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2021年10月21日 (木)

哲学の道と若王子観音

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

鹿ヶ谷の隠れ道から哲学の道に戻ってきました。しばらく大きな邸宅(和中庵)の塀が続きます。

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「和輪庵」 かっては鉄鋼業の蒲原鉄弥の邸宅で七代目小川治兵衛が作庭した広大な庭園があります。現在、京セラの迎賓館になっていて、毎年「京都賞」受賞者の夕食会が開かれることでも知られています。

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大豊神社のお旅所、春や秋にはここに露店がでます。

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向かいある「日本の道100選」の顕彰プレート 昭和61年(1986)の「道の日」制定を記念して、京都府からは「府道天橋立線」とともに選ばれました。建物は、珈琲がおいしい茶房「小径(こみち)」。哲学の道はかって「思索の小径」と呼ばれていたそうです。

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「大豊橋」 大豊神社の参道でもあります。この日は訪れていませんが、この参道の西(後ろ)に少し寄っていきます。

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直ぐに。「一の鳥居」があります。

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「小川邸」 当主は京阪ホテルズ&リゾーツ(株) 取締役会長で、左の木陰に垣間見える洋館が「京都を彩る建物や庭園」に推薦されました。武田五一の設計で、初期の鉄筋コンクリート造住宅として貴重だそうです。

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哲学の道に戻りしばらく歩くと、右手(西)が開けてきます。

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ここから哲学の道の南端まで真直ぐの道です。柔らかい日差しが心地よく、秋の気配を感じる日でした。

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山側に「宗諄(そうじゅん)女王墓」があります。宗諄女王は、江戸時代の皇族・伏見宮貞敬親王(1776-1841)の王女で光格上皇の養女となり、出家して霊鑑寺の門跡となりました。

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右手の屋根は「光雲寺」 東福門院の菩提寺で、現在は南禅寺禅センターになっています。

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「哲学の道 閑雲庵」一棟貸切別荘で、春には庭の枝垂れ桜が見事です。その向うに同じく一棟貸しの「哲学の道 看月亭」があり、どちらも「町家 葵 KYOTO STAY」の経営です。

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「昭子内親王の墓」 昭子内親王は、後水尾天皇と徳川家康の孫娘・和子(東福門院)の間に生まれた第3皇女です。生涯独身で、寺院への入室もなく、主に女院御所内において両親のそばで生活したとされます。

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下は和菓子屋さんの「叶匠寿庵」が経営する「京都茶室棟」です。テーブルと椅子を使って行う茶道点前で、少人数なら予約なしでお茶を頂けるそうです。

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ところで、数年前まで哲学の道の南端近くに「若王子観音」の石標がありました。かって俳優・栗塚旭が経営していた喫茶店への降り口の近くです。「熊野若王子神社」は、後白河上皇が熊野権現を勧請して創建した永観堂の守護神で、

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江戸時代まで聖護院門跡院家として神仏習合の「正東山(しょうとうさん)若王子乗々院」と呼ばれ、「若王子観音」としても知られていました。明治初年の神仏分離令とその後の廃仏毀釈の混乱の中で神社だけが残されました。

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調べたところ、観音菩薩像や鰐口とともに碑(いしぶみ)が矢田寺へ移されたという記録がありました。矢田寺は寺町三条にあり、山号を金剛山という西山浄土宗の寺院で、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第28番札です。

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矢田寺の堂内左手の「しあわせ大日如来」前の石柱に「東山若王子」と刻んであります。上の部分が切り取られていて、正東山若王子のことだと思われます。

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こちら側には、「所第一番」とありますが、洛東三十三所第一番(若王子観音)が削られたものと思われます。この観音霊場は明治の混乱で廃絶して、現在知られている札所は数か所しかありません。

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もしかして安置されている「しあわせ大日如来」が若王子観音かとも思いましたが、明らかに如来像で新しそうに見えました。矢田寺に伺うと、若王子観音が遷された記録があることをご存知ありませんでした。

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この日は熊野若王子神社を訪れていませんが、以前に問い合せたところ、こちらも明治初めの記録がないそうです。若王子観音はかって「洛陽三十三所観音霊場」の札所だったという記録があります。

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洛陽三十三所観音霊場は、広範囲に札所があって多くの人には参拝が困難だった西国三十三所の代わりとして、平安時代に後白河上皇が定めたといわれます。(この道のお店の紹介はありません。)

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この観音霊場も廃仏毀釈の中で廃寺となる寺が多く中断、2005年に復活しました。このとき、できるだけ江戸時代の札所を再現し、廃寺などにより札所本尊が別の寺に移動した場合は、その寺を札所としました。

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もし若王子観音が残っていれば、矢田寺が洛陽三十三所観音霊場の札所になっていたと思われます。向うは「鹿ヶ谷通」で、その交差点の角(北東)で思わぬ発見をしました。

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左の石標は「←冷泉天皇稜 →粟田山稜 墓」とあり、右の石燈篭と思われる基部に「若王子社」と刻んでありました。

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南側には「正東山」とあり、明治以前の若王子乗々院の山号です。この場所から、若王子観音への道しるべの代りになっていたのではないかと思われます。

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鹿ヶ谷通の向かい側(西)から

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