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2021年11月29日 (月)

三千院 客殿から往生極楽院へ

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、勝林院・宝泉院・実光院を訪れた後、三千院まで戻ってきました。「御殿門」の堅牢な城門のような造りと高い石垣は、かっての門跡寺院をしのばせる風格があります。

「三千院」は山号を魚山(ぎょざん)という天台宗の寺院ですが、三千院は明治になってからの名称です。

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三千院は、奈良時代の延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔に築いた円融房(えんにゅうぼう)に始まり、その後慈覚大師円仁に引き継がれました。(拝観受付から客殿に行く途中にある坪庭。)

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平安後期以来、皇子皇族が住持を務める宮門跡となり、寺地は比叡山内から近江坂本、京都市中と移動しました。「客殿」は安土桃山時代の天正年間(1573-1592)の建立で、御所の修復の際に豊臣秀吉から提供された紫宸殿の余材が使われたといいます。

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客殿の南に広がる庭は「聚碧園」と呼ばれる池泉鑑賞式庭園で、作庭者は不明だそうです。こちらの縁側は有料のお茶席になっています。三千院は山側が東の斜面の台地に建てられています。

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聚碧園は江戸時代の茶人金森宗和が美しさに感動して自ら手を加えたといわれ、彼が作庭したという説もあります。趣のある蹲踞(つくばい)です。

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この庭は自然の地形を利用していて、池には音無しの滝の水が律川を経て流れ込んでいます。池や石組、石造品の配置は、禅宗の庭のような特別な意味はないようです。(客殿の南西から円融房に続く渡り廊下から)

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三千院は、移転するつど寺名も円融房から、梨下房、円徳院、梨下門跡、梶井門跡と変わりました。現在の「円融房」は収蔵庫と展示施設を兼ねた新しい建物です。(客殿の東側から外縁を通って宸殿に向かいます。)

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明治維新後、門跡の昌仁法親王は還俗して新たに梨本宮家を起こしました。梶井門跡の仏像や仏具類は大原にあった政所に移され、新たに三千院と称して現在に至ります。政所は大寺院の寺務や雑務を行う場所です。「清浄水」(左)と「法洗心」

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「宸殿」は三千院の最も重要な法要である「御懴法講(ごせんぼうこう)」の道場として、大正15年(1926)に建てられ、本尊・薬師瑠璃光如来が安置されています。東の「虹の間」から、シャクナゲが美しい場所です。

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この部屋は天皇陛下をお迎えする玉座を設え、襖絵は下村観山最晩年の大作です。最近、虹の絵の部分が紫外線で劣化、原画は収蔵庫に保管してデジタル高精細複製が展示されています。(室内は撮影できません。)

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宸殿の裏の斜面のお堂はおそらく鎮守社だと思われます(寺院では見逃さないようにしています)。もともと、鎮守神は新たに土地を開き建物を建てたときに、その土地に住む神霊(地主神)が禍を起こさないように勧請されたものだそうです。

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中国の伽藍神が起源とされ、仏教の伝来とともに寺院を護る神として境内に鎮守神が祀られました。その後、地主神と混同・習合がおこり、村落を護る神も鎮守と呼ばれるようになったそうです。(庭に降りました。)

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この庭は池泉回遊式庭園の「有清園」で、その名は中国南朝宋の詩人、謝霊運の「山水有清音」という句に由来するのだそうです。下は振り返って見た宸殿。

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三千院は山の斜面に建てられ、境内は門前通りからさらに高く4段になっています。聚碧園が一番下、この庭は2段目になります。有清園には多数の石仏が安置されています。

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宸殿の向かいにある往生極楽院の横に池があり、東(右)の斜面に造られた「細波の滝」から水が流れてきます。この日初めて滝の場所が分かり、そばに石仏がありました。

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この水が下の段にある聚碧園の池に流れていきます。

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宸殿から往々極楽院の両側に道があり、こちらがおススメです。ただし、雪が積もっていたり、雨で道がぬかるんでいるときはこちらは通行できないことがあります。

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向うに帰路にくぐる西門が見えます。

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「朱雀門」 往生極楽院の正面にある朱塗りの門で、かって極楽院が本堂だった頃の正門にあたります。呂川沿いの道に面しています。

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「往生極楽院」(重文) 平安時代中期の986年、恵心僧都源信(942-1017)が父母の菩提のために、姉の安養尼とともに建立しました。近くから写真を撮ると、国宝の阿弥陀三尊(坐像)が写ってしまいます。

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有清園の南東の苔地に、石彫家の杉村孝氏の作品の「わらべ地蔵」が置かれています。苔むして穏やかな表情が分かりにくくなっています。向うの右の地蔵は材質が違うようです。

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杉村氏は昭和12年(1937)藤枝市の石材店の三男に生まれ、全国的に認められたのは50歳近くからです。故郷の山奥の不動峡に8年かけて巨大な不動尊の像を刻み、強い反骨精神の持ち主で熱心な平和運動家でもあります。

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「弁天池」に流れ込んでいる水は「延命水」、ここから坂道と石段があり、さらに3段目の高台まで登ります。

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コメント

冬の日差しが、柔らかくていいですね。
そう言えばもう12月。
時間の流れの早さを感じます。
コロナももう2年になりそうで、何とかならないものかと思います。
病棟閉鎖の大変さは、計り知れないです。

投稿: munixyu | 2021年11月29日 (月) 18:51

★munixyuさん こんばんは♪
他の患者さんのためにも、一日も早くコロナが収束して欲しいですね。

投稿: りせ | 2021年12月 7日 (火) 01:13

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