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2021年11月14日 (日)

神護寺 金堂石段下へ 2021紅葉 

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は2年ぶりに高雄方面に行ってきました。上はJRと市バスの高雄バス停、下は周山街道から清滝川に下る参道。3年前の台風でがけ崩れがあり、新たに石段が整備されました。

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途中にある高雄名物「もみじの天婦羅」屋さん、久しぶりに営業しているのを見ました。店で紅葉を揚げていて、飲み物もあります。

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ニュースの紅葉情報では、10日ほど前から高雄は「見頃」になっていました。見頃の時期が実際より前後に長いのですが、ここまではまだ緑の葉も混じっています。(清滝川が見えてきました。)

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「高雄橋」 かっては神護寺の橋だったそうで、左のたもとに「女人禁制」の石標があります。現在の橋は1982年にかけられました。

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現在はここからが神護寺への参道です(右の石段)。「神護寺」は山号を高雄山という高野山真言宗の寺院です。数年前に別格本山から遺迹(ゆいせき)本山へと呼び名が変わりました。

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遺迹本山とは弘法大使が住まわれた寺院という意味で、神護寺と河内の観心寺の2ヵ寺だけだそうです。(最初はかなり急な石段が続き、最初の折り返し地点にある「高雄茶屋」、ここから参道の傾斜がゆるくなります。)

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折り返し地点を過ぎると参道左横に三段になった平地があり、最初の2段には高雄茶屋があります。高雄名物がすべてセットされた「もみじセット」が人気だそうです。

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上は1段目、下は2段目にある高雄茶屋、紅葉の中に赤い毛氈を敷いた床が作られいい雰囲気ですが、お店を利用しない人は通り抜けできません。

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「谷紅葉」(渓や他の漢字も)は、様々な色合いになりやすいといわれます。紅葉が色づくには、冷え込み以外に十分な日当たりや適度な水分が必要で、川や滝沿いはその条件が変化に富むからだそうです。

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三段目の平地にある茶店の「硯石亭」、この名の由来の石が前にあります。

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「硯石」 この石には逸話があります。平安時代、嵯峨天皇の命により金剛定寺(現存せず)の額を空海に書いてもらうために神護寺に勅使が遣わされました。ところが、前日の大雨により清滝川が増水し、勅使は対岸に渡れません。

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そこで空海はこの石を硯として使い、対岸に額を立てさせ筆を投げたところ、筆は自ら「金剛定寺」の文字を書いたといわれます。勅使が立った清滝川の対岸には「額立石」があるそうです。

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神護寺は、和気(わけ)氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」が平安時代前期の天長元年(824年)に事実上合併してできた寺です。(ここから次第に参道の傾斜がきつくなります。)

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前身寺院の神願寺は、和気清麻呂(733-799)によって建てられた寺で、所在地は河内、山背など諸説あり確定していません。(崖下には硯石亭の床が続いています。)

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和気清麻呂は貴族の高級官僚で、歴代天皇の側近として長岡京や平安京遷都などに貢献しました。「楼門」(山門)は江戸時代の1629年頃に建立され、三間一戸。前の紅葉がいい感じですが、工事中で楼門の姿を見ることができません。

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清麻呂が神願寺を創建したのは、奈良時代末の宝亀11年(780)あるいは少し後の延暦年間の783年までの間といわれています。楼門右手にある 「本坊」

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楼門をくぐると紅葉が鮮やかに色づいていて見頃でした。日当たりがよいこともありますが、参道の紅葉と違う種類かも知れません。

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「書院」には石庭「灌頂の庭」や茶室「了々軒」があり、5月初めに「宝物虫払い行事」として 国宝・源頼朝像、平重盛像、釈迦如来像などが展示されます。

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もう一つの高雄山寺(または高雄寺)は、現在地に古くから存在した寺院です。和気清麻呂の墓所が神護寺境内にあるところから、ここも和気氏ゆかりの寺院であることは確かですが、正確な創建年代は不明です。「宝蔵」

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「和気清麻呂公霊廟」 昭和9年(1934)に建立、檜皮葺で向拝付零廟。大壇越の京都の実業家・山口玄洞が寄進して、安井猶次郎が設計。壇越とは寺や僧侶に布施をする信者のことで、檀家や檀那のもととなったことばです。

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ここからでは見えにくいのですが、「鐘楼」は江戸時代の元和年間((1615-1623)に京都所司代・板倉勝重の寄進により建立。左に「和気公墓道」の碑があり、鐘楼の横から清麻呂の墓へ山道が続きます。

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「明王堂」 江戸時代の1623年、京都所司代・板倉勝重が奉行になり、細川忠興の帰依も得て再建された建物です。祀られている不動明王像が、2012年の調査で平安中期作であることが判明しました。

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右は「五大堂」、平安時代の天長年間(824-834)に淳和天皇の勅願により建立され、現在の建物は江戸時代の1623年頃の再建。左は「毘沙門堂」、江戸時代の1623年頃の建立、厨子内に毘沙門天立像(重文)を祀っています。

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毘沙門堂の奥にある「大師堂」(重文)は安土桃山時代の建立で、元の建物は空海の高雄山寺時代の住房「納涼房」だったそうです。毎年11月1日~7日の期間、大師堂の本尊・板彫弘法大師像が御開帳されます。

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天長元年(824)の太政官符に、神願寺と高雄山寺の寺地を交換、寺号を「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」とし、この寺は定額寺(官が保護を与える一定数の私寺)に列せられたと記録されているそうです。

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寺地の交換が行われたのは、神願寺があった土地は低湿の砂地で「汚穢」(けがれ)があり、仏法の道場としてふさわしくなかったからといわれています。金堂の石段下まで来ました。

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太子堂前の手水鉢

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コメント

高雄がもう見ごろなんですね。
薄紅葉と濃紅葉の入り乱れる頃が1番好きです。
「もみじの天婦羅」は、箕面を思い出します。
ただの葉っぱなのに、意外と美味しいですよね。

投稿: munixyu | 2021年11月14日 (日) 15:05

★munixyuさん こんばんは♪
紅葉の天婦羅は箕面にもあったのですか。紅葉の名所で商売をする人は同じことを考えるのですね。

投稿: りせ | 2021年11月18日 (木) 23:54

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