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2022年1月 8日 (土)

田中神社 幸先詣

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

東大路通から御蔭通を東に入ったところに田中神社があります。幸先詣(さいさきもうで)とは、年明けではなく年内のうちに初詣を済ませ「幸先良い」新年を願うことです。近年初詣の混雑を避けるために注目されています。

田中神社の創建時期や変遷、由緒などの詳細は確かではありませんが、古くから産土神としてこの付近の住民に信仰されてきました。

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産土神はその土地に生まれた者を一生守護する神とされます。 かってのこの付近は愛宕郡田中村と呼ばれ、狛犬の台座にある「畑中」は田中村の字の一つです。

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社伝によると、平安時代末期の応保元年(1161)に創建され、鎌倉時代中期の弘安年間(1278-88)に河崎総社という神社の跡地に遷座されたとされます。

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境内の周辺部分は駐車場となっていますが、中央の参道は真直ぐ本殿に向かって延びています。途中に石橋があり、その向うの盛り土と榊はかって社殿があった跡地を示しています。

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「弘安殿」 住民の会合、講演会、教室などいろんな目的に利用される参集殿です。軒下に三つ葉葵の紋があります。

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一方、平安時代の歴史書『日本三代実録』の貞観5年(863)5月22日条に出てくる「田中神」が当社という説もあります。いずれにしても、平安時代に創建された古刹であることは確かなようです。「祭器庫」のようです。

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「応仁文明の乱」(1467-77)では、村民が自警団を組織し神社を守るために「田中構」(たなかのかまえ)という防壁を築きましたが、文明6年(1474)に西軍の攻撃で村落は炎上してしまいました。二の鳥居の向こうは「拝殿」。

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「天文法華乱」(1536)でも比叡山の衆徒と法華衆との激しい戦いに巻き込まれ、その兵火で焼失してしまいました。「社務所」(授与所)には、様々なお守りやおみくじがあり、その中に孔雀のおみくじがあります。

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上の写真の社務所の横に「伊勢神宮遥拝所」があります。

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その後も社殿は再建され、建物や提灯に三つ葉葵の紋が付いていることから、徳川家からの支援があったと思われます。舞殿に干支の大絵馬が飾られていることもあるのですが、この時はありませんでした(12月28日)。

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本殿と拝殿は、下鴨神社の式年遷宮の度に譲り受けてきたと伝えられています。寛永5年(1828)に比良木社の旧殿を賜った際には銅貨を下鴨神社に奉納した記録が残っているそうです。境内にはかっての鎮守の杜を思わせる大木が茂っています。

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本殿には祭神として「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が祀られています。大国主命は「因幡の白兎」の神話で知られますが、それは兄たちに連れられ、八上比売(やかみひめ)に求婚するために訪れたときのことです。

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途中で皮を剥がされた兎を助け、兎は八上比売が大国主命を選ぶと予言しました。その通りに二人は結ばれ、大国主命には181人もの子があったことから、恋愛成就、縁結び、福の神として信仰されています。

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本殿の両側に摂社として「倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)」「稲田姫大神(いなだひめのおおかみ)」「事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)」「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」が祀られています。

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『古事記』によると、八岐大蛇を退治し稲田姫大神(櫛稲田姫)と結ばれた素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子(あるいは子孫)が大国主命で、 その子が事代主大神、次の妻との子が倉稲魂大神です。

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天照大神は、地上の国(葦原の中つ国)を治める大国主命に国を譲るように命じ、邇邇芸命(ににぎのみこと)を遣わしました(天孫降臨)。その道案内をしたのが猿田彦大神です。(本殿右にある「御神水」の池、新たに亀の置物がありました。)

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上の「国譲りの神話」は、現在では大和朝廷が全国を制覇する過程の何らかの史実を反映していると考えられています。(更に右には末社の「玉柳稲荷神社」があります。)

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明治12年(1879)に氏子の要望によって「談合の森」(現在の叡電茶山駅周辺)から遷され、五穀豊穣・商売繁盛・治病・家内安全のご利益があるとされます。毎日お参りする人がいるようで、よく手入れされています。

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境内の北西隅に「徳富蘇峰先生勉学之處」 彼は「国民之友」や「國民新聞」を主宰「近世日本国民史」を著すなど、明治から昭和にかけてのオピニオンリーダーとなった人物です。同志社英学校在学時にこの付近に住んでいたようです。

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社務所の向かいにケージがあり、神の使いとされる孔雀が飼われています。現在3羽いて、一羽が花を広げて迎えてくれました。田中神社の祭礼として、月次祭は毎月1日・15日10時斎行されます。

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例祭として、1月1日歳旦祭、2月1日とんと祭、旧暦の午の日:初午祭(玉柳稲荷神社)、2月17日祈年祭、6月30日大祓、10月第3日曜日氏子大祭(前日氏子大祭宵宮祭)、10月23日例祭、11月23日 新嘗祭、11月28日お火焚祭(玉柳稲荷神社)。

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上に加えて1月3日には「金獅子頭(かしら)かじり」が行われます。神職が金獅子と参加者にお祓いをしたあと、宮司の舞が奉納されます。女性の宮司で、十数年前にお父様が亡くなりその後を継ぐことになりました(写真は2017年です)。

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田中神社では1年の厄払いとして、大人も含めて希望者すべてが金獅子に頭をかじってもらえます。小さい子供には恐怖のようです。この日は孔雀が境内に離され大はしゃぎでした。

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最後に孔雀も頭をかじってもらいます。これは怖い!

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コメント

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

田中神社の孔雀には数年前に会いに行ったことがあります。凛々しいお顔でこちらを見ていますね。なんだか嬉しいです。

暮れにはウサギ年の孫と岡崎神社にお詣りしました。
幸先詣、と呼ぶことは知りませんでしたが、
これもまたお祝いを戴いたようで嬉しいです。

お教えありがとうございます。

投稿: もっちゃん | 2022年1月 8日 (土) 10:50

孔雀は羽を広げると、すごく綺麗ですよね。
動物園を思い出します。
金獅子も孔雀の頭を噛むのは、怖かったでしょう。
つつかれそうですよね。

投稿: munixyu | 2022年1月 8日 (土) 16:10

★もっちゃん さん♪
ご挨拶が遅れましたが、新年おめでとうございます。
私も今年になって初めて幸先詣という言葉を知りました。新型コロナ禍で、いくつかの神社が推奨しているようです。今年もよろしくお願いします。

投稿: りせ | 2022年1月11日 (火) 02:21

★munixyuさん こんばんは♪
ここの孔雀はなかなか羽を広げている姿を見せないそうで、運がよかったと思います。

投稿: りせ | 2022年1月11日 (火) 02:25

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