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2021年12月 4日 (土)

大原念仏寺 堂宇再建と護良親王

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

来迎院を出て呂川沿いの道を三千院の方に戻ると、途中に「勝手神社」の鳥居があります。三千院の寺伝によると平安時代の天治2年(1125)、良忍上人が声明道場の守護神として多武峰(とうのみね)から勧請したとされます。

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さらに三千院の塀に沿って下ると、左に良忍上人の半生を描いた「良忍上人絵伝」が並び、正面には石段下の「一服茶屋」が見えてきました。

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この日は最初に来た三千院の石段参道を下らずに、呂川にかかる「魚山橋」を渡って旧道を歩きます。橋の向こうの左にあった「魚山園」は、大正13年創業の料理旅館の老舗です。

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2年前の記事では、建物を取り壊していたので廃業したようだと書きました。しかし、この日訪れるとフェンスの中で建物の新築工事が行われていて、施主が魚山園となっていました。私の勘違いで訂正します。

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一方、魚山園の前、三千院の坂道参道の最上部の崖の上にあったカフェ・甘味処「紅葉庵」はなくなっていました。

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右は「三千院前有料駐車場」 今から訪れる念佛寺の経営のようです。右手前(ほとんど写っていませんが)の建物は 「来迎院町集会所」で、その左奥に昨日紹介した鎌倉時代中期の五輪塔があります。

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「大原念佛寺」 かっては、お地蔵さんの寺として知られその由緒は分かりませんでした。数年前に「後醍醐天皇の皇子で、後の天台座主・尊雲法親王によって、三千院の塔頭寺院として開山された」という記事を見つけました。

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尊雲法親王は護良(もりよし)親王の幼名です。護良親王は梶井門跡(後の三千院)に入り、17歳の時には梶井門主となり、19歳から22歳の間に2度にわたり天台座主となりました。

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親王は武芸を好み、戦う天台座主ともいわれ、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕には還俗して参戦しました。さらに、鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇による「建武の新政」では征夷大将軍に任じられました。

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しかし、もう一人の討幕の功労者、足利尊氏とは相容れず、父の後醍醐天皇とも不和となります。状況を変えようとした護良親王は、令旨を発して兵を集め尊氏討伐に乗り出します。

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尊氏がこの令旨について後醍醐天皇に詰め寄ると、天皇はあずかり知らぬことと護良親王を突き放しました。結局、護良親王は皇位簒奪(資格がないものが皇位を奪うこと)を企てたとして、役職を追われ捕えられてしまいました。

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その後、関東各地で足利軍が北条軍に敗れると、その復権を恐れた足利氏の勢力によって護良親王は殺害されてしまいました、享年28。(庫裏・寺務所、本堂を兼ねています。)

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このことから、近世まで護良親王は皇位簒奪を企てた逆賊とみなされてきました。現在では事件は濡れ衣とされ、尊氏討伐には後醍醐天皇の密命があったという説もあります。(庫裏の横から大原の里が見渡せます。)

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私は、皇室をはばかって念佛寺の由緒を公けにしてこなかったと思っていました。ところが、数年前から念佛寺は積極的な活動を始て現在ではHPもあります。「妙音弁財天」

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文化14年(1814)に火災に遇い、ことごとく焼失して再建したので詳しい由緒が不詳だそうです。再建された堂宇も昭和9、10年の台風により倒壊、流失してしまいました。その後の再建の際に、高橋三広氏によって等身大石仏(下)が造られました。

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そして上野の浄名院の八万四千体地蔵尊の内、第五万四千九百四十二番が勧請されました。境内にある多くの石仏も再建の過程で安置(奉納)された地蔵のようです。

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かっては境内のあちこちにお地蔵が置かれていましたが、等身大の石仏の両隣に並べられていました。上の方で写真を載せた石仏は、新しく置かれたようです。

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一昨年に工事中だった建物は本堂だと思っていたのですが、地蔵堂かも知れません。小さいながらも立派な寺院建築です。三千院の寺伝によると、念佛寺の本尊の阿弥陀如来は護良親王の護持佛と伝えられています。

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こちらに祀られているのは阿弥陀如来ではなく地蔵菩薩のようです。ちなみに、護良親王は鎌倉の二階堂にあった東光寺に幽閉され最期を迎えました。廃寺となりましたが、親王を顕彰した鎌倉宮が造営されています。

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念佛寺では「幽玄な里山を一望できる地蔵信仰の山寺」として、境内が整理されて開放的になりました。お地蔵さまにちなんだ「身のお守り」や、間伐材を用いた御朱印帳もあります。

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コメント

護良親王は濡れ衣で殺されて、ちょっと無念でしたね。
わからないだけで、濡れ衣で殺された人って、
歴史上多いのかもしれませんね。

投稿: munixyu | 2021年12月 4日 (土) 15:31

★munixyuさん こんばんは♪
昔は公正な裁判や科学的な検証法がなかったので、人の噂だけで罪にされた人が多かったと思いますね。

投稿: りせ | 2021年12月 7日 (火) 01:59

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