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2021年10月 2日 (土)

通称寺を巡る 出水の毘沙門さま

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の福勝寺(ひょうたん寺)を出ると、西の六軒町通をはさんで華光寺(けこうじ)があります。今日も過去の記事を再編集してお届けします。

このあたりの出水通にはお寺が並んでおり、その中でも華光寺は大きな境内をもっています。

「華光寺」は山号を蓮金山(れんきんざん)という日蓮宗妙顕寺派の寺で、安土桃山時代の天正11年(1582)12月7日妙顕寺の12世日堯(にちぎょう)上人が隠居所として開創したのが始まりです。

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創建の際に豊臣秀吉が援助して、伏見城の一部が移築されたといいます。前年の天正10年6月2日、織田信長が明智光秀の謀反により自害(本能寺の変)、6月13日、秀吉は山崎の戦いで明智光秀を破り、京都の支配権を確立しました。

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6月27日、清洲城において信長の後継者と遺領の分割を決める会議(清洲会議)が開かれ、秀吉が推す信長の嫡男・織田信忠の長男・三法師(後の織田秀信)が後継者と決まりました。

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翌天正11年4月秀吉は賤ケ岳の戦いで柴田勝家を破り、家臣第一の地位を確立。実質的には織田家をも支配しました。華光寺が開かれたのはこの年の末です。本堂には本尊の十界曼荼羅、毘沙門天像、鬼子母神像などを安置しています。

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豊臣秀吉は伏見城に安置していた毘沙門天像を寄進して、寺の守護神となりました。平安後期の作で、鞍馬寺の毘沙門天像と同木、同作と伝わっています。江戸時代以降、この像が開運厄除けの神として信仰を集めました。

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このため、華光寺は「出水の毘沙門さま」と呼ばれてきました。境内にはいくつもお地蔵さまがいらっしゃいます。*天正11年12月の西暦が1582年と1583年という資料がありますが、グレゴリオ暦(現太陽暦)とユリウス暦の違いだと思われます。

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かって境内には五色の花をつけたという「五色椿」があり、出水の七不思議の一つに数えられましたが、近年枯れてしまいました。山門を入って右手に庫裏があります。

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このあたりは出水の地名のように、豊富な湧き水があります。境内には秀吉手植えの松があり、晴れていても露が落ちたことから「時雨松」と呼ばれ「出水の七不思」の一つに数えられていました。

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時雨松も枯れてしまい、現在はその2代目が本堂の右手、上の池の左に植えられています。

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飾り瓦があちこちに置かれていました。

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端正な顔立ちのお地蔵もいらっしゃいます。

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福永清造の川柳「合わす掌の中から幸せが生まれ」、清造はかって京都の川柳界をまとめた「平安川柳社」のメンバー、優しい句で多くの人に慕われました。「かくれんぼ母はみつかるとこにいる」、「握手せぬほうの手までがうれしがり」

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本堂から渡り廊下が伸びています。

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渡り廊下の向こうに中庭がありました。

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南無妙法蓮華経が刻んである「題目宝塔」、日蓮宗の寺にはよく見られます。

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「岩國大明神」 倉稲魂神(五穀の神)、艸薙剣神(水の神)、綿津見神(海の神)を総称して岩國大明神というそうです。

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この寺では、池波正太郎の時代小説の『鬼平犯科帳』のモデルとなった西町奉行の長谷川平蔵の父、長谷川宣雄の葬儀が行われたそうです。宣雄は御先弓頭、従五位下備中守、京都町奉行などを務め、1773年に在職中に死去して当寺に葬られました。

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鬼平犯科帳には、江戸で休む日もなく盗賊追捕の任にはたらいていた長谷川平蔵が、公儀の許しを得て京へ上り、父・長谷川備中守宣雄の墓参をする場面があります。 境内の西に墓地があります。

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山門を入った左に鐘楼があります。梵鐘は正応元年(1288)の銘がある鎌倉後期の代表作です。戦時中の供出をまぬがれ、府の文化財に指定されています。

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鐘の下には秀吉手植えの時雨松の古株が置いてあります。昨日のひょうたん寺と同様に、人々に受け入れられるための秀吉の配慮でしょう。この付近に聚楽第を造営したのは4年後のことです。

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山門の前にもお地蔵さん。

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斜め向かいの「光清寺」 弁天堂に掲げられている「牡丹に三毛猫」の絵馬を俗に「浮れ猫」といい、出水の七不思議の一つです。遊郭の三味線の音が聞こえると浮かれて抜け出し、女性の姿で踊りだすという噂があったそうです。

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その隣にある「五劫院(ごこういん)」 浄土宗知恩寺派の尼寺で、門のくぐり戸(小袖門)の上にある框(かまち)の木目が、釈迦が西枕で横たわっているように見えることから「西枕の寝釈迦」として、こちらも出水の七不思議の一つです。

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