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2022年1月22日 (土)

東寺 大黒堂と毘沙門堂

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて御影堂(大師堂)の横に回ります。右はお札修め所で「お守り等のビニールは外してお修めください。分別収集にご協力を・・・」と書いてあります。八重桜が美しいところです。

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御影堂の横の前堂と後堂の間、東側(反対側)には中門があります。

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お堂の右には不動明王を祀り、安産祈願が行われます。

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クロガネモチの実が成っていました。

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お堂は「大黒堂」で左には「三面大黒天」を祀ります。

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「三面大黒天」(左)は弘法大師作と伝わり、大黒天、毘沙門天、弁財天の三尊が合体していて、3神のご利益を一度に授かることができるとされます。厨子に入っていて姿は見えません。

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大黒堂の裏にある蔵のような建物には「加法道場」の看板がかかっています。

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御影堂の南の塀沿いには沢山の石碑や石仏が置かれています。下は「高野山遥拝所」、中央の石碑には「高野山奥之院」と彫られ、看板には「二つの寺を開いた弘法大師空海の眠る奥之院をお参りください」と書いてあります。

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「天降石」 古くからこの地にあったとされ、江戸時代には護法石、五宝石、不動石などと呼ばれました。その後、天降石、また撫石と呼ばれて、石を撫でた手で患部をさすると完治するとされます。

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「尊勝陀羅尼の碑」 江戸時代(1853年)に比叡山僧・願海が北野天満宮の宗像社の傍に建立し、1868年の神仏分離令後の廃仏毀釈によりこの地に遷されました。碑の周囲を回り、亀の頭、手足に触れ、患部をさすると万病に効験があるとされます。

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下の亀に見えるのは中国の想像上の動物の贔屓(ひいき)で、龍の子とされ、重い物を背負うことを好み、古来より石柱・石碑・墓の土台に用いられます。甲羅に立つ石塔は永遠不滅といわれ、万病平癒の御利益があるとされます。

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御影堂の後堂、弘法大師自作と伝えられる「不動明王坐像」(国宝)を安置しています。不動明王坐像は秘仏のため一度も公開されていません(常時非公開)です。

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「毘沙門堂」 安置されている「兜跋(とばつ)毘沙門天立像」(国宝)は、かって都の守護神として羅城門に安置されていました。天元元年(978)の台風で羅城門が崩壊して東寺の食堂に安置、さらに文政5年(1822)この毘沙門堂に遷されました。

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毘沙門天は北方の守護神、仏教を守護する神で、学業成就、財運のご利益があるとされ、東寺の毘沙門天は都七福神の一つです。この兜跋毘沙門天は中国の西域で地中から出現して外敵を退けたという説話があります。

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台座は邪鬼ではなく、地中から半身を出す地天女と二鬼で支えられ、服装も西方的な要素を示しています。昨日の記事では宝物館所蔵と書きましたが、春秋の特別公開のときには遷されるのかも知れません。

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この後、偶然にも昨日の記事で紹介した「後七日御修法」の列に出会いました。弘法大師が死の直前に申請・許可された密教最高峰の儀式です。

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