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2021年9月 4日 (土)

寂光寺と囲碁界のニュース

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

寂光寺(じゃっこうじ)は 東大路から仁王門通を西に入ったところにあり、囲碁にゆかりのある寺です。今日は寂光寺の境内と歴史とともに、囲碁界で話題となったニュースを紹介します。

「寂光寺」は、山号を妙泉山という顕本法華宗の本山です。山門の右に「碁道名人第一世本因坊算砂之旧跡」の石標があります。

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安土桃山時代の1578年、妙満寺26世・久遠院日淵(にちえん、1529-1609)が室町近衛に久遠院(くおんいん)を創建したのが始まりです。翌年、日淵は浄土宗との安土宗論に敗れ、寺を弟子の日海(にっかい、1559-1623)に譲りました。

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安土宗論とは、織田信長の命により、安土城下の浄厳院で行われた浄土宗と法華宗の各3名の僧による宗論です。法華宗は信長の意図的な介入によって敗れたとされ、処罰者を出し、以後他宗への法論を行わないことを誓わされました。

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以後の日淵は弟子の教育に力を注ぎ、法華宗の発展に大きく寄与しました。1590年豊臣秀吉の命により久遠院は京極二条に移転、翌年(松ヶ崎で衰微した)妙泉寺を寺内に移転合併し、寂光寺と改称しました。(仏足石)

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寂光寺2世となった日海は京都の舞楽宗家・加納與助の子として生まれ、8歳で叔父・日淵に師事して出家しました。本堂には本尊・本門寿量(ほんもんじゅりょう)十界大曼荼羅を安置しています。

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囲碁を堺の仙也(せんや)という老人に習い、敵手がいない程強くなり、1578年織田信長に「名人」と称されました。1588年には豊臣秀吉が主催した全国大会で勝ち抜き20石20人扶持を与えられました。

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1592年後陽成天皇より権大僧都の位を授けられ昇殿を許されました。昇殿とは内裏清涼殿の殿上の間に昇ることで、高位の公家や特権的な身分の者に限られました。

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1603年徳川家康が幕府を開くと、江戸に招かれました。将棋も強く、囲碁と将棋の総元締めの碁所・将棋所に任じられました。後に将棋所は知友の大橋宗桂に譲ったとされます。(書院)

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江戸で囲碁の家元の始祖となり、本因坊算砂(さんさ)を名乗りました。「本因坊」は寂光寺の塔頭の名で、日海の京都の住まいでした。また、1611年に僧侶としての最高の「法印」の位を授かりましたが、1623年算砂は江戸で死去しました。(庫裏・拝観受付)

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本因坊家3世までは江戸と京都の寂光寺を往復していましたが、4世・道策から江戸に移りました。算砂の弟子から井上家、安井家、林家が出て四家による囲碁の家元制度が確立、本因坊家は常にその筆頭でした。(無縁仏にはいつも花が供えてあります。)

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本因坊家からは、道策を始め、現在の棋士もその棋譜を研究するような卓越した名人を輩出しました。(境内の南にある墓地には「本因坊歴代墓所」の看板がかかっています。)

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寂光寺は、1708年の宝永の大火により焼失してしまいました。その後、幕府に替地として現在地を与えられ移転して再興、現在に至ります。旧地である寺町通夷川上るに「本因坊発祥の地」の石碑があります。

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墓地の門を入って左に、初代・算砂、2世・算悦(さんえつ、1611-1658)、3世・道悦(どうえつ、1636-1727)、4世・道策(どうさく、1645-1702)、5世・道知(どうち、1690-1727)の供養塔があります。

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昭和13年(1938)21世秀哉が引退した際、本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、囲碁は家元制から実力制に移行しました。 そして、昭和16年(1941)第1期本因坊戦が開催され、本因坊はタイトルの名称となりました。

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ところで、3年前の記事では東大阪出身の井山裕太九段が史上初の2度の七冠達成を始め数多くの記録を更新、その年の2月には将棋の羽生善治氏とともに国民栄誉賞が贈られたことを紹介しました。

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また、本因坊戦が寂光寺で行われたり、5連覇で名乗れる永世本因坊の雅号を寂光寺住職が贈ったことを紹介しました。その後、若手の台頭もありましたが、井山九段は10連覇の本因坊を含む四冠を保持しています。

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将棋と同様に囲碁のAIも進歩して、実力のある若手は例外なくAIで研究をしているそうです。今年の本因坊戦は井山九段(32)が挑戦者・芝野虎丸王座(21)に1勝3敗からからくも逆転しました。(墓地の隅に休憩所と花壇があります。)

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女性棋士の活躍も目立ち、台湾出身の謝依旻(シェイイミン)七段(30)は14歳4ヶ月で入段(正棋士採用女流棋士最年少記録)、現在タイトル獲得数27は女流棋士史上最多記録です。

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女性棋士もAI研究で若手の台頭がまざましく、藤沢里菜四段(22)は、女流本因坊を含む5冠を保持。上野愛咲美四段(19)は現在2冠、2018年16歳3ヶ月で女流棋聖を獲得したのが女流棋聖戦最年少タイトル獲得記録です。

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2019年4月仲邑菫(なかむらすみれ)さんが小学生で囲碁のプロになったことが話題になりました。10歳0か月で日本棋院の棋士採用試験で新設された英才特別採用推薦棋士第1号として入段し、日本棋院に所属する棋士のプロ入り最年少記録です。

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その年、男性棋士を含めての通算成績17勝7敗は、同期入段13人の中で最多勝利・最高勝率です。2020年は二つの女流棋戦のリーグ入りを果たし、上野梨紗初段との対戦は史上最年少対局(両者の年齢を足して25歳10か月)となりました。

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今年の3月通算30勝目(女流棋戦を除く)を挙げ、史上最年少(12歳0か月)で二段。また、第46期棋聖戦では最年少(12歳2か月)でCリーグ進出を果たし、年間成績22勝2敗は日本棋院棋士の中で最高勝数、最高勝率となりました。

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父親は仲邑信也九段、3歳で囲碁を覚え、3歳7か月でアマ囲碁大会に初出場、5歳で関西アマ女流囲碁名人戦Bクラスで優勝、その後韓国に囲碁留学して韓国語が話せるなど、卓球の愛ちゃんと重なるところがあります。

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ちなみに、尊敬するのは上の3人の女性棋士、目指すのは井山裕太九段だそうです。山門を入った左の「第一世本因坊報恩塔」は、大正12年(1923)本因坊算砂上人没後三百年忌に建立されたものです。

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コメント

将棋は、ある程度分かって子どもの頃は友達とよく差しましたが、
囲碁はどうもわからなくて、ほとんど差したことがありません。
ただ強い人は、子どもでも凄く強いですよね。
囲碁では子どものプロもいるということで、驚くばかりです。

投稿: munixyu | 2021年9月 6日 (月) 16:39

★munixyuさん こんばんは♪
囲碁もプロになるには、相当厳しい試験があるようです。院生(プロを目指す研究生)の大会で優勝したり、年間で数名しかプロになれず、しかも年齢制限があるそうです。それも、本人のためなのでしょうね。

投稿: りせ | 2021年9月11日 (土) 02:05

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