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2021年10月20日 (水)

鹿ヶ谷・隠れ道を歩く

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

法然院を出て、鹿ヶ谷(ししがたに)の「隠れ道」を南に歩きました。写真は法然院に入る前の哲学の道から上ってきたところからです。上の写真は哲学の道方面で、吉田山が見えています。

下はT字路の角にある京湯どうふ「喜さ起」、2人から80人までの個室・座敷もあります。7月1日から営業時間11時〜20時、16時以降は予約のみ、酒類の提供は19時までで、ランチもあります。

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隠れ道の北は、山の斜面に沿って曲がりくねりながら銀閣寺山門前まで続いています。

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南を見ると、右は谷崎潤一郎邸跡に建っている「心猿庵」。東京高田馬場にある茶道会館(裏千家)の茶室で、現館長の北見宗峰氏が2005年に建造しました。

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茶室は国宝如庵の写しですが、随所に北見氏の数奇者としてのこだわりがあるといわれています。ちなみに、「心猿」とは、心の欲の制し難いことを、猿がわめき騒ぐのに例えたことばだそうです。

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「テラス哲学の道」 売りに出ることはまずない希少物件(マンション)だそうです。現在この地区でマンションを建設することはできず、隣接する建物はなく、きれいな庭と市内の眺望に恵まれたすばらしい環境です。

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法然院への車道、山門の前と後に続き、観光での車の乗り入れはご遠慮くださいとのことです。

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「法然院森のセンター」 環境学習活動を行う市民グループの拠点で、このあたりの自然や動植物の資料が展示、法然院の貫主も活動に加わっています。この日は開いていて、国立公園のビジターセンターのような雰囲気です(最後の写真も)。

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法然院の表参道の南にある「鹿ケ谷法然院町地蔵尊」、このあたりの町名が名称に付いています。

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この道沿いにはお店がほとんどなく、閑静な街並みなっています。といっても、民家ばかりの住宅街でもなく、古い門構えの建物も多くあり、一昔前の街道のような雰囲気です。

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「安楽寺」 鎌倉時代初期、法然上人の弟子の住蓮と安楽は念仏道場「鹿ヶ谷草庵」を建て、人々に念仏をすすめました。後鳥羽上皇が寵愛した女御、松虫と鈴虫が感化され、ひそかに出家して上皇の怒りをかってしまいます。

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2僧は斬首に、法然は讃岐へ流刑になりました。草庵は荒廃しましたが、流罪地から帰京した法然が2僧を弔うため草庵を復興するよう命じ「住蓮山安楽寺」と名づけられました。

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両姫は瀬戸内海の小島で生涯を終えました。本堂には本尊とともに、住蓮・安楽、松虫・鈴虫の座像、法然の像などが安置されています。また、境内には住蓮・安楽、松虫・鈴虫のそれぞれの供養塔があります。

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安楽寺は通常非公開ですが、さくら・つつじ・さつき・紅葉の時期に特別公開され、毎月25日には門前で京野菜の朝市が開かれます。また、毎年7月25 日に「カボチャ供養」が行われ、参拝者に鹿ヶ谷カボチャが振舞われます。

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江戸末期に安楽寺の住職が、中風で悩んでいる人々を見かねて、何とかならないかと本堂で修行中に本尊・阿弥陀如来から「夏の土用のころに鹿ケ谷カボチャを振舞えば中風にならない」という霊告を受けたのがきっかけだそうです。

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「妙見堂」 妙見菩薩と如意不動(石不動尊)が祀られています。洛陽十二支妙見めぐりの第4番札所で、「鹿ヶ谷の妙見さん」とも呼ばれています。霊鑑寺の参道横にあります。

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「霊鑑寺」は山号を円成山(えんじょうざん)という臨済宗南禅寺派の寺院で、椿寺とも呼ばれます。江戸時代前期の承応3年(1654)後水尾天皇の勅許により、皇女・多利宮(月江宗澄)を開山として現在地の南に創建されました。

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近くの山中で荒廃していた「如意寺」の本尊・如意輪観音と霊鏡が当寺に遷され、「霊鑑寺」の寺号になったされます。横の「如意越」は如意が岳(大文字山)を経て滋賀に行く山道の一つで、右に「此奥 俊寛山荘地」の石標があります。

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俊寛(生没年未詳)は法勝寺執行で後白河上皇(1127-92)の側近でした。治承元年(1177)6月、自らの山荘で横暴を極める平氏打倒の密議を行いますが密告により捕らえられ、薩摩国鬼界島(鹿児島県硫黄島)に流されました。

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石標は鹿ヶ谷の謀議が行われた山荘跡地の方向を示し、如意越の途中の山荘跡付近に「俊寛僧都忠誠の碑」もあります。そのあたりの谷は「談合の谷」とも呼ばれているそうです。写真は如意越を下ってから振り返りました。

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鹿ヶ谷の謀議は同席した源頼政によって清盛に伝えられ、頼政は武士として破格の従三位まで昇り、源三位(げんざんみ)と呼ばれました。しかし、後に平家の専横に耐えかね、後白河天皇の皇子・以仁王と結んで平氏打倒の令旨を諸国の源氏に伝えました。

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計画は露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、頼政は平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自害しました(以仁王の挙兵)。しかし、この令旨により全国の源氏が挙兵、平氏滅亡の契機となりました。

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鹿ヶ谷の謀議と以仁王の挙兵は、どちらも裏で後白河上皇が関与していたのではないかともいわれています。疏水と哲学の道が見えてきました。

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コメント

「カボチャ供養」
本尊・阿弥陀如来から
「夏の土用のころに鹿ケ谷カボチャを振舞えば中風にならない」
という霊告。こういうの僕は信じるタイプです。
言い伝えとか伝説って面白いですよね。

投稿: munixyu | 2021年10月20日 (水) 16:28

★munixyuさん こんばんは♪
寺社の歴史では、しばしば神や仏からのお告げに出会います。人間の世界を何とかしなければ、と考えたからなのかも知れません。

投稿: りせ | 2021年10月28日 (木) 00:42

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