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2022年1月18日 (火)

浄圓寺 下立売通の寺院たち

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の弘誓寺から下立売通を西に行き、七本松通を渡ります。交差点のこちら(東)と北西のブロックは上京区長門町で、豊臣秀吉の家臣の木村長門守重成の屋敷があった場所とされます。

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文禄4年(1595)7月豊臣秀次が切腹、その直後に秀吉は聚楽第を徹底的に破却し、武家屋敷も移転したといわれます。「浄園寺」は知恩院派の浄土宗の寺院で、交差点の北西(写真の右)にあります。

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山門(TOPの写真)の左に寺標の石碑があり、その東(右)面には「乾観世音 第十九番」と刻まれています。ただし、どの観音霊場の札所だったのか現在では不明だそうです。

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「浄園寺」は安土桃山時代の慶長2年(1597)に僧・鉄公が開いたとされ、移転した武家屋敷の跡に建てられました。しかし、その後何度も大火にあい、寺の変遷についての詳細は不明です。

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山門の正面の本堂には本尊の阿弥陀如来を祀ります。本尊の右に安置されている観音像が門前の石碑の乾観世音菩薩だと思われます。浄圓寺は通常拝観をしていませんが、数年前の京都浄土宗寺院特別大公開に参加しました。

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浄園寺には「池田屋事件」があった池田屋の主人・入江惣兵衛の墓があります。幕末の元治元年(1864)6月5日京都三条木屋町の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、新選組が襲撃した事件です。

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6月5日早朝、古高俊太郎を逮捕した新選組は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」と自白させます。

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新選組は、会津藩に報告のうえ徹底して市中探索を行い、池田屋に集まっている尊攘派の志士を発見しました。池田屋の惣兵衛は新選組が来た事を2階で会合をしていた志士達に大声で知らせます。(下3枚は三条小橋の池田屋跡。)

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しかし、惣兵衛は局長の近藤勇に殴られ意識を失ってしまいました。その後、意識が戻り妻子を連れて逃げましたが翌日には捕縛されました。惣兵衛は拷問にかけらても一切口を割らなかったといわれています。

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惣兵衛は後に六角獄舎で病死、享年42。遺体は家族によって浄圓寺に葬られ『照誉光善信士』という法名を授かりました。池田屋は家具などを没収され、7ヶ月の営業停止処分となり廃業に追い込まれました。(2階の窓)

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この事件によって新選組の名は天下に轟き尊攘派は大打撃を受け、反発した長州藩は禁門の変を起こしました。しかし、近年の研究ではこの事件は新選組の捏造ではないかという説が浮上しています。

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事件の前の新選組は脱走者が相次いでいたとされます。また、古高俊太郎を捕らえた日の新鮮組の日誌には名前を名乗ったとしか書かれていませんでした。

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一方、池田屋に行くはずだった木戸孝允の日記には、捕らえられた古高俊太郎を救うための会合と書かれています。さらに、大掛かりな計画にも関わらず長州藩や志士側には一切それらしき記録がありません。「墓地」

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幕末のような厳しい対決では謀略も戦術の上で、このときは新選組が「勝利」したことには違いありません。しかし、後世の人間は歴史の真実を知りたいし、歴史家はそれを明らかにして欲しいと思います。

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