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2022年1月10日 (月)

護王神社と和気清麻呂

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※写真は全てクリックで拡大します。

暮れにお参りした「護王神社」は、平安京の建都に貢献した和気清麻呂とその姉で戦乱で身寄りを亡くした多くの孤児達を養育した和気広虫(ひろむし)を祀っています。

神門の前の石碑は「京都 護王神社 神使 亥」、その向うにあるマニ車には「足腰難儀御守護石 千度詣 祈願詣」と刻んであります。

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護王神社の確かな創建年は伝えられていませんが、桓武天皇に平安建都を進言した清麻呂を高雄山神護寺の境内に霊社として祀り、古くから「護法善神」と称されていたのが始まりとされます。「拝殿」

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江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂の歴史的功績を讃え、正一位の神階と護王大明神の神号を授けました。干支の大絵馬は京都市在住の日本画家・曲子明良(まげしあきら)氏の原画をもとにしています。

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明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。明治19年(1866)明治天皇の勅命により華族中院家邸宅跡地の現在地に社殿を造営し、神護寺から遷座、後に広虫も主祭神として合祀されました。

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神門と拝殿の前にある「阿吽」の狛猪が神社を守っています。

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「中門」の向こうに和気姉弟を祀る本殿があり、御神徳として「足腰の健康・病気怪我回復」、「厄除け・災難除け」や「亥年生まれの御守護」、広虫が子育明神として仰がれたことから「子育て・子供の成長の守護」の御神徳もあるとされています。

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本殿右の招魂樹(おがたまのき)のそばに「足萎難儀回復の碑」があり、足腰の病気やけがの回復を願う参拝者は、足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。

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足腰や厄除けに関する御神徳や猪が神使とされるのは、清麻呂にまつわる故事に由来しています。拝殿の生け花は(株)花工房の奉納。

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「飛翔親子猪」この地に立っていた樹齢300年の桂を祈願殿建設でやむなく伐採し、その根株をチェーンソーアートの世界チャンピオン城所ケイジ氏が「生命のよみがえり」をテーマに彫刻しました。両側は北山杉で彫刻した「昇り神猪と降り神猪」。

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奈良時代の女性天皇・称徳天皇の時代、権勢を振るっていた弓削道鏡は宇佐八幡から「自分を皇位につかせれば天下が太平になる」とご神託があったと主張しました。「祈願殿」

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天皇からご神託が本当か確かめるように命を受けた清麻呂は九州の宇佐八幡に出かけて神前に訊ねると、宇佐大神が現れ「天皇の後継者には必ず皇族の者を立て、無道のものは早く追放せよ」とのご神託を受けます。「なで猪」

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清麻呂は天皇にご神託を報告して道鏡の野望を暴きましたが、その怒りをかい大隅国(鹿児島県)に流されることになりました。旅の途中で道鏡の放った刺客に足の筋を切られてしまいました。正面は「社務所」、左に「授与所」があります。

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それでも清麻呂は皇室の安泰が守られたことを感謝するため宇佐八幡に立ち寄ることにしました。するとどこからともなく300頭もの猪が現れ、輿の周りを警護しながら宇佐八幡まで案内したそうです。中門横の手水舎、手を近づけると猪の口から水が出ます。

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清麻呂が宇佐八幡に着くと猪は消えてしまい、不思議にも足の痛みが無くなり歩けるようになりました。一年後に称徳天皇が亡くなり道鏡が失脚すると、清麻呂は都に呼び戻されました。(大絵馬と同じ絵馬)

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その後、桓武天皇により摂津職の長官に任じられ、中宮大夫、民部大輔も兼ねました。そして、794年平安京遷都を桓武天皇に上奏し平安京造宮大夫となりました。(幅3m、高さ2mの巨大なさざれ石があります。)

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結局、和気清麻呂は皇位を継承してきた天皇家や京都に住む人々にとっての恩人といえます。「和気清麻呂公銅像」平成10年、和気清麻呂公千二百年祭を記念して造形作家の松本繁来氏が制作、御所の方を眺めています。

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この護王神社と御苑の東にある梨木神社は同時期に建立され、そのことは平安神宮と密接なかかわりがあります。境内の北に末社がならんでいます。「警察消防招魂社」

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明治2年(1869)天皇と共に公家らが東京へ移り、公家町の一帯は大量の空家により荒廃しました。明治10年(1877)明治天皇はこの様子を嘆き、京都府に対して御所保存・旧慣維持の命を下しました。 「久邇宮(くにのみや)御霊殿」

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命を受け京都府では、直ちに屋敷の撤去、外周石垣土塁工事、園路工事、樹木植栽等の「大内保存事業」を開始し、予定を繰り上げて明治16年(1883)に工事を完了しました。「祖霊社(近衛社)」

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孝明天皇の側近であった岩倉具視は明治16年(1883)「京都皇宮保存に関する建議」を提出、皇居の保存と皇室儀礼の再興のため、京都御苑内に儀礼の場として「平安神宮」の建設を提案しました。「伊勢神宮遥拝所」

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岩倉の死後、宮内省は後の平安神宮創建を念頭において左右の近侍神として梨木神社と護王神社を創建しました。(日頃、手芸・和裁・洋裁などで使っている針に感謝を表す石碑で、毎年2月8日に針供養祭行われます。)

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平安遷都1100年を記念してかっての千本丸太町に大内裏の復元が計画されるも、用地買収に失敗、明治28年(1985)郊外の岡崎に縮小された「平安神宮」が建てられました。(吉井勇の歌碑「風なきに 榠りんの實また ほろと落つ かくて極まる 庭のしづけさ」)

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そして御苑内の平安神宮を東西から支えるはずだった二つの神社はとり残されました。外に「我独慙天地」(我ひとり天にはず)と書かれた猪のモニュメン。清麻呂のように自分だけは天に恥じない行いをするという意味で、御朱印にも書かれています。

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それでも護王神社は、和気清麻呂・広虫にちなんだご利益を願う人々に支えられて、現在まで賑わい続けています。

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