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2021年11月 5日 (金)

転法輪寺と御室大仏

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の五智山蓮華寺を出て北の山の方に向かって歩くと、転法輪寺(てんぽうりんじ)があります。下の道を真直ぐ行くと山門がありますが、「開通 轉法輪寺」の石標を右に曲がって参道を歩きます。

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「転法輪寺」は山号は獅子吼山(ししくさん)という浄土宗知恩院派の寺院で、江戸時代中期の宝暦8年(1758)、北野天満宮の滝ケ鼻町(上京区)に関通(かんつう)上人が創建したのが始まりです。

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開山の関通上人(1696-1770)は、尾張国に生まれ、12歳で剃度し元教と号し、その後江戸の三縁山や増上寺で修学し、20歳のとき詮察大僧正より宗戒両脈を相承しました。

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関通と名乗ったいきさつがあります。江戸からの帰路、箱根の関所を通る旅人の通行手形を見て、人間界の苦悩という関所も本願念仏の「南無阿弥陀仏」という手形があれば脱出できると悟ったことによるそうです。

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京都、大和、南海、九州などを巡り布教の努め、他宗の迫害が続く中、10余り寺の建立・改修を行い、弟子1500人、受戒者3000人、弥陀尊号施与27万枚といわれています。「鐘楼門」

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江戸時代後期に刊行された『都名所図会』では、築地塀に囲われた広い境内に本堂、礼堂、学寮といった建物と流水もある苑地が描かれています。『都名所図会拾遺』では「真に殊勝な浄域」と賛美しています。

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鐘楼門は平成21年(2009)に再建されたもので、竜宮造りで『都名所図会』の図に似た様式となっています。扁額「獅子吼山」が架かっています。

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大釣鐘は創建当時の江戸時代中期に桜町天皇菩提のために鋳造され、典侍・即心院殿により撞き初めの儀が行われました。高さ2.7m 、重量は4tあり、洛陽中有数の名鐘とされました。室内の写真は第53回京の冬の旅のガイドブックからです。

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大正時代、転法輪寺は後に総本山知恩院門跡となる山下現有僧正を住持に迎え、さらに隆盛しました。しかし、関通上人の頃には京の西の果てであった北野もその当時には既に市街の喧噪の中でした。

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轉法輪寺の阿弥陀様は西方におられるべきとの声のもと、更に西方に移転することになりました。左は本堂、右は書院。

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既に知恩院門跡となっていた現有僧正の援助により、昭和4年(1929)弟子で住職の山下俊孝和尚によって現在地の御室に移転してきました。書院の窓にお宝が見えます。

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書院と本堂は渡り廊下で結ばれ、その向うには庭園があるようです。

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本堂は移転時の再建で、本尊「阿弥陀如来坐像」は2丈4尺(7.2m)の大仏、五色の光背中央に鏡が飾られ、桜町天皇(1720-1750)の追福のために寄進されたものです。本尊が大きいため、外観が2層のような造りになっています。

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首には天皇宸翰の名号一軸、新中和門院と即心院殿の祈願文を納め、胎内には恵心僧都(942- 1017) 作とされる念持仏の阿弥陀如来1体、関通染筆の造立意願文を納めています。新中和門院は桜町天皇の生母、典侍の即心院殿は女官の最高位です。

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造立意願文には「あらゆる縁の有る全ての人々が、この大仏を仰ぎ見て南無阿弥陀仏と一称一念すれば、いかなるものも捨てずにお救い下さり、必ず極楽に導いてくださいます」と記されているそうです。

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本尊を北野から御室に遷した際、当時の市電の架線を竹竿で持ち上げて移動させました。しかし、どうしてもくぐれない場所があり、架線を切断したそうです。「御室大佛」と呼ばれ、霊山観音に次いで京都で2番目に大きな仏像(木像では最大)です。

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本尊の背後の厨子内に珍しい「裸形阿弥陀如来像」が安置されています。室町時代作像の高3尺(90㎝)、名工・賢問子(けんもんし)の作といわれています。来迎印を結び、裸形像としては日本で五体の一つだそうです。

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この像には逸話があります。飛鳥時代の620年頃、舒明天皇皇后(後の皇極天皇)は子に恵まれず、春日の明神を後宮に招き日夜祈請を行い、程なくして懐妊しました。

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陰陽博士らが女子であると占うと、皇后は皇女を皇子に変えることを願って再度21日間の祈願を行いました。満願の日に春日の明神が夢に現れ、阿弥陀の功徳により女子が男子に生まれ変わることができると告げました。

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皇后が眠りから覚めると、苦しみもなく皇子(後の天智天皇)を産んだといいます。皇后は、夢の中に現れた阿弥陀を仏師・賢問子に造らせ、天智天皇、天武天皇、持統天皇の御守本尊として後宮に祀らせました(現在の像の前身)。

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現在では安産の信仰があります。一昨年、寺の蔵でこの像の来歴に関する江戸時代の巻物が発見され、伝承のとおりに室町時代に造仏されたことにが書かれていたそうです。

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寺宝の「釈迦大涅槃図」は作者不明ですが1764年の作と伝わっています。縦5.3m、横4.9mの絹地に釈迦の入滅に際して、お母様、弟子たち 、諸菩薩と様々な神々、昆虫を含むさまざまな生き物たちが描かれています。

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転法輪寺では誰でも参加できる別時念仏会を毎月行っています。この別時念仏会は関通上人が始めたもので、250年間絶えることなく続いている行事です。今月は11月14日(第2日曜日)11時~12時半に別時念仏法要があります。

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感染症対策を考慮して、法要は午前中のみで昼食はお持ち帰り頂くそうです。境内は綺麗に手入れされ、様々な秋の花が咲いていました。

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この後、さらに北にある寺院に向かいました。

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