« 後七日御修法 真言宗の最高の儀式 | トップページ | 御前通を歩く 七条から西塩小路へ »

2022年1月24日 (月)

西蓮寺と松尾大社西七条御旅所

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Amz_8869a
※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日は(残りの写真を撮りに)東寺を訪れる前に、近くの七条御前付近を歩いてきました。御前通七条下ルに「松尾大社西七条御旅所」があります。

Amz_8868a

この御旅所は「松尾祭」の神輿の御旅所で、創建の詳細は不明ですが平安時代末期の史料にすでに記されているそうです。 (広い境内です。)

Amz_8870a

安土桃山時代の天正13年(1585)には豊臣秀吉により百四十五石の朱印地が与えられ、徳川幕府の下では二百余石の朱印地が認められてきました。朱印地は幕府によって所有が認められた(主として)寺社の領地です。

Amz_8871a

朱印地の石高は(大名の石高と同様に)米に換算した土地の価値で、大きい場合は領土の農民から租税を徴収したり使役を課すことができました。松尾大社と同様に手水舎には亀がいます。

Amz_8873a

御旅社に朱印地が与えられるのは珍しく、しかもその石高は八坂神社や清水寺(130石程度)より大きく、幕府がいかに重要視していたかが分かります。「拝殿」

Amz_8912a

江戸時代には、西七条村に大宮・月読相殿御旅所、櫟谷社御旅所、宗像社御旅所の三カ所の御旅所がありました。「本殿」には松尾大神を祀ります。

Amz_8916a

明治になると分散していた御旅所が大宮社御旅所(現在地)にまとめられ、「官幣大社 松尾大社西七条御旅所」となりました。「社務所」

Amz_8907a

昭和60年(1985)「松尾大社西七条御旅所造営整備事業」により、現在の本殿、神輿庫、社務所が完成しました。境内が広いので落葉の掃除が大変だと思います。

Amz_8909a

「松尾祭」は平安時代の貞観年間に始まったといわれます。現在の「神幸祭」は4月20日以降の第一日曜日に行われ、「おいで」とよばれます。ここに滞在した祭神は1日目の日曜日に「おかえり」とよばれる「還幸祭」で松尾大社に帰ります。

Amz_8918a

神幸祭には、大宮社、櫟谷社、宗像社、四之社の神輿、月読社の唐櫃の渡御があります。神幸祭・還幸祭は御旅所も賑わい、境内に露店がでるそうです。

Amz_8923a

四基の神輿を納める神輿庫、立派な建物です。昨年は新型コロナのために神幸祭・還幸祭の神輿渡御が中止となったそうです。

Amz_8925a

境内の北東の隅に「武御前社(たけのごぜんしゃ」があります。祭神の武甕鎚神(たけみかつちのかみ)は、天照大神の命令をうけて、出雲の国に行き、大国主命の国譲りを見届けて高天原に還り報告したとされる武神です。

Amz_8877a

西七条村の産土神として住民から信仰されてきました。かっては松尾祭の還幸祭の夜、白木で造られた武御前の神輿を子供たちが桂川まで担いでいき、川に捨てるふりをして持ち帰ったといわれます。

Amz_8878a

桂川に捨てた翌日、神輿を砕き壊した木片を便所に刺して疫病封じの呪いをする風習があったそうです。現在の神輿は明治19年に造られ、還幸祭の翌日に子供たちが担いで巡行、還幸祭に出遅れた「居眠り神輿」として大歓迎だそうです。

Amz_8927a

明治初年の神仏分離令以前は、北隣の「西蓮寺」は御旅所の境内地にありました。山号を松尾山という時宗の寺院で、平安時代の天慶2年(939)空也上人が都で布教して、松尾の神に法施したことから創建されたといわれます。

Amz_8852a

本尊は地蔵菩薩、住職は代々御旅所の供僧をつとめ、松尾大社の神幸祭には踊念仏を行ったと伝わっています。平安京の七条堀川にあった市屋道場(金光寺)に対し西市屋道場とよばれました。市屋とは市(いち)の屋舎のことです。

Amz_8859a

東市には市姫社(現、河原町七条の市比売神社)、西市には松尾神の内の宗像社(現、松尾大社西七条御旅所)が、それぞれ市神としてが祀られました。中世には祈祷寺院としての東寺の葬儀に関与したと伝わっています。

Amz_8860a

一昨年10月から「京都時宗道場 御朱印巡り」が始まりました。1番・東山の長楽寺、2番・安養寺から始まり、13番・西蓮寺、14番・金光寺、15番・福田寺です。下は今年1月の西連寺の御朱印で、お正月らしくカラフルです。

Amz_8855a

門前の掲示板に川端茅舎(ぼうしゃ)の俳句「ふだらくの初観音へ川蒸気」。季語の初観音は1月18日の観世音菩薩の初縁日のことです。川端茅舎(1897-1941)は東京都生まれ、当初は画家を志し岸田劉生に師事するも病のために断念、

Amz_8853a

俳句に転向して高浜虚子に師事「ホトトギス」同人、視覚的で格調高い句が特徴。ちょっと洒落た掲示板でした。下は宗紋と寺紋。

Amz_8863a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Amz_8862a

|

« 後七日御修法 真言宗の最高の儀式 | トップページ | 御前通を歩く 七条から西塩小路へ »

コメント

朱印地の石高が大きいと、
大名と同じようなものだったのですね。
寺の力が、当時はかなり大きかったのでしょうね。
今とは、立ち位置が全然違ったようですね。

投稿: munixyu | 2022年1月24日 (月) 15:05

★munixyuさん こんばんは♪
寺社が今とは比べ物にならないほど権力をもっていたのですね。もっとも、権力者は寺社の宗教的な力を利用して民衆を支配していたという側面もあります。

投稿: りせ | 2022年2月 2日 (水) 00:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 後七日御修法 真言宗の最高の儀式 | トップページ | 御前通を歩く 七条から西塩小路へ »