« 神護寺 金堂石段下へ 2021紅葉  | トップページ | 高雄から槇尾へ 清滝川の紅葉 »

2021年11月15日 (月)

神護寺 金堂から展望台へ 2021紅葉

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

Amy_9055a
※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の続きで、高雄神護寺の金堂の石段を上ってきました。上の写真で、左手前は五大堂、その向うは毘沙門堂、右奥にあるはずの太子堂は紅葉に隠れています。

Amy_9057a

「金堂」は和気公霊廟と同じく、1934年に大檀越の山口玄洞の寄進、安井猶次郎の設計です。内陣には、8世紀末作の「薬師如来立像」(国宝)が祀られ、この仏像はかつて神護寺の前身寺院の一つ河内・神願寺の本尊でした。

Amy_9060a

金堂の右横に不動明王像、その右に和気公墓道が見えます。鐘楼の前から始まり、ここかでもかなりの山道が続きます。

Amy_9067a

金堂の左手に「龍王堂」があります。昭和初期、山口玄洞により、金堂、多宝塔、和気公霊廟などとともに再建され、農・漁業に関わり水を司る水神の龍王を祀ります。

Amy_9082a

多宝塔への石段の途中から金堂、このあたりでは、青葉から紅葉のクラデュエーションが見られます。

Amy_9087a

「多宝塔」 内陣には平安時代前期作の「五大虚空菩薩坐像」(国宝)が安置され、10月の連休に御開帳されます。

Amy_9098_102a

神護寺の前半の記事で、和気氏にゆかりのある「神願寺」と「高雄山寺」が平安時代初めの824年に合併して、その寺が神護寺の始まりというところまで紹介しました。二つの寺が合併した「神護国祚真言寺」とは、

Amy_9105a

「八幡神の加護により国家鎮護を祈念する真言の寺」という意味だそうです。国祚(こくそ)は国が栄え安泰なことだそうです。多宝塔から降りたところから、地蔵院への近道があります。ここから一旦小さな谷に下ります。

Amy_9129a

「閼伽井(あかい)」 平安時代初めの812年、空海が金剛界、胎蔵界両部の伝法灌頂を行った際に掘って、浄水を儀式に用いたといわれ、今も水が湧いています。

Amy_9133a

空海は大同4年(809)から14年間高雄山寺に住し、合併する前年に東寺に移りました。その後、神護寺は空海の弟子の実慧や真済が別当(住職)となりました。(閼伽井からの水が池となっています。)

Amy_9138a

しかし、平安時代の正暦5年(994)と久安5年(1149)の二度の火災にあい衰退しました。武士出身の僧・文覚は、源頼朝や後白河法皇の援助を得て東寺、高野山大塔、東大寺など、各地の寺院の所領を回復したり建物を修復していました。

Amy_9141a

神護寺も、高野山など各地の寺に散逸した諸仏や銅鏡、五大虚空蔵菩薩像、荘園も返還され復興は順調に進んでいました。しかし、鎌倉幕府の内紛に巻き込まれ、謀反の疑いがあるとして流罪となってしまいました。石碑?

Amy_9142a

文覚は神護寺の中興の祖となりましたが、その完全な再興は弟子の上覚(上覚房行慈)や明恵によって成し遂げられました。下は俳人・能村登四郎(1911-2001)の句碑「初紅葉せる羞(はじら)ひを杉囲み」。

Amy_9145a

地蔵院と池、このあたりでは一番の高台にあります。

Amy_9150a

「地蔵院」は明治33年(1900)に再建された塔頭で、地蔵菩薩(世継地蔵)を祀ります。左に客殿があります。

Amy_9158a

その後、鎌倉・南北朝時代には後醍醐天皇が神護寺に行幸、灌頂を受けるなど朝廷とのつながりが続きました。しかし、室町時代の応仁の乱(1467-1477)により焼失、さらに天文年中(1532-1592)の兵火でも焼失しました。

Amy_9170a

関ヶ原の戦いの後には徳川家康によって寺領が返還されました。1623年京都所司代・板倉勝重が奉行になり、細川忠興の援助も得て、多くの伽藍が再建されました。

Amy_9176a

安土桃山時代に豊臣秀吉により寺領が寄進されました。(かわらけ投げの展望台に来ました。)

Amy_9181a

かわらけは厄除と書かれた素焼きの皿で、それを清滝川の谷(錦雲渓流)に向けて投げます(的はありません)。神護寺は各地で行われている「かわらけ投げ」の発祥の地といわれます。

Amy_9192a

展望台には茶店・休憩所があります。あまざけが名物で、抹茶、ひやしあめ、コーヒーなどもあります。

Amy_9200a

明治元年(1868)の神仏分離令後の廃仏毀釈により、境内や寺領は没収され、塔頭9、坊15が廃止されました。楼門まで戻ります。

Amy_9225a

帰りは、表参道ではなく楼門の横から車が通れる参道を下りました。

Amy_8993a

少し距離はありますが、歩きやすくてかかる時間は同じ程度だと思います。途中で三つの茶店の裏を通ります。

Amy_9253a

清滝川まで戻って来ました。

Amy_9271a

お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしくお願いします。

★こちらを是非よろしく→   ブログ村→にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
-------------------------------------------------------------------

Amy_9064a

|

« 神護寺 金堂石段下へ 2021紅葉  | トップページ | 高雄から槇尾へ 清滝川の紅葉 »

コメント

人もまばらで、いい感じの紅葉狩りですね。
今年の紅葉は、赤も黄色も緑も、
バランスがいいですね。
上手く主張し合えてる気がします。
来年はもう混んでいるでしょうね。

投稿: munixyu | 2021年11月15日 (月) 18:41

★munixyuさん こんばんは♪
高雄方面は、コロナ以前から市内の観光地の混雑から取り残されたような状態でした。そのため京都市では観光地の混雑状態を知らせるサイトを立ち上げました。しかし、市の観光協会がイベント重視の傾向が強いのも事実です。私がいつも指摘しているように、古跡を示す石碑が撤去されたり、壊れている説明板が何年も放置されています。

投稿: りせ | 2021年11月19日 (金) 00:08

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 神護寺 金堂石段下へ 2021紅葉  | トップページ | 高雄から槇尾へ 清滝川の紅葉 »