長者と区別するため「東寺長者」と呼ばれることが多いそうです。
広い砂地の周辺に松を中心とした植栽が施され、南大門の正面に松が生えた大きな築山(苔の島)があり、門を通ることができない!ようになっています。
下は2009年に訪れたときの写真で、このときは「五大の庭」と呼ばれて、左の島が日本、右の島が中国とされていました。2017年に長者の庭に作り替えられ、抽象的な表現になったといわれています。
客殿から本堂に行く外縁から見た先ほどの四方正面の庭、岩山から流れ出た水は長者の庭の大海に流れ込みます。
長者の庭の東に土蔵があります。その左の建物は洛南会館。
本堂には本尊「五大虚空蔵菩薩」(重文)が祀られています。これらの像はもとは唐の長安・青龍寺金堂の本尊でしたが、承和14年(847)恵運によって請来され、山科の安祥寺に安置されていました。
その後、先ほどの学僧・賢宝によって観智院に遷されました。「虚空蔵」とは、無尽蔵で広大無辺の知恵を無尽に蔵していることを意味します。(下は頂いた「五大虚空蔵菩薩御影」、他の室内の写真はパンフレットからの転載。)
最初に看板で見た「十三参り」とは、子供が13歳の時にその成長と幸せを願う風習で、京都を中心とした関西で行われています。(下もパンフレットの写真で、左が客殿、右が本堂です。)
13歳は子供が大人へ成長する節目と考えられていたことに加え、虚空蔵菩薩が、菩薩の中で13番目に誕生した知恵と福徳を司る菩薩だからといわれています。(土蔵の裏側には六地蔵尊と一体の地蔵菩薩が置かれています。)
十三参りでは、授かった智恵がなくなるからと、帰る時に決して振り返ってはならないといわれていました。現在の道を歩くときには危険だと思っていたら、観智院では寺を出るまでだそうです。(六地蔵の横に鎮守の稲荷社があります。)
本尊の右には「愛染明王」が祀られています。密教の経典では人々を招き寄せて煩悩即菩提の境地に入らせる仏とされ、今日では縁結び、開運、子宝に恵まれるご利益があるといわれています。
南大門の横に東寺の五重塔。
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コメント
地震で全壊することもあるのですね。
地震に火事に、いろんなことに遭いながら、
今まで残っている寺や建造物って、凄いことですよね。
投稿: munixyu | 2022年1月19日 (水) 14:37
★munixyuさん こんばんは♪
お寺の建物は空間が大きいので、壊れるときは全壊してしまうのでしょうね。
投稿: りせ | 2022年1月27日 (木) 01:58