六請神社 衣笠御霊から鎮守・産土神へ
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先日の等持院と真如寺の後に、六請(ろくしょう)神社を訪れました。「六請神社」は現在これらの寺院の鎮守社で、周辺地域の守り神でもありますが、その創建は飛鳥時代とみられています。
下は等持院の総門前を通り、真如寺への脇道と交差する古道で、向うに六請神社の鳥居が見えます。
当初は衣笠山山麓の開拓者が、祖神として天照国照神(あまてるくにてるのかみ)または大国御魂神(おおくにみたまのかみ)を祀ったとされます。
天照国照神は天照大神とは別の神で、一般には天火明命(あめのほあかり)とよばれ、日本神話に登場する太陽や熱の神です。ほあかりは穂赤熱とも書かれて稲穂が熟した様子を表し、農業の神でもあります。
平安時代前期の御霊信仰の広がりとともに、衣笠御霊あるいは衣笠岳御霊とよばれました。また、いつしか天照国照とともに天照大神など六神を勧請して、祭神は六請神と呼ばれるようになりました。「手水舎」、向うは真如寺の参道です。
平安時代後期から安土桃山時代にかけて衣笠山は葬送地となり、当時の六地蔵信仰と習合して、六の字が社号に加えられ、祭神も六柱に限定されたとみられています。「拝殿」
六地蔵とは、衆生が輪廻転生する6種の世界のそれぞれで苦しみを救ってくれる地蔵菩薩です。あの世へと旅立つ死者を六地蔵によって加護してもらうという信仰が平安時代以後盛んとなりました。「社務所」
社務所では、素朴で簡明な御朱印が頂けます。この日は中から祝詞の声が聞こえていました。
本社には、祭神として伊勢大御神(いせのおおみかみ)、石清水大神(いわしみずおおかみ)、賀茂大神(かものおおかみ)、松尾大神(まつおおおかみ)、稻荷大神(いなりおおかみ)、春日大神(かすがのおおかみ)の6座が祀られています。
伊勢大御神は天照大神のことです。当初の祭神・天照国照は、信仰が広がるにつれていつしか除かれてしまいました。
拝殿の中に、神幸祭で町内を巡行した神輿の轅(ながえ、担ぎ棒)の中央部分が飾ってあります。平成10年まで150年以上使われたものだそうです。
南北朝時代の1341年足利氏が等持院を建立すると、その鎮守社として境内に勧請されました。また、安土桃山時代以後は真如寺の鎮守社にもなりました。(右の石標は昭和17年の本殿改築、左は年号が分かりませんが本殿修復の記念です。)
一方、周辺の松原村や等持院門前村の守り神として人々に信仰され、「六請明神社」、「六所明神」、「春日明神」などとよばれました。本社の千木(屋根のX型の部材)の先端が水平に切られているのは女神を表すといわれています。
明治の神仏分離令によって六請神社は現在地に遷りましたが、現在でも等持院や真如寺の鎮守社、周辺地域の産土神として信仰されています。産土神はその地に生まれた人を(他の土地に行っても生涯)守護する神です。
祭礼として、初祭(1月)、節分祭(2月3日)、勧農祭(7月)、出御祭(10月)、神幸祭(10月)、火焚祭(11月)などが行われます。本社の左奥に「祭器庫」があります。
特に、10月の最終日曜日に行われる神幸祭には大勢の人が集まり、神輿は念仏寺と等持院まで行って差し上げをして気勢を上げます。下は、嵐電の等持院駅の近くにある浄土宗西山禅林寺派の「念仏寺」。
前日の宵宮際では、つきたての餅がふるまわれ近所の立命館大学の学生によるよさこい踊りがあるそうです。境内のあちこちに南天の実が成っていました。
ついでにとは失礼かも知れませんが、念仏寺の北隣の妙心寺派「金臺寺」では、11月1日~7日の期間に特別拝観があり、白隠禅師の筆による唯一の彩色画「法具変妖之図」や狩野永岳による障壁画などが公開されます。
六請神社に戻り、本社の右手に唯一の末社「力石神社」があります。江戸時代初め頃から、祈願して石を持ち上げればあらゆる力を授けられるといわれてきました。
小さいながらも手水鉢もあります。
現在では、清められた小石が社務所で授与され、性別、年齢、祈願事を書いて奉納すれば、石を持ち上げたと同じご利益があるとされます。
嵐電の駅に戻り、次の目的地に向かいます。
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