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2021年12月 1日 (水)

宝厳院 紅葉の庭園を巡る

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、渡月橋あたりを散策した後に宝厳院を訪れました。「宝厳院」は山号を大亀山(だいきざん)という臨済宗大本山・天龍寺の塔頭です。2月5日(日)まで秋の特別拝観およびライトアップが行われています。上の山門左横が拝観受付。

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苑路の最初に、敷き詰められた丸い黒石は苦海を表し、獅子の咆哮に諭されて先を競って苦海を渡り、釈迦如来(右の三尊石)のもとに説法を拝聴しに行く獣(十二の干支)を連石で表しています。

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三尊石の中央の釈迦如来の救済を、左右の脇侍、文殊菩薩と普賢菩薩が知恵と慈悲によって支えます。苦海を渡りきれないもののために、舟(上の写真の左手前)を配して万全を期しているそうです。

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宝厳院は、室町時代の寛正2年(1461)細川頼之の資金によって、天龍寺3世の聖仲永光禅師を開山に迎えて創建されました。創建時は上京区禅昌院町に広大な寺域を有していました。

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宝厳院は応仁の乱(1467 - 1477)に巻き込まれ焼失、天正年間(1573 - 1591)豊臣秀吉により再興されました。しかし、明治時代に河川工事のため寺域が買い上げられ、天龍寺塔頭の弘源寺内に移転しました。

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平成14年(2002)現在地を購入して移転・再興しました。境内の庭園は、室町時代の禅僧・策彦周良(さくげんしゅうりょう)禅師によって作庭された回遊式庭園「獅子吼(ししく)の庭」で、江戸時代の『都林泉名勝図会』にも掲載されています。

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この地は天龍寺塔頭・妙智院の跡地です。策彦禅師は丹波の細川氏の家老・井上宗信の3男で、17歳のとき天龍寺で剃髪、周良と称しました。師の後を継いで妙智院3世となり、勘合貿易船の遣明副使、正使として中国・明に2度渡りました。

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上は茶庵の「無畏庵(むいあん)」、無畏とは恐れることなく法を説くという意味だそうです。下は「無礙光堂(むげこうどう)」、永代供養塔で周囲の世話にならないと、生前に申し込む方も多いそうです。

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「本堂」 洋画家・田村能里子による障壁画58面の「風河燦燦 三三自在」にあり、三十三人の老若男女の姿が独特の赤により描かれています。秋の特別拝観では本堂の拝観ができます(別途志納金が必要)。

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「書院」 大正8年に日本郵船の重役であった林民雄氏が妙智院の跡地に建てた別荘です。大正から昭和初期の近代数寄屋建築の黄金期を代表する建物だそうです。

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窓ガラスは当時の技術のため平坦ではなく外の景色が波打って見え「大正ガラス」と呼ばれます。今となっては高価でなかなか手に入らないそうです。右下にある小さな滝からの水が小川となって庭園を流れていきます。

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無畏庵の前まで戻って、苑路を東に進みます。「碧岩」 億年前の海底に堆積した微生物やプランクトンからできたチャート(堆積岩の一種)で、大堰川上流、有栖川上流、龍安寺の山手から産出するそうです。

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庭園の方角が分かり難いかも知れませんが、天龍寺と同様に東の道路(塀)から西に境内が広がっています(山門は南東隅)。 向うは書院。

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ところで庭の名の獅子吼は、獅子がほえて百獣を恐れさすように、悪魔や外道(げどう)にひるむことなく、仏道の説法をすることを指すそうです。庭園の中央は広い芝地になっていて、沿路はその周囲を回ります。

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「豊丸垣」 竹の小枝を下向きに重ねた垣です。あたかも昔の田園風景に見られる、藁や麦わらで作った蓑に似ていることから蓑垣とも呼ばれます。

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「獅子岩」は碧岩と同質の岩で獅子の姿をしていて、前述の都林泉名勝図会にも記載されているそうです。苑路を歩いて振り返らないと姿が分かりません。これら巨石の名前は作庭者の策彦周良が命名したといわれます。

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苑路は小川を何度か渡ります。ほとりには様々な草花が植えられていますが、いまは紅葉が鮮やかに色づいています。

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庭園内を散策して、鳥の声、草花の色香、梢をゆらす風の音を聴くことによって、自然の摂理と人生の意味、正道を肌で感じとることができとされています。

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苑路は庭園の東端に沿って、南に向きを変えます。このあたりは日当たりがよいのか、ひときわ鮮やかな紅葉の色合いです。

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東の塀沿いの羅漢像 この塀の外側や道の向かいにも羅漢があり、全体が「嵐山羅漢」と呼ばれます。「五百羅漢を嵐山に建立することにより、人類の安心立命と嵐山の守護・景観保全を祈念し、有縁無縁の菩提を弔う」という趣旨だそうです。

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小川はこのあたりでは「大堰川」とよばれ、左側は嵐山の景観をかたどっていて、奥に光悦寺垣も見えます。苑路の向うには借景の嵐山が見えます。

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この日は拝観していませんが、田村能里子による本堂の襖絵「風河燦燦三三自在」の朱色は紅葉の色に近く、命が宿り燃えている色なのだそうです。

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茶席「青嶂軒(せいしょうけん)」 書院と同様に大正時代の建物で、近年に修復したそうです。

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 「宝厳院垣」 青嶂軒をL字型に囲み、蓑垣の耐久力を増すために上部に屋根をつけています。

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