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2021年10月22日 (金)

鹿ヶ谷通を歩く 冷泉天皇稜

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事では哲学の道から鹿ヶ谷通に来ました。ここから、南禅寺の方には行かずに銀閣寺の方に戻りました。

下は、交差点にある喫茶「茄菲ふうじぇ」 オシャレな外観のお店で、中にはカメラや蓄音機のコレクションが展示されています。ご主人はもと中華料理店を営んでいて、冷麺やちゃんぽんが美味しいそうです。

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「京都市立錦林浴場」 京都市は昭和23年(1948)条例を制定して、現在20個所の市立浴場があります。入口は西に向かう脇道沿いにあります。

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「日の出うどん」 行列ができる人気のカレーうどんのお店で、午前11時から午後3時半までの営業、日曜はお休みです。京都らしい出汁とスパイスが利いて、とろみは葛餅のようです。

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左は丸太町通、交差点の南西(写真には写っていませんが)には「住友資料館」があります。明治20年(1887)近代的な史学に基づく住友家の家史編纂事業が始まりました。

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交差点の北西は「泉屋博古館(せんおくはくこかん)」 住友家の美術コレクション、特に中国古代青銅器を保存展示するための施設として昭和35年(1960)に設立されました。東京・六本木に分館があるそうです。

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丸太町通の突き当りにある「光雲寺」は、南禅寺開山の無関普門禅師により、南禅寺より11年も早く開創されました。現在は境外塔頭で南禅寺禅センターにもなっています

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泉屋博古館の名前は、江戸時代の住友家の屋号「泉屋」と、中国の宋時代に皇帝の命により編集された青銅器図録「博古図録」が由来だそうです。建物の前に「泉屋博古の庭」があります。

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通りを挟んで東は「住友有芳園」 大正9年住友家15代目・住友友純(ともいと)の別邸として造営され、数寄屋造の本邸や歴史展示館があります。向うは「有芳門」。

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それらを囲む庭には池や小川があり、7代目小川治兵衛によるものだそうです。こちらは勝手門のようです。

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大豊神社への道に「名木・大豊神社駒返しの槇跡」という石標があります。かって大豊神社の坂道の参道に槇が生えていたそうです。

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「市立第三錦林小学校」 「錦林小学校」は明治2年鴨川の東に市民が設立した番組小学校で、浄土寺村や鹿ヶ谷村にも分校がありました。大正12年(1923)に鹿ヶ谷の分校が独立して第三錦林小学校となりました。

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交差する道(如意越)は、一昨日の記事の霊鑑寺に向かい、その横に鹿ヶ谷の謀議が行われた「此奥俊寛山荘地」の石碑が立っています。古い道は地形に従って緩やかに曲がりくねっています。

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「祇園 楽珍」 京風味 ちりめん山椒のお店です。

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「現代数学社」 民家のようですが、『現代数学』という図書(雑誌)を出版しています。

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「御食事処 わかば」

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「アンティークス・トリュフ 京都 鹿ヶ谷」 建物は「カサブロンセ」、築1983年、3階建、8戸のマンションです。

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「冷泉天皇火葬陵」 左に「←冷泉天皇稜 粟田山稜→」という道標があります。 粟田山稜は後嵯峨天皇皇后・姞子の墓で南禅院の境内横にあります。冷泉天皇(950-1011)は村上天皇の第2皇子でしたが、村上天皇の崩御を受けて18歳で即位。

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時の権力者、藤原実頼・師輔の兄弟の力が働いたといわれます。病弱な上に奇行が多く皇太子時代から問題となっていて、即位式に耐えられるか周囲は心配したそうです。オシャレな建物ですが現在はお店ではないかも知れません。

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しかし、意外にも式の間は姿勢を正していたので、亡き右大臣(外祖父)の霊が後ろから支えていたのではと、人々は噂しました。即位と同時に補佐として藤原実頼が関白につき後継の検討に入りました。「シゲタ美容室」

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しかし、後継者選びで藤原実頼と左大臣源高明が対立。藤原氏の後ろ楯を受け守平親王が皇太子に立つと対立は安和の変に発展、源高明は左遷されました。「(株)京都-市やま家具」

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969年冷泉天皇は同母弟の円融天皇に譲位して太上天皇となり、実頼は関白から摂政に移りました。以後、藤原氏の摂関職就任が常態化して摂関政治の始まりとなりました。お店のようですが名前が分かりません。

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異常な行動は周囲に害を及ぼすものではなく、譲位後は上皇生活を42年過ごして東三条南院にて崩御。62歳の長寿を全うしました。鮓(すし)石松」 家族的な雰囲気のお寿司屋さんだそうです。

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この間冷泉上皇は、実子の花山天皇や皇子女、弟円融天皇、甥の一条天皇など、多くの親族に先立たれました。この道の奥、哲学の道の向こうに「冷泉天皇 櫻本陵(さくらもとのみささぎ)」があります。

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