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2021年11月20日 (土)

高山寺 復旧した境内をめぐる

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日は大原に行ってきました。その記事は明日以降として、今日は高雄方面の最後として高山寺の境内を巡ります。石水院を出ると、前に「仏足石参道」の碑があります。

この道は明恵上人の古跡を通り、「仏足石」を経て金堂に至る坂道です。2018年の台風や2020年の豪雨により被害を受けて通行止めになり、コロナ禍の外出自粛もあって、私にとっては4年ぶりです。

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左の坂の上に「日本最古之茶園」がありっます。明恵上人は建仁寺の栄西禅師を訪ねたとき、栄西が宋から持ち帰った茶の種3粒をもらい、この地に植え栂尾茶として栽培、しかし傾斜地で畑地が狭い難点があり、後に宇治に移植され全国に広まリました。

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当初の栂尾茶は朝廷にも献上され修行の道具でした。鎌倉から室町時代初期には、お茶の産地を当てる「闘茶」が催され、最初は栂尾茶を「本茶(ほんちゃ)」その他を「非茶(ひちゃ)」として、「本非茶勝負」ともよばれたそうです。

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仏足石参道を上っていくと、参道脇や左の斜面に大木の切り株があります。2018年の台風21号は京都の寺に大きな被害を及ぼし、高山寺では境内のスギやヒノキが300本以上倒れ、金堂が半壊するなど大きな被害を受けました。

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復旧工事には億単位の費用が必要で、高山寺ではクラウドファンディングで支援を募りました。坂道の途中に開けた場所があり、ここは明恵上人終焉の地です。

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「開山堂」 明恵上人が晩年を過ごした禅河庵(禅堂院)で、明恵没後に御影堂、その後、開山堂と呼ばれました。室町時代の兵火で焼失し、江戸時代の享保年間(1716-1736)に再建されました。

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「聖観音像」 彫刻家の赤堀信平(1899-1992)の作品。この観音像がきっかけとなり、各地の寺院や施設から観音像の制作依頼があったそうです。確かに人間と仏の間にたって悩みを聞いてくれそうな優しくて美人の観音像です。

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明恵上人は武士・平重国の子でしたが8歳で孤児となり神護寺の叔父・上覚の下に預けられました。上覚の下で出家、東大寺戒壇院で具足戒を受け東大寺に出仕しました。( 一段低い場所に収蔵庫があります。)

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その間、華厳、真言、律、禅宗などを体得しました。22歳で紀州白上峰に隠遁しましたが、1198年文覚より高雄に戻され神護寺別院の再興を託されました。坂道の上に「御廟」があり、斜面で植樹が行われていました。

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1207年には院宣により東大寺尊勝院学頭となりましたが、後に栂尾に戻り1232年に禅堂院で亡し、この地に葬られました。明恵上人の御廟の中には、五輪塔が立てられています。

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左に明恵上人の歌碑があります。「山のはにわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ」

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御廟への石段下で道は二つに別れ、左が仏足石参道です。この場所も大木が被害を受け広場になってしまい、かっては樹間にあったお堂がポツンと立っています。

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「仏足石」 明恵上人が釈迦を慕って足形を刻んだとされ、江戸時代の文政年間(1818-1830)に復元されたものです。この仏足石は明恵上人の遺跡の一つで、表参道の入口から「仏足石参道」の道標がこの地に導いてくれます。

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この広場から石段を上り、先ほどの分かれ道のもう一方の道にいきます。

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少し御廟の方に戻ると、1216年に明恵上人の僧坊・石水院が建立された跡地があります。1228年に洪水により流出して、僧房は禅堂院に移されました。

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この道の下に、仏足石の広場や仏足石参道沿いの紅葉、向うに周山街道の山並が見られます。台風の復旧工事は、被災直後から始まりましたが、倒木はヘリコプターで搬出せざるを得ず困難な工事になりました。

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1年半後の2020年3月に復旧工事は一応完了しましたが、今度はコロナ禍に見舞われました。この道の先に金堂が見えています。

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金堂の隣にある「春日明神社」 明恵上人が春日大社から藤原氏の氏神・春日明神を勧請し、当時の藤原氏の家督を継いだ者は最初にここに参詣する習わしがあったそうです。

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当初の金堂は1219年に建立され釈迦如来が安置されました。現在の金堂は江戸時代の1634年に仁和寺古御所の御堂を移築したもので、本尊として室町時代作の釈迦如来坐像を安置しています。

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金堂は台風によって半壊して、この再建にも多大の費用が必要とされました。金堂の左奥に宝篋印塔があり、そこまで石畳が続いていますが、由緒は不明です。

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金堂の前の石段は表参道から続き「金堂道」と呼ばれています。かっては高い杉に囲まれた樹間の道でしたが、今は紅葉が目立っています。

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ところで、昨日の月食は皆既月食に近い部分月食だったそうです。自宅からは月が比叡山から昇る位置にあり、見えたころには食の部分が小さくなりかけていました(月出帯食) 。

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満月の暗い部分は地球の影です。地球の影の周辺部分は大気で青い光が吸収・散乱されて赤くなるそうです。上と下の写真の月は回転しているのではなく、地球の影が左上から、斜め右上に移動しているからです。

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食事の後に見ると既に月食は終わりかけていました。日蝕と違い月食は実際に月にできた影なので、地球のどの場所から見ても同じ欠け方です。ただし、京都より東の場所で見ると、早く月が昇るので皆既月食近い月が見られます。

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この後、周山街道を北に行ったところにある落葉神社に向かいました。そこでちょっと嬉しいハプニングがあったのですが、別の機会に。

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コメント

我が家から月食は楽しめませんでした。
何度も空を眺めましたが薄雲がかかり駄目でした。悔し~い。

投稿: Tacchan | 2021年11月20日 (土) 14:32

★Taccha~n こんばんは♪
昨日の月、大文字山の横から出るとばかり思ってたから「どこや~」って感じ。まさか比叡山の横から、とは思わなかった。
コメントありがとう、先ほど重複したのは消しました。
このブログ画面のコメント表示が遅いらしいのです。心配かけてごめんなさい。
寒くなりましたね。風邪ひかないようにね。

投稿: りせ | 2021年11月20日 (土) 17:54

高山寺の台風被害のことは、覚えていますが。
境内のスギやヒノキが300本とか、金堂とか、大災害ですよね。
切り株が、生々しいです。
クラウドファンディングの力ですよね。こんな形で修復されるとは、
寺も驚いていることでしょう。嬉しいことですよね。

投稿: munixyu | 2021年11月20日 (土) 19:08

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