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2021年10月16日 (土)

丸太町通を東大路へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日は久しぶりに外出しましたがその記事は明日以降にして、今日は釜座通から、二条通、寺町通を歩いた散策の最後です。下御霊神社の鳥居の前にある「THE SCREEN」はデザイナーズホテル(上の写真)。

寺町通には藤袴の鉢の手入れをしている方がいました。その向うは丸太町通。

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「彙文堂」 中国書(古書)専門店、ご主人は東京の中国書専門店・文求堂で働いたのち、独立して明治40年にこの地で創業。森鴎外、西園寺公望、富岡鉄斎ら多くの文人に愛され、「彙文堂書荘」という看板は内藤湖南の書。

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「京都中央信用金庫 丸太町支店」 昭和2年(1927)旧第一銀行丸太町支店として西村好時が設計、五条支店とともに「京都を彩る建物や庭園」に指定されています。この制度は京都の財産として残しておきたい建物や庭園を市民から募集したものです。

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信用金庫の横は二条通までの短い南北の通りで、裏寺町通(六角から四条)の延長ですが名称は不明です。

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左の「徂徠」は花屋さん、右は「TAKASE The BARBER」。

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「京都市立御所東小学校」 御所南小学校のマンモス校化に対応するため平成30年(2018)開校。統廃合を除く市立小学校の新設は26年ぶりでした。御所南小学校で行われていた御池中学校との小中一貫教育を継続する予定だそうです。

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「河原町丸太町の交差点」 交差点の名は平安京では東西の通りが最初でした。現在では地元の人が呼びなれた名称となり、多くは賑やかな方の通りが先にくるようです。烏丸今出川、烏丸御池、四条烏丸、烏丸五条・・九条烏丸、十条烏丸。

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左は「HODGE PODGE(ホッジポッジ」 オリジナルな雑貨・小物を扱う「ニューウェーブショップ」だそうです。右は「クリーニングキララ 河原町丸太町店」。

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「フレスコ河原町丸太町店」 建物は大正12年(1923)京都中央電話局上分局の局舎とて建てられたドイツ風洋館(京都市登録有形文化財)ので、昭和34年(1959)から近年までレストランとなっていました。

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現在は1階がスーパー、2階がスポーツクラブとして使われています。建物の設計は吉田鉄郎(1894-1956)で、東京・大阪の郵便局舎をはじめ、各地の郵便・電話局の局舎を手がけました。

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「女紅場址」 女紅場は明治期の女子教育機関で、明治5年(1872)九条家河原町別邸内で英学と女工(手芸・手工)の二科を教えたのが始まり。のちに京都府立京都第一高等女学校となり、現府立鴨沂高校の前身。石碑は京都鴨沂会の建立。

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左はバーの「beyond music & boose」、右は「喫茶いのん」。

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「丸太町橋」から南

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二条大橋の手前に鴨と思われる水鳥が群がっています。

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丸太町橋東詰南にある地蔵尊、最近台座の工事、石仏の修復をしているのに気が付きましたが、この日は祠ができていました。地蔵尊の由来は不明です。

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こちらは丸太町橋から北側。

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橋を渡ったところでバスに乗ろうと思ったのですが、便が悪くて東大路まで歩くことにしました。向かいは新築マンションのようですが、まだ名前が分かりません。

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通りの西にはいつまでも愛宕山が見えています。この日は京都府庁前から出発して長距離を歩き、二条通で見かけた様々なお店が印象的でした。

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